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働く母に甘えられない子の思い

子どものころ、母はとてもいそがしそうだった。
誰よりも早く起きて父と畑に行き、朝ごはんのしたくも後片付けもして、
農作業、掃除、買い物、お昼ごはん、夕ご飯のしたく、後片付けも、
お風呂も幼いころはまだ薪で炊いていたので、スイッチ一つではなく、
お風呂を沸かすという作業もあった。最後にお風呂に入って、最後に寝る。
お母さんはなんて大変なんだろうって思っていた。

だから、できるだけお母さんを困らせないように、できるだけお母さんに面倒をかけないように、甘えることを遠慮していた。しんどくて熱があっても、黙って我慢して元気なふりをして、お母さんが大変にならないようにつとめていた。

ふと、この間、母が言った。
「若いころ、子どもがほしいと思わなかった」
なんで? と聞くと、
「早くに結婚した同級生の話を聞いていたら、大変そうだったから」
でも、お見合いした父に言っても聞き入られず、大変だと思っていた子どもを産んだ。三人も。
私は二人目で、きっとますます大変になったのだろう。
母の気持ちを感じとった私は、母に近づいてはいけないと思っていた。母が困るから。近づくと、母をますます大変にしてしまうから。

しかも、父は亭主関白で、母を怒鳴ってばかりいた。毎日怒られる母。つらかっただろうと思う。一緒に住む父の母である祖母は、父が母を怒鳴っていても何も言わなかった。

母に笑っていてほしかった。喜んでいてほしかった。そのために、私は母が大変にならないように私なりにつとめたのだと思う。

母は私の子どものころのことを、「手のかからない、しよい子だった」と言う。母が大変にならないようにという私の行動は、成功したのだろう。

そう思っていたことを、ついこの間、母と妹に話すと、二人ともぽかんとしていた。
母は、「へえ、子どもにそんなことを思わせていたんやなあ」と言った。

妹は、「そんなこと思ったことあらへん」と言う。
妹はつわものだ。なぜなら、母の代わりに祖母が保育園に迎えに行ったら、
「自転車も乗れへんくせに(迎えにきたん)」とおばあちゃんに向かって言っていたそうだ。

私は逆に、そんなことをよう言えたもんやなあと驚いた。

同じ環境で同じ両親のもとで育っても、思い方は全然違う。

まさか、そのことが、大人になってから大変な不幸を背負うことになるとは、思いもよらないことだった。

(つづく)


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