こだわりと効率化

前置き

9独り言、1暇潰しの割合で出来た文章且つ
なんの根拠も教養もない文章なので真に受けないでね。


20目前にもなってくると、自分がどんな内容が感覚的に好きかどうかでしか、物事を楽しめなくなってくるな

音楽とかはまだ、色んなジャンルを先入観無しに感覚で楽しめるんだけど、漫画とか読み物に関しては、どうせこういう漫画は(感覚で)面白くないから見なくていいや 的な感覚が強くなってくる 無意識に

中学生のときはもっと雑に物事を楽しんでた気がするけど 大人になって、楽しむよりも先に、感覚で、実際深く読み込んだときに、楽しめるかどうかが一番の基準になってる 

時間の無駄かどうかというのが 当然それは、生きるのに必要な能力なんだけど、これが理解できてないと、ただ、好きな物の幅が狭いだけの人間になりそうで 

ソシャゲ、アニメ、スロットなどのギャンブル好きを軽率にアピールしちゃう人間ってもうそれになってるような

簡単に言うと 物事を判断する能力が高まったわけではないのに、避ける力だけ強くなってるだけなんだと思う 趣味の幅が狭い人間は、物事を判断する能力があるのではなく、ただ、避けるのが上手い人間なだけだという 

物事から受け取る印象を総合的に判断して、取り入れるかどうか決めるのではなく、経験に頼るようになっていく 時間効率重視だと後者が正解なんだよなあ 趣味の幅を維持するには、そういう効率重視的な先入観によるジャッジは良くないと思うんだけど 

そういう観点から行くと、自分で見たいものを決めるのではなく、世間の流行りを気にして見るものを決めている人間は、ある意味、幅広く物に触れているというメリットがあるのか 

こだわりはただの、効率化なのかもなあ

効率化とこだわりの違いはなんなんだろうな 

効率化は、趣味の幅を広げる姿勢とは真逆にそびえる存在なのだろうか 趣味の幅が極端に狭い人間とは、効率化の成れの果てだとして、差別化する方法は、効率化の非効率化が必要だとして、効率化のどの部分を非効率にする必要があるのかの答えが分からないな・・・

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