015|モチーフのその先
Title|destruction
Date Created | 2021
Art Supplies|ペン
Size|-
Concept|
滴るその液体の中には泡のような水晶が見えた。
自らの制約と首を捧げた儀式に
美しさなどありもしないというのに。
Explanation|
この作品の始まりはただの泡だった。それはシャンプーなどではなく、絵の具を使うときに使用する水を、ばしゃばしゃした後に残るような儚い泡。すぐに浮いて空気に触れると消えるそんな泡。一瞬しか現れない水中に残された酸素の塊。まるでそれは美しい水晶のようにも見えた。私自身単純に、ヤギを描いてみたいという好奇心もありました。それはツノの生えたヤギというものが無性にかっこよく感じたからです。また、モチーフがあった方が私自身はクオリテイの高いものを作成できることを知っていたためです。しかし、モチーフを決めて描くだけならば正直デッサンと何ら変わらない平凡な絵になってしまいます。そこで自慢ではありませんが、私は描いたモチーフ対しての装飾や崩し方が自分では上手いと思っています。そのため、私が描く絵は一般的に描かれるモチーフが多いものの唯一無二の表現ができるのです。誰でも知っている、見たことのあるものほど自分なりの表現にすることは難しくなります。なぜなら、この絵どこかで見たことある。という意識が芽生えてしまうからです。それでも私の絵は今までに見たことのない繊細な表現を得意とし、常に新しい表現をぶつけています。良く言えば飽きのこない絵柄だと思っています。逆に言うと誰が描いたかわからない絵になっているかもしれませんね。それでも私は自分の表現を大切に宝物のように思っています。常に新しい目線でインプットし、新しい表現でアウトプットする。この工程が私を構築しているからです。そしてこの作品『destruction』は、その圧倒的な存在感のある山羊と、それを取り囲むように泡が山羊を包むのです。首皮一枚。山羊は死を悟り、泡のように消えていくのです。目の光があるその瞬間を切り取った、闇魔術のようなおどろおどろしい作品です。これも様々な視点が考えられます。山羊はキリスト教では悪魔の化身として扱われ、生贄として捧げられます。その山羊は人間のエゴによって濡れ衣を着せられた悲しい生き物でもあるのです。そんな身勝手な人間の思想によって殺されてしまう。その目に写る最後の景色は何だったのか。山羊にしか知りません。しかしそれも束の間。息を引き取るまではそう長くはありません。そんな悲しい瞬間を泡と共に消えていく様子として表現したのです。これを見ていただいている皆様にとって儚いものはありますか?感情でしょうか?それともお金がなくなるときでしょうか?儚いの価値観も人それぞれですね。私にとっての儚いは必然的に無くなってしまうものです。そう思うと命も必然的になくなる儚いものですね。しかしその必然性を他者によって侵されたとき儚いから怒りに変わるのです。そんな気持ちも込めたこの作品。皆様も人の儚い感情に安易に踏み入れてはいけませんよ。儚さと怒りは紙一重なので。それではまた。