ネットラクイズの光と影

1998年「今世紀最後!史上最大アメリカ横断ウルトラクイズ」が復活。応募者数10万人、東京ドームに50453人が集まり6年ぶりの大型クイズが行われました。
ネットにおけるウルトラクイズの元祖といえるのは同じ1998年に開催された「今年度最後!電子上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ」となります。
これよりも前にネットによるウルトラクイズ、いわゆるネットラを開催したホームページが存在したかもしれませが、間違いなく「今年度最後!電子上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ」がネットラクイズの火付け役として先頭を走っていたことに間違いはありません。

なぜネットラクイズが多く開催されるようになったのか。このように、ウルトラクイズにあこがれ自分たちのウルトラクイズを行う。それをネットクイズならば実現できるのではないか?
ウルトラクイズファンの話を聞くと地図帳にウルトラクイズのルートを書く、次に自分だけのウルトラクイズのルートを作る。その発展形が自分でウルトラクイズを再現するに行きつくのではないでしょうか。

私も地図帳に自分だけのウルトラクイズルートを書いたり、ウルトラクイズの企画書をノートに書いたりとしていました。
実際に行った例として「今年度最後!電子上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ」の統括サイトである「ultra square」のアーカイブをご覧ください。
主催の睦月さんが学校の休み時間を利用して「紙上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ」と銘打って行われた記録が残っております。

このように、子供のころにあこがれていたウルトラクイズをネットで再現したことにより、自分だけのウルトラクイズができるのではないか。それがウルトラクイズの復活と重なってネットクイズで爆発的に増えたのではないかと思われます。

他にも様々なネットラが存在しました。一例をあげると「超ソボクなホームページ」で1999年12月に公開、翌年から開始した「アオ森カ横断ウルトラクイズ
2001年にはニューヨークから日本を目指すウルトラクイズのルートを逆に向かう「devinette」で公開されていた「ラトルウクイズ
同じ年には「Lunatic Fantasy」によるアシベリアからニューヨークを目指す「シベリア横断ウルトラクイズ」が開催。
特に「シベリア横断ウルトラクイズ」は要所要所にイラストが掲載され人気となり、2005年の第2回大会ではネットラクイズ最多人数である360人が参加。
かつて、ひでぽんさんが運営していた「ひでぽんの巣」では「アメリカ横断スルノカクイズ」を開催。後発でありながらも国内国外問わず5回行われ、現在では2016年にオフラインによるオープン大会にまで成長しました。

このように輝かしい記憶に残るネットラクイズがあった反面、ネットラクイズの影でもある途中でネットラ自体が中止、もしくは自然消滅してしまうことも多くありました。

一つの要因として、企画の前半は大量に人数を絞り込むものの、残り10人近くからは1人ないし2人が失格となるので、単発クイズ企画の10倍以上労力がかかってしまう。
他にも、少人数が失格になる場面で解答締切過ぎても提出しない人が出てくる。長期間行うので仕事や学業やプライベートでトラブルが起きるとネットラの運営自体ができなくなってしまう。
大型企画であるがゆえ、その運営は並大抵のものではなく継続的に続けていくことがネットラには必要でした。

それでも、ネットラは魅力的でありネットクイズの象徴でもあったように思います。
私自身、20年前の20代だからできたことであり、40代の私にとりましてネットラクイズを運営する若さも体力も時間も今は持ち合わせていません。
20年前だったからこそネットラができたのかもしれません。


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