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ある晩、OB・OGがご馳走してくれた。
あちこちに散らばるライトが清楚なおもちゃ箱のようで綺麗な店だった。開けたテラス席からの夜風が心地よいし、気兼ねなく煙草が吸える。飲み放題のカクテルメニューも不足はない。


けれど、退屈を持て余している私がいた。

私は別に彼らが務めている記者という仕事には興味ないのだとわかった。

後輩の方が熱心だった。大学二年生時から就活のために動かなきゃ、って壊れた機械みたいだ。伸びちゃうから早くパスタを取った方がいいよと思った。

私の所属する哲学科では、まるで世の中から存在を抹消されたかのように就活の単語は持ち出されることがない。

同じ文学部でも、学科によって傾向は全然違う。ただ単に哲学科だけ異質なのかもしれないけれど、むしろその他大勢の学部学科の集団こそ、洗脳されたように就活を唱えるのは非人間的で奇妙だ。機械の方がよっぽど高度で精密な作業をやってくれるのに、人間が血眼なフリして就活し働き続ける意義って何なのだろう。


私がこんなだから、カフェで目の前に座る友人とも噛み合わなかった。彼女は文学部だが哲学科ではない。

彼女はインターンに向けてのESを書いていた。私はフランス語で読書していた。

見てよ、今日だけでフランス語50ページ読んだんだよ、と得意げに報告する私は、ポケモンで四天王一気にやっつけたんだよ、と自慢する小学生と変わらないくらい、就活とは縁遠かった。私がフランス語で本を読むのは、楽しいからであって、就活に役立てたいからとか、日本とフランスの架け橋になりたいからではない。好きなゲームに一人で夢中になるのと同じことだった。

語学や哲学を学ぶこと自体、それらを扱う先生にでもならない限り、金になるものは何も生み出さないのだから。旅をするのと似ている。私にとっては旅は通過点や娯楽ではなく、もはや生きることと同義だ。

だから語学や哲学をもぎ取られた私に就活という選択肢が与えられても、それは水のない魚とか皮膚のない人間くらい憐れな存在だから、というより生きていられないから、とっとといるべき場所に戻すか、さもなくば虐める前に見放してほしい。


「空衣と話してたらなんか就活とか無理になった。休学したい」

終いにESを書き途中の友人はこんなことを言う。私は笑ってしまって、それから ごめんと言った。

#エッセイ #就活 #大学

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