ボタン【オカルト】

「これ本当に押しちゃダメなんですか?」
「気持ちは分かる。だが、まだダメだな」

隣に座る部下がソワソワしながら聞いてきた。
この会話も何回したのか分からないくらいだが、正直私も早く押したい所だった。

飲食店とかによくありそうな楕円形で、土台が黒に押す部分が赤色のボタン。
これを押すのが私達の仕事だった。

頻度は多い時で週に3桁は押す事もあるし、少なければ1ヶ月押さない事もある。
他にやらなければいけないのは、そのボタンの前の壁に所狭しと並べられた多数のモニターのチェックだ。

「あ、これはどうですか?」
「なんだ押したがりだな。どれどれ……いやぁこれは大丈夫だろう。暫く見てれば分かると思うが、きっと生涯年収より多い額を請求されるだろうさ」
「はぁー、そんなもんですかね?」
モニターには田畑をカメラを肩に抱えもったもったと走り抜ける若い男の姿が。

「あ、じゃあこれはどうですか?」
「まぁこれも似たようなもんだろうな、この程度なら任せておいても勝手に自滅してくれる」
モニターには道行く女性に肩をぶつけていく男性の姿が。

「中々判断が難しいものですね」
「そうだな。正直俺も押したい所だが……おっ、40番を見てみろ」

40と書かれたモニターには、何かを仰々しく熱弁する男の姿が。男を撮影する人々も、それをテレビ越しに観る人々も、うんうんと熱心に聴いては頷いている。
「ああいうのがな、定期的に出て来ては無垢な民衆から金を巻き上げていくわけだな。見ろ、凄くそれっぽい事言ってるだろ?」
「まぁ良さげな風には聞こえますね」
「得てしてああいうのは裏で何かしらやってる」
「へぇ」
「確か……資料Pの507ページか、がそいつのデータだな」
「あ、これですか」

バラバラとファイルを開くと、モニターに映る男の写真が載っていた。部下は資料を流し読みし、一言

「こいつはクソっすね」

そう吐き捨てた。
部下に全幅の信頼を置いているのは間違いないが、念の為私も資料を見る。

「お前まだ押した事ないんだったか」

言うと部下は目を輝かせた。
「え! もしかして」
「そうだな、そろそろ良いだろう。申請書の書き方は知ってるな?」
「勿論です。穴が空くほど読んでますので」
「よし。じゃあ……ああ、丁度いい。今日予定だった197のボタンも一緒に押してくれ」
「分かりました」
目の前にある40と書かれたボタンを押すと、どこからともなくトランペットの短い演奏が聞こえた。続いて背後にある197と書かれたボタンを押すと、同じメロディが流れた。
「あとは申請書出しに行くだけか、出しといてもいいがまぁ覚えとくに越したことないし、一緒に出しに行くぞ」
「分かりました」
デスク下に収納されていた用紙を2枚抜き取り、部下と連れ立ってモニターがある部屋を後にする。


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「────演説中の高橋氏らが立ち並ぶ交差点へと乗用車が突っ込み、高橋氏を含む12人が死傷し、運転していた加茂紀久さん72歳も死亡した事故についての続報ですが────」

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