究極の哲学
就活どうするの?という、大学生活後半に向かっていくこの時期、多発する質問がある。
同期はもうインターンをしていたり、自分で会社を立ち上げている者もいる。
でも、ここで全力で反発を覚えて、うまく言葉を返せなくなる。この、違和感。
そうじゃないんだ。なぜそうやって大学入学後は就活、とキレイにパズルのピースが埋まっていくのだろう。土台を疑ってみなければ、先に進むという選択肢が生じないように、私には見えるのに。
就活、の前にもっと、自分には考えなければならない問題が山積みに思える。いや、本当はもっと簡単で、考え決断すべき問題はたった一つしかない。
私は今年の秋から1年間留学する予定だ。周囲が就活全盛期に、まず母国にいないわけだ。
じゃあ留学先で仕事の当てを探すか、ドイツに行くならドイツ語を使った仕事を求めるのか、と質問は続く。どんな職種がいいのか、とか。
旅作家、と答えてみる。宙に浮いて切れ切れの雲みたいな答えなのは承知で。もっとそれ以前に必要なことがあるのに、この答えも実際のところしっくりこない。
人生が生きるに値するか、そのことを見極めなければならない。
以前、好きな人がこんなことを言った。
「ヘッセ『知と愛』のこのセリフ好き。
人生が生きるに値するということこそ、すべての芸術の究極の内容であり、慰めである。」
もし生きるに値しないと結論づけたのなら、すべての芸術も慰めも放棄することになる。
けれど、芸術を超えた魂が死後にあると信じられるのなら、その結論は幸福なことであって、そのことこそが最高の慰めになる。
自殺するか否かは人生で最大の問題だ、とはどこかの哲学者の発言だったはずだけれど、真摯に人生という哲学に向き合うのならば絶対に避けられない。
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