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日本の奇跡

 日本の歴史を俯瞰して見たとき、はっきりと浮かび上がる縦軸の線がある。それは綿々と受け継がれてきた皇室であり天皇の存在です。現代の科学で証明できているだけでも、天皇の歴史は千年以上さかのぼります。絶えることなく受け継がれるその存在は他に類を見ない人類の奇跡そのものです。
 千年以上の歴史の中で、天皇の仕事は一貫しています。それは世界の平和と国民の幸せを天の神々に祈ること。歴代の天皇はそのことを常に自らの最大の務めとし、日々祭祀を行われてきました。
 時は流れ、現代の天皇陛下は記紀の神代から数えて126代目となります。現代の徳仁今上陛下も歴代の天皇と同じように日々皇居の中で、神々に祈りを捧げられています。もちろんその内容は「世界の平和と国民の幸せ」です。
 記紀が記された千年以上も前から、天皇という存在が同じことを祈り続けられているというそのことが、この国の奇跡以外何者でもないと思うのです。

神主の長としての天皇

 天皇は王として君臨しているわけではありません。
 天皇の存在とは何なのか。それは国民の先頭に立ち、神に祈りを捧げる存在です。国民は天皇を通して神と繋がり、天皇は神と国民を媒介する仲介者の役目も果たします。
 常に神の近くで祈りを捧げ、国民の幸せを祈り続ける。そして国民はそんな天皇の存在に感謝し、天皇を守る。これが千年以上も受け継がれてきたこの国の形であり、この国の国体なのです。
 天皇の祈りは全国の神社でも受け継がれます。全国の神社では日々、皇室の弥栄と、この国の平和が祈られます。天皇は全国の神社の代表として皇居の中で天の神々に祈りを捧げます。
 私たちが年始や人生の節目で参拝する神社は、距離や時間を超えて、毎日天皇と共に神々に祈りを捧げ、世界の平和と国民の幸せを祈っているのです。
 神社は日本全国津々浦々、あらゆる場所にあります。全国の神社が皇居の天皇と共に祈りを捧げる。その祈りの力は目に見えないものではありますが、千年以上続いてきたその歴史を考えるとき、決してその祈りが非力だとは思えないのです。

神社とは何なのか

 日本に住む人間としてはあまりにも身近な存在である神社。
 しかし私たち日本人はあまりにも身近すぎてその存在の意味を深く考えることがあまりありません。なんとなく尊い神様が祀られていて、お賽銭を入れて自分の願いを祈るところ、そんなイメージを持っている人が多いと思います。当然の神社の一側面としてそのような側面があり、それは間違いではありません。大切な神社の機能の一つです。
 しかし縦軸である天皇の歴史と、令和の時代の現代が交差する場所である神社という存在を考えるとき、決してそれだけではない、もっと根源的な姿が見えてくるはずなのです。
 なぜ他国に存在しない神社が日本に存在するのか? 現代においても廃れることなくしっかり地域に根づく存在として神社が存在しているのか?
 もう一度見つめ直すとき、私たち日本人の無意識にも迫る重要な何かが見えてくるのではないか、そう考えるのです。

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