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いつかの景色と明日の自分⑧

みなさん、こんばんは。
そしてお久しぶりです。

なかなか時間が経ってしまいましたが、noteの投稿をまた始めます。
温かい目で見守っていただけると嬉しいです(笑)

さて、この話題もはやく終わらせないとなと思うので、連続で投稿していこうと思います。

前までに書いた内容は、東日本大震災により生まれ育った町が、津波によって被害を受けているところを目の当たりにしたところまででした。
その続きを書いていきます。


あったはずの待ち合わせ場所

母と車で移動している中、見たこともないような光景に唖然としていた私。

少し海から離れた山道はまだ被害が少ないものの、漂う雰囲気がいつもと違い、息苦しい感じがしていました。

これが本当に現実なのだろうか…?

何度も何度も、頭の中で元々の町の姿を思い出そうとするものの、うまく頭が働かなくて、目と頭の中の情報処理が追い付かない状態。
走れる道を模索しながら、私と母を乗せた車は妹が最後に送ったメールに記載してある場所へと向かいました。

海の近くにあるカラオケ店へ友達と二人向かった妹は、地震があった直後はまだメールが使えたため、母親に連絡をしていたのです。

『親切な人が車に乗せてくれて、山の方に向かっている。○○(地域名)のコンビニにいる』と。

当時はまだスマホでもない、LINEもない状態。
そして津波が来たあとは電話すら通じなくなってしまったため、妹が残したメッセージをたどるしかなかったのです。


…辿り着いた目的の場所、そこにはコンビニの姿がありませんでした。

そこは山を越えた先にあるので海は絶対に見えないところでした。
しかし、波は恐ろしく、執念深いかの如くその場所まで来ていたのです。
正確には川が原因でした。
海とつながる川を伝って、逆流しながら山の間を通り抜け、川沿いにあったコンビニや周辺の道を飲み込んでしまっていたのでした。

恐らく、そこにあったであろう建物がなく、水に塗れた瓦礫の山がそこにあったのです。

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私も母も、まさかという思いがよぎりました。
でも、妹が巻き込まれたかどうかを判断するものもないのです。
だから、少しでも可能性を信じて、私たちはさらに山の上にある施設を訪ねてみることにしました。

本日は一旦ここまで。
続きます。

お読みいただきありがとうございました。

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