宇宙全体よりも広くて深いもの

 「宇宙全体よりも広くて深いもの、それは一人の人間の心」という歌詞を聞いたことがあるだろうか。超人機メタルダーのオープニング曲、『君の青春は輝いているか』の一節である。マイクは佐々木功が握っている、言わずと知れた名曲だ。

 僕は人間関係において、「人を理解する」という行動を半ば諦めている。それは何か特定の事件があったとかそういう類のものではなく、僕が生きていくうちに「人様のことはよくわからない」と思ったからだ。

 僕は高知県で生まれた。高知のみならず、東京にいた親族も僕の顔を見にわざわざ高知まで来てくれたそうだ。とにかく親族には恵まれた。そして1歳くらいの時に東京に引っ越した。それからはずっと東京に住んでいるが、週に1回のペースで高知には帰郷している。幼稚園ではシスターの服装が怖くて泣くような弱虫だった。小学校は私立だった。成績が悪い僕はよくからかわれていた。中高は一貫校で、ただの思いつきで会長選に出馬して生徒会長もやっていた。浪人して今は都内の大学に通っている。

 これは僕の人生を数文に収めた文章だ。読んでくださっている皆さんは、「なんとつまらない人生だろう」と思っていることだろう。しかし僕は、胸を張って言える。「僕の今までの20年の人生を書き綴るとしたら、分厚い一冊の本が書ける」と。「僕の人生は実に面白かった」と。それは僕が特別な人間であるからではないし、特別な人間でもない。ふつーの大学生である。だが、人間の人生とはそれほどに濃厚なものなのだ。その濃厚な時間と空間によってのみ、現在の人の心は規定することができる。

 僕は土佐の豊かな自然の香りを感じたことがある。きっとそれは僕の五感を育てただろう。僕は都会の繁華街の豊かさと貧しさに直面したことがある。きっとそれは僕の思想を育てただろう。僕は親の愛に抱きしめられたことがある。きっとそれは僕の愛を育てただろう。

 人生のあらゆる全ての場面がその人を作っている。今僕が語った場面は氷山の一角に過ぎない。自分ですら知覚することができない経験値が人様にはある。ましてや生まれも育ちも人それぞれ全く異なるのだ。この事実に気がついた時、僕は人様を理解することを諦めた。氷山の一角に触れて理解したつもりになるのは、あまりにも傲慢で失礼だと思った。

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