プレゼントがわからない

欲しいものある?

と聞かれたら、相手を困らせること間違いないのが私である。

というのも、物欲がないから。

自分が生きるために必要なものは既に身の回りに揃っている。自分で選び、使い慣らしてきたからこそ一層、他に代わるものではない。

旅行の話を女友達としているときにビックリした。

彼女は、「あると便利なもの」を旅行鞄に詰め込む、と言っていた。
私は、「それがないと生きていけないもの」をリュックひとつに入れて持ち歩く。近所に買い物に行くときとほとんど荷物が変わらない。というかその基準であれば、裸でも生存は可能だ。うじゃうじゃ重たがるのは嫌なのだ。

例えば、私にとってドライヤーはなくて済むものだから、わざわざ重たい思いをして持ち歩かない。
夜シャワーを浴びて濡れたままの状態で眠るのが嫌ならば、風呂は朝入ればいい。勝手に乾く。ドライヤーの出番は不要。

それは私が長髪でないからでもあるけれど、それをいうならば髪だってなくてもよいものだ。

以前坊主になったことがある。髪は女の命、という言葉を聞いたことがあった。けれども、私は髪がなくても生きていけた。秋にそうなったので、毛髪がない状態で冬を越すのは寒い、という苦難はあったが。

そんなスタンスであるし、自身の誕生日が夏休み真っ最中であることも関係して、誕生日プレゼントをもらうという経験も乏しい。何かもらう、という感覚がよくわかっていない。

だから、相手にあげるのも困る。どうしていいのかわからないから。

さらにセクシュアリティの問題も絡むのかもしれない。(個人の問題だろっ!というツッコミは大前提としても。)

私は「女の子の憧れ」「女性なら誰もが喜ぶ」類のキャッチコピーで世に並ぶ物品に魅力を感じたことがない。

女友達が「可愛い〜」といって飛びつく物たちを、(そうか、これは可愛いのか)と外国語を新しく学ぶ人の謙虚さで、受け入れてみる。もちろんそれで好きになるわけではないから、ただ単に世界にあるものを多く知って視野を広げたい、という学習態度によるだけだ。

だからといって、「男の憧れ」に共感するわけでもない。男でも女でもないように自認しているXジェンダーの仕方がないところだと思っている。

自分が身に纏うものは大抵、男女の二分化を意識させないものが多い。男でも女でもこういう格好をしているかもな、というものばかり。

けれども、世で売り出すプレゼントの類は「彼女にぴったり」「男ならコレ」という、ゴテゴテの男/女の世界なのだ。選びようがない。

ちなみに、「女にあげるプレゼント」「男にあげるプレゼント」ランキング上位に並ぶ物たちは、どれも欲しいと思わない。

というより、ゴミを増やされても困るから、無理やり渡さないで欲しい、と思う。それで感謝を強要される雰囲気があろうものなら、それは「有り難迷惑」の「迷惑」要素しか残らない。

欲しいものは自分で確保するように努める。選び抜く。愛を持って使い倒す。彼女とラブラブの彼氏さんに、風俗嬢を押し付けても、その男性は喜ばないものじゃないでしょうか。(そうだといいなという夢も込めて)

何かくれるということは、嬉しい。
それはその物をもらったからではなく、自分を想ってくれたことに感謝するからだ。

相手のことが好きだから、何をくれたとしても嬉しいし、何もくれなくても存在してくれるだけで嬉しい。それだけなんです。

だからもし「欲しいものは何?」と聞かれたら、一緒にいて欲しい、と答えるかもしれません。

#エッセイ #プレゼント #Xジェンダー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?