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他で聞けない政治の話/新しい政党を作ること/供託金


#初めて国政選挙に挑戦1989年

私は1989年参議院選挙で、#原発いらない人びと

と言う政党を立ち上げて(全国会議の共同議長でした)

全くの素人ばかりで、ほとんど貧乏人ばかりで、

初めての国政選挙を戦いました。

しかしそれには大きなハードルがありました。

供託金です。

#民主主義に立ちはだかる供託金

参議院選挙で全国に広く薄くいるだろう支持者に訴えるためには

比例区に一人は候補を立てなければなりません。

その供託金は600万円です。

それでもほとんどの人には大きな壁です。

しかし公職選挙法は

#新しい多様な意見が選挙に出てきてはいけないかの如く

比例区に出馬するためには、

既存の国会議員が一人以上いる政党でなければ、

比例区選挙区合わせて10名の候補を立てなければなりません。

供託金だけでも6000万円、その他を入れると億の金が必要になるんです。

貧乏人のための政党を作ってやろうとか思う貧乏人には

最初からあきらめるしかない金額です。

つまり貧乏人を差別するための公職選挙法だ

と当時の私たちは思いました。

だって、#原発いらない人びと

ほぼ例外なく貧乏でした。

#原発いらない人びと 」は

田国の9電力管内に各一人、比例区に一人候補を立て

戦うことを決めました。

中略

選挙が終わり、結果は惨敗でした。

何の根拠もなく正しいことだから

3百万から500万票は行くだろうと思ってした。

だいたい百万票で一人当選です。

結果は16万票です。惨敗もいいところです。

その後が問題でした、

貧乏人が無理をして、借金し、夜逃げした人

家族の反対を押し切って出馬し、家族離散になった人

戦死者が続出したのです。

私は #継続は力  ♯失敗を成功の糧にする

と3回参議院選挙に挑戦しました。

どれも惨敗です。

そして累々と続く屍の山が残りました。

私はこのやり方はやるべきでないと悟りました

理想に向けて選挙をやるのなら、

その

#理想を支持する全員が無理のない範囲で負担すべきだ

と思い始めたのです。

少ない負担がきちんとできれば、どこにも犠牲者が出ずに

徐々に理想に近づきます。

力である継続ができるのです。

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