"未練"という記憶の残渣


厄介な感情のひとつだと思う。
過去の失敗のような”経験”に紐づくもの
昔の恋人のような”人”に紐づくもの

昔の恋人に使われることが多いかな。

後悔にも似た感情だけど
後悔は対象の方向が自分自身に向いていて
そこが異なるポイントだと思う。

”あの時〜していれば”
は、後悔。
”それはなんのために?”
まで行くと、未練。
という理解

つまり諦めきれない経験や人に対して
考察して、思考を濾していった感情の残渣なのだと思う。

考察して、濾して、濾して。
明確に具体的になっていくものだから
やり直したいことがどんどん出てきて思考を占拠されていく。

でもそんな”未練に耽る”時間も
人間らしさがあり、自分を認めていく大切な時間だと思う。

こと、恋人との関係で行くと
未練こそ自分をステップアップさせてくれるものに他ならない。
次の恋愛へ矢印を向けられれば。
だらだらと引きずる時間は長くなると自分の成長には全くならない。
次の恋愛に、未練から得た経験値を使えれば
同じ失敗は起こらないのに。

何度も復縁をする人、
相手は違えど同じ失敗を繰り返す人は
後悔の段階から進めていない、建設的ではないのだと思う。

ともあれ、僕一人の考え方なので強く主張はしないが
そんな解釈をしている。

たくさんの未練が、同じ失敗から自分を遠ざけて
上手に生きる糧になる。

未練がましいとか言われたって
大切なものなんだ。

記憶の残渣は人それぞれの形で
みんなの中に存在し、輝いているのだとおもう。


残渣という言葉を使いたくて書いただけの記事だ。

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