「小説を書かないでほしい」

彼の夢は見たことがない。すっかり、会いたいと思わなくなっているからなのは知っている。けれどもその理由がないのは不可解だ。

彼氏?と勘違いされるレベルで四六時中一緒にいた友人がいたのだけど、離れてからは彼の存在もきれいに消えている。普通は寂しくなるようなものだろうに。

どれくらい側にいたかというと、お互いの誕生日、クリスマス、夏祭りも一緒に行くかもしれなかったし、最後に空港に見送りにも来た。こっちが風呂に入るときも、布団に入ってさあ寝るぞという状況でも、電話をしたことがある。一緒に取っていない講義に潜ったり、ナイトハイク(深夜に長距離歩くクレイジーイベント)を何度もやったり。


彼が無性愛者でなければ、まるで恋愛沙汰である


ひょんなことから、お互いに書いた文章を見せ合うことになった。それから長らく、文章という精神の公開オナニーを通して、内面を披露していったわけだ。しかも彼は元心理学部であったから、やたらと他者の内面を読み取りたがった。初対面の人間にまでメンヘラ診断を下し、その無礼さに反して誰にも嫌われない妙なキャラの奴だった。

そんな人物と大学生活において最も長く過ごしたといっても過言じゃないのに、彼の夢を見たこともないのだ。それほど長く過ごしたのに、彼を思ってnoteを書いたこともない。夢や文章のような、私が重視するコンテンツにおいて、すっぽり彼の存在が抜けるのだ。長く居たのに?

本人にいったらタダでさえタレ目なのにさらにタレ目になって情けない、殴りたくなるような顔をするだろうから、言わないでおく。

空港で別れるとき、彼は私を抱きしめてやりたかった、のだと風の便りで聞いた。

空港で別れるとき、私は彼を一発殴ってやりたかった。

ずっとそうだった。こんちくしょう。中途半端だな。最後に私に小説を贈ってくれるつもりだったというが、結局最後まで書き終わらなかったからといって渡さなかったのだ。出来ないくせに完璧主義者だから。別れる瞬間まで中途半端を極めているから、もはやカッコいいよバカヤロウ、と失笑するしかないじゃないか。



それに、最後の週、私は彼に言い放った。
「小説を書かないでほしい」

彼はわかりやすく悄げた。それで私は察した。

きっとコイツは今現在小説を書いていて、しかも時期的に私の留学までに間に合わせるつもりで何か書いているんじゃないか。
私の言った言葉は、彼にとって今最も辛く刺さる言葉だったに違いない。

それがわかった。それでも私は容赦しなかった。小説を、何だと思っているんだ。と、彼に常々言ってやりたかった。

**使い捨てのアクセサリーみたいにするな。君は、小説を、書こうとしている。伝えたいことなんて本当はないんじゃないか。それなのに書くなって。芥川賞を取りたい?そうしたきゃ好きにするがいいさ。 **

**けれども、そんな惰性で名誉や外面だけ求めて書いたような小説、私は自分の本棚に置きたいと思わないだろう。他存在を渇望したときでさえ私を潤す存在にはなり得ないだろう。書きたいことが何にもないのに、ただイイ格好がしたいだけならやめて欲しい。形式だけならAIの方が上等だよ。小説を汚さないでくれ。 **

それに、一欠片の、しかしながら決定的な差異が、彼に小説を書いて欲しくない、と私の中で訴えていた。

彼は順接でしか語っていなかったから

私は違った。好きだから会いたい、で済む人生じゃなかった。
好きだから会わない、好きだけど会わない。そんな逆接に支配されていた。「それでも」好きだ、と言いたかった。

単細胞生物じゃあないんだ。普通、だけではいられないんだ。何でもイコールで語るなよ。

逆接を全く使いこなせないくせに、小説書くなんてやめてくれ。私を苦しませないでくれ。


彼は空港で最後の瞬間が訪れるまで、何も気づいていなかった。私にはそう映った。

私は馬鹿みたいに恋をしていた。愛していた。彼を仲介者として出会い、共に空港までナイトハイクしてくれた人に。

無性愛者の彼は、その身近な想いに気づいていなかった。私がすぐそばで身が捥がれるほど、彼のすぐそばにいる人間を愛していたのに。

平然と、暴露してくれた。私の愛する人が、私以外の、私の知っている人と、付き合ったこと。それを彼の無神経なお喋りで知った。
それだけでは済まない。

私が愛する人のこと、よくも、無茶苦茶に喋ってくれたな。
彼も私もその人のことを大事にしていたには違いない。

でも彼にはなくて私にはあったのだ、恋愛や性欲の要素が。
彼は身をもってそれを知ることがなかった。

私が直面していたものを、踏み潰す彼の無神経さは一発ブン殴るだけじゃあ済まないものに違いなかった。

………同性愛、サークル内恋愛、年の差、恋人持ち、留学という期限付き、相手の恋愛遍歴………

私がそのとき直面していたものを書き出せばそういうことだった。

彼はいつも無性愛者の客観的立場で恋愛を語ったけれど、生きるか死ぬかというキチガイな有様でどうしようもなく身近な人を好きになってしまった私の身は、完全に見過ごされていた。近くにいるのに、わからないんだな。

私もその面については平然とした口調で会話を交わすしかなかったけれど、だってそれは簡単に公に出来る想いではなかったから、隠すべきだったから、私は好きな人とカップルになってキスをして、公道を手を繋いで歩くような夢を、捨てなければならないと思っていたから。

………同性愛、サークル内恋愛、年の差、恋人持ち、留学という期限付き、相手の恋愛遍歴………

それに身を焦がしている自身の惨めさを、どこまでも無性愛者の彼に、告げても仕方がない。

むしろ〝普通の〟頭を持つ人間なら、「恋人いる人を好きになるのは諦めなよ」「間もなく留学なんだからそっちで新しい出会いを見つけなよ」「サークル内で揉めるな」とか、そんな言葉で、愛を捨てるように促すだろう。

おまけに彼は、無性愛者だ。
順接しか知らない。
近くにいるのに、こちらの想いには無頓着だ。無作法だ。馬鹿。とんだマヌケだ。

私は、言ってしまえば無性愛者(アセクシュアル)とは真逆の立場だ。
バイセクシュアル(以上なんだろう、ポリセクシュアルか)だし、デミセクシュアル(身近な人に恋愛/性愛する)だろうし、ポリアモリー(複数愛)のつもりだ。一言でいうと、めちゃくちゃ恋/愛/性に染まっている。身をボロボロにしながらそれを喜びとするしかないような生き方をしてきた。

そんなに違うから、無性愛者の彼と会話するときは、恋愛の話を自然と禁じていた。近くにいすぎたからでもある。講義や文章や動物や革命の話をよくしていた。
私は彼のよく知る身近な人に身を焦がして狂ってしまいそうなんだ、なんて告白を一度もしなかった。絶対に知られたくもなかった。

本当に最後の瞬間、私とその愛する人は長く抱き合った。それで誰の目でも明らかなほど、わかっただろう。ただの親しさ、では抑えきれない愛が、あったのだ。
彼がそのときその光景を見て何を思ったかは知らないけれど。




そうして今、毎日のように彼と交わしていたLINEは、空港で別れた日付でストップしている。私が自分から送ることはない。逆接を、学んでほしいから。彼は今それを知っている。だから彼の方からもLINEを送ってこない。そうなんだろう。

いつか私の留学先に来るそうだ。
彼と、私の愛している人が。二人一緒というミラクル現象。奇妙な3人。早く会いたい。

私は好きな人と一つのベッドで眠りたいが、彼には床で寝てもらおう。冬春の寒いドイツでナイトハイクをやりたがる彼のことだから、室内であれば充分だろう。あのときの小説、まだかよ。


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