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二十時、明大前。

初めて降りる駅。待ち合わせ場所って事前に調べておいても、地図と実際の景色はどうしてかいつも別物で、毎回どこにいるのか分からなくなって、現在地をオンにする。

古いマニュアルの左ハンドル。初めましての車なのになんだか懐かしい。ゆっくりと夜の明大前を抜けていった。

懐かしい、よく走った甲州街道、また車から見られるなんて思わなかった。夜八時、帰宅する人々とは逆方向に都心へと向かった。後ろの車が車線を譲ってくれた、つい独り言でお礼をつぶやくと、彼は小さく笑った。

どの道も懐かしく、愛おしかった。晴れた日中のドライブもいいけれど、やっぱり夜が好きだ。そのまま車は山手通りを曲がって、東大前の交差点を抜けていった。

代官山を抜けて到着したのは、行ってみたかった小さな街中華。赤い暖簾の先、店内は眩しく光っていた。ただ人気店ということもあり、この日はあいにく満席。次の店を探しに駅の方へ向かった。

時短営業が明けたから、どこかしらには入れるだろう、そう思っていた矢先、テンポ良く三件の店に満席で断られた。こんなに店が多い駅周辺で、食べ物に困っているのは自分達だけだろう。駅前は諦めて、少し歩いたところにある、彼の行きつけのピザ屋に向かった。

「もう、あそこはイタリアだよ」と彼は言った。またまたお上手なんだからと思いつつ、少し驚いたりして見せた。店内は混んでいたが、ワイルドなマエストロがにこやかに案内してくれた。たしかに、そこはイタリアだった。私自身、イタリアに行ったことはないので断定はできないが、そのピザ屋は、私にとって初めてのイタリアになった。

運転手の彼のお言葉に甘えて、グラスの白を頂いた。すっきりしていて飲みやすい、今年こそこの言葉以外でワインを味わえるようになりたいと改めて思った。マルゲリータ、オリーブときのこのピザを注文した。

どうやらここのマエストロは、数々の大会で賞を獲得しているらしく、店内には多くのトロフィーや賞状が飾られていた。また、有名人との写真もたくさん飾られていたり、天井からにんにくや小さな上呂が吊るされていたり、とてもにぎやかで素敵な空間だった。

ほどなくしてピザが運ばれ、出来立てを熱がりながら二人で食べた。ナポリが見えた。ピザを食べながら聞く、彼のイタリア旅行の話はとても美しかった。イタリアはどうやら光が違うらしく、その光によって描かれる陰影や造られる造形について、たくさん教えてくれた。いつか、イタリアのテラス席でピザを食べながら、彼の話を聞いてみたいと思った。

少しずつ冷めて、硬くなっていくピザを食べながら、色々な話をした。世田谷から軽井沢まで一時間半で着いたという嘘みたいな話、軽井沢に住んでいるであろう労働者を労わるマダムの話、これから行ってみたい外国の話、私が以前一人で行った美大の卒展の話、そして偶然にも彼がその美大の卒業生だった話。その他にも色々な話をした。最後に彼が頼んだ、ブラッドオレンジジュースの赤がとても綺麗だった。

ピザ屋を後にして、私が東京で一番好きな場所だと話した、夜の東京タワーに連れていってくれた。ライトアップは季節外れのクリスマスカラーだったが、久しぶりに見る夜の東京タワーは、やっぱり綺麗だった。しばらく眺めていると、彼は車の屋根を外し、オープンカーからの東京タワーを見せてくれた。字面で見ると少々キザのようにも思えるが、実際は変に着飾ったりしない、とても優しい人だった。

屋根を開けたまま、心地よい風に吹かれ、カネコアヤノを歌いながら、レインボーブリッジを渡った。夢みたいだった、夢のようにゆっくりと景色が流れるのがわかった。買ったばかりのカメラにその景色を収めようとも思ったが、なんだか勿体ない気がした。目に焼き付けて私だけの中にしまっておきたくなって、カメラをそっとしまった。

少し離れた橋から見て思った、東京はしっかりと光っている。明るいのではなく、暗い中に幾つも光があって、そのどれもがしっかりと光っているように感じた。

帰りは家の近くまで送ってもらった。あっという間とはこういうことをいうんだな。こんなに楽しいデートは、何年振りだろう。

彼の、階段を登る時なぜか少し駆け上がるところ、時々話を聞き返してくるところ、貴方と呼んでみたり、ちゃん付けで呼んでみたりしてくるところ、私が目を開くと真似して目を開くところ、程よい距離を保ちながら話を聞いてくれるところ、面白い人だと笑ってくれるところ、少し高い歌声、どれも心地良かった。前にも会ったことがあるような気がした、そのくらいそのままの私でいられた。

家に着いてから受け取った貴方の言葉が、どんなに嬉しかったか。この続きを書けるまで、大切にとっておきたい、そんな日だった。

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