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カマキリ先生に学ぶ「情熱こそ説得力」

シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
新約聖書  ルカによる福音書 5章5節 (新共同訳)

半引きこもり生活のおかげで、久々にテレビを見る時間を持てています。そんな中、NHK Eテレ「昆虫すごいぜ!」の再放送を観ました。番組自体を知ってはいたのですが、観たのは初めてでした。

「昆虫すごいぜ!」、俳優の香川照之さんが「カマキリ先生」に扮して、熱い昆虫愛で授業をする教養番組です。

私は歌舞伎が好きで、氏を「市川中車丈」として舞台で拝見したことは何度もありました。時々演目の中で「釜桐」という名前で登場したり、「虫が好かねぇ? いや、俺は虫が大好きだ!」なんてセリフが出てきたりするので、氏の昆虫愛はよくよく存じ上げていたつもりです。

でも初めて番組を観て、その熱さ、変態ぶり(褒めてます)(番組内でご自分でもそう仰ってました)に改めて感服……!

「本当に“それ”を好きな人が語る」ということの強みを、しみじみ感じさせられたのです。

振り返ればこれまでに、自分の周囲にもそんな人がいました。

高校の地理の先生。初回の授業で「地理は“塵”だ」と言い出したことをよく覚えています。要するに「マニアックかもしれないけど、学問と学問のスキマを埋める大切な要素なんだ」ということだと理解しました。先生の誇りと愛はびしびし伝わりました。勉強内容はほとんど忘れてしまったけど、その先生の授業はすごく好きでした。

大学時代のある先生。「お金を払ってでも人に教えたい聖書を、お金をもらって教えられるなんて幸せ!」と、しばしば仰いました。これが強がりでも何でもなく心の底から言っておられて、初めて聞いた時はビリっと感電したような気持ちになったほど。今なお、授業で行き詰まる時の私の励みになっています。

「金言集」のような本もたくさんあるし、教養としては意味深いものです。でも「本当に人を動かす言葉」というのは、「言葉そのものが何を言っているか」ではなく、「その言葉を誰が言っているか」が重要なんだろうと思います。

どんなに素晴らしいメッセージであっても、人間的に信頼できない人の言葉はなかなかうまく聞き入れられません。逆に、尊敬する人物の言葉であれば、何気ない一言でもこちらが勝手に含蓄を感じることさえあります。

冒頭の聖句は、イエスが弟子たちと出会う場面です。当時はただの漁師だったペトロたち(この頃はまだシモンという名で呼ばれています)。夜通しの漁で何もとれず、消沈して網を片付けていたところへ、イエスが舟を貸してくれるよう頼みます。イエスの話を聴きに群衆が押し寄せて来たので、湖畔の群衆に向けて演台よろしく舟の上から語ろうとしたのです。そして話し終えるとおもむろにペトロに、「網を降ろして漁をしてみろ」と言い出します。

イエスさままじで強気です。仮にもその道のプロであるペトロたちが、時間をかけても成果を出せなかったのに、門外漢の立場でアドバイスしちゃうわけです。ちなみにうちの次男はよくこれやります。「左足もう一歩踏み込んでバット振ってみたら?」などとドヤ顔で兄に向かって「指導」します。小さい子どもだから笑って許されるけど、いい歳したおじさんだと「お前なんも分かってねえな」以外の何物でもないですよね……。

ところがペトロは「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と、イエスの言葉に従います。

なんで?! この人大工の息子ですけど?!(イエスの父ヨセフは大工さんだそうです) そんな人の無責任なアドバイス聞き入れちゃう?!

普通なら考えられないことですが、もしかしたらペトロ、この直前にイエスが群衆に向けて語った言葉を聞いて、「なんかこの人ただ者じゃねぇ…!」と思っていたのかもしれません。「この人の言葉なら、従ってもいい。たとえ騙されてもいい」。そう思えるほどの信頼感を、イエスの説教から感じ取っていたのかな、と想像するのです。

得てして、ためしに降ろした網にはおびただしい魚がかかって破れそうになり、慌ててもう一艘の仲間の舟に助けてもらうことになったのでした。奇跡的な出来事に驚いたペトロはひれ伏して、イエスの弟子となったのでした……という出会いのお話。

翻って、教員として牧師としての自分も、「聖書まじすげーんだけど!!」「このイエスさまの言葉、めっちゃいいと思わん?!」みたいな純粋な情熱で語っていきたいものだなぁ、と思います。

「この人、本気で聖書の言葉と生きているんだな。この人が言うなら、ちょっと読んでみようかな」。そう思ってもらえるように、「カマキリ先生」級の「聖書の変態」目指して精進します。

200424カマキリ先生note用イラスト


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