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歩いているときはしゃべれない

体と心が弱いことは決して損なことばかりじゃない。

ゆっくりでもいいじゃないか。

そんな風に思える小話を2つ紹介してみます。

僕が実際に体験したことを書きました。

もちろん、体と心が強い人をバカにする意図はみじんもありませんので、そこんとこご理解くださいね。

タフな人

昔から健康だけが取り柄でさ。
だから、いろいろ引き受けてしまっても

結局何日か徹夜したら
やり切れるんだろうってどこかで思ってるんだよね。

本当はそんなことないんだけど。

それで、
予定をすっぽかしたり、
締め切りに何度も遅れちゃったりして。

嫌だなって思うことでも、
なんとかやり切ればいいことあるかもって
少しでも思えたら捨てられなくて。

いつまでたっても、
やることをぜんぜん絞れないんだよね。
おかげで毎日ストレスフル。hahaha。

タフな女性の友人がそんなことを言っていました。

僕は、やることを絞るのにそんなに悩んだことがありません。

彼女の悩みは新鮮でした。
ちょっとうらやましかった。

僕は、貧乏な家に軟弱な体と心を持って生まれ、
たいてい最初からやれることは限られていました。

すぐに体を壊して倒れるか、
精神的に追い詰められてしまうため、
彼女のように「やりきれてしまう」みたいな事態は
ほとんど発生しえなかったんです。

可能性をいくつもキープしておくことができない身と言えます。

だから夢を見れなかったというわけではなく
取れる選択肢があまりに限られていたってことです。

もし、彼女が1日に4時間しか動けない体になったら
考え方が似てくるのかもしれません。

歩くているときはしゃべれない

高校生の時、
僕のマイブームは
街中で人に話しかけることでした。

バスに乗って隣に座っている人に
話しかけてみたり、

公園やスーパーの休憩スペースで
おじいさんに話しかけてみたり。

小さく弱そうな見た目と高校の制服が揃えば
警戒されないだろうという謎の自信があったのです。

それに、一目で自分と会話してくれる相手かを
見抜く力もなぜか持ち合わせていましたし。

ある日、天気の良い昼間に
一人散歩をしていた時のことです。

角を曲がったところで、
数十メートル先をゆっくりゆっくりと
歩いているおじいさんを見かけました。

歩幅が小さい上に、
一歩一歩に時間をかけていて、
2、3メートルを進むのに
10秒くらいはかかっていました。

家がどこか知らないけど、
あのおじいさんが家に帰るまで
あと何時間かかるんだろう。

そう思ったら、
話しかけずにはいらませんでした。
おじいさんが家に着くまでの間、
話し相手になろうとお節介を焼いたのです。

半歩先くらいの位置に出て、
おじいさんの右斜め前から
「こんにちは、お散歩ですか」と話しかけました。

「おぉ、こんにちは。学生さんかな?
パトロールをしているんだよ」

と息切れ気味のおじいさんは笑って答えます。

あとで聞いた話によれば、
数十年前まで高校の先生をしていて、
生徒が夜遊びをしていないかと
深夜の見回りをしていたそうです。

その日は単に散歩でしたが。
ユーモアのあるおじいさんでした。

話は弾んで、30分以上は経過した頃でしょうか。

僕は、重大なことに気がつきます。
5メートルくらいしか進んでいない!

それもそのはず。
おじいさんは話すのと歩くのを
同時並行できないのであります。

歩くときは歩くので精一杯。
話すときは話すのに全力投球。

参ったなと思うと同時に、
僕は美しいなとも感じていました。

一つ一つの動作に生を感じるというのか。

無理せず、
ゆっくりゆっくりと
一歩一歩を丁寧に歩んでいく。

おじいさんの歩みに寄り添いながら、
生産性とか社会への提供価値がどうのとか
そんなものの味気なさを感じました。

もちろん、生きていくためには
生産性も提供価値も考えなくてはならないでしょう。

だけれども、
このおじいさんから感じた美しさを
いつも忘れないようでありたいなと胸に刻んだのも真実です。

結局、その後10メートルほど付き合って、
おじいさんの家の10メートルくらい手前のところで別れました。

家近っ!


おしまい

いかがでしたでしょうか。

楽しんでいただけたなら幸いです。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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