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平井俊徳の鬼八研究ノート

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高千穂神社の主祭神とされる三毛入野命、別名『十社様』。 元からいた地主神である鬼八との戦いは三毛入野命が勝ち、高千穂に平和をもたらした。 しかしながら、高千穂で今なお愛されている… もっと読む
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高千穂呪術廻戦物語その3

高千穂呪術廻戦物語その3

さて、今までは高千穂に伝わる神事『猪掛祭』の説明。これが、呪術師とどう関係があるのかを説明してきた。

それでは、鬼八再生術、『猪掛祭』を始めた氏族は一体だれなのだろうか?

これは、私の考えであるが、猿田彦と天鈿女を祭人とする荒立神社、ここ周辺を本組地区と言うのだが、ここには室町時代の十社御縁起によると、神社の後方の山を神呂木山といった。ここは男の神様がいたというが、考古学的に発掘すると、土器が

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高千穂呪術廻戦物語その2

高千穂呪術廻戦物語その2

前回は鬼八と三毛入野命が呪術を駆使しながら戦いあい、三毛入野命の勝利で終わった話。また、鬼八、三毛入野命の素性を私の考察のもと、呪術との関わりを紹介させていただいた。

今回は引き続き、呪術との関わり、考察をまとめていきたいと思う。

鬼八は身体をバラバラに斬られ、それを埋められるが、何度埋めても甦ったという。

これは一説には、地元のいくつかの集落での豪族、要は『まつろわぬ者』を退治していったの

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高千穂呪術廻戦物語

高千穂呪術廻戦物語

以前記載した、三毛入野命と鬼八の戦い。

この中でも書いてある通り、神武天皇との東征の際、日向へ戻られた三毛入野命は神武天皇の兄である。

現在日之影町には、三毛入野命の伝承地が多い。
その、【日之影】と名付けられた由来として、鬼八という鬼が高千穂郷において、悪さをしていて、村人も困っていた。

鬼八は三毛入野命が向かっているという情報を得て、法術を使って大雨を降らせたという。

鬼八は色々な名を

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鬼八とヒメヒコ制について

鬼八とヒメヒコ制について

鬼八についてヒメヒコ制という視点から考察していきたいと思う。

ヒメヒコ制とは。

【ヒメ・ヒコ制】より

…男首長への支配権の一元化を通じて古代国家の形成がすすむにつれ,この体制は急速に消滅していった。ヒメ・ヒコ制を廃するために,宗教権をもったヒメを召し上げる制度として実施されたのが采女(うねめ)制であった。一方沖縄では,各家から国家のレベルに至るまで,ピラミッド型の二重支配体制ができ上がり,女

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鬼三の名は? 高千穂を取り巻く阿蘇と宇佐

鬼三の名は? 高千穂を取り巻く阿蘇と宇佐

旭大神文書において、初めて登場する鬼八。

この文書においては、首を切られ霜を降らせたとは記載されていない。

この文書は文治5年(1189)の書である。

その後の建武5年(1338)においても霜というワードは出てこない。

延宝2年(1674)の高千穂庄神明帳においても鬼八は出てくるが、霜宮とは出てこない。

霜宮と出てくるのは、私が持っている資料では文久3年(1863)樋口種実の高千穂庄神蹟

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鬼八についての最終考察その④

鬼八についての最終考察その④

高千穂、あららぎでの戦いは終わった。

そして、もう一つ重要な場所がある。

鬼八が住んでいたとされる乳ヶ窟。

ここは、押方地区二上山の麓になる。

あららぎの里とどういう繋がりがあるのか!?

ここで、登場する重要な人物が【漆島氏】である。

宇佐神宮でも神官を務めていたが、高千穂を攻めてきた大神氏や田部氏に名を連ねない。

以前noteでまとめた記事を参照いただきたい

https://no

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鬼八についての最終考察その③

鬼八についての最終考察その③

十社大明神こと正市位様は富高(現日向)より、日之影、高千穂へ、帰ってこられたとある。

『日向の国戸鷹』より高知尾に御登りなさる。
※ 旭大神文書より

これは、何を意味するのか!?

大宝律令として宇佐領は宮崎県北部もその領内に入っていたのだが、その神官を務めたのが、宇佐氏、大神氏、漆島氏、田部氏である。

しかしながら、田部氏は宇佐神宮史に神官を務めていた記録はないそうで、郷土史家の田尻隆介氏

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鬼八についての最終考察その②

鬼八についての最終考察その②

そもそも、私が"なぜ修験者!?"と考えた理由を述べておく。

それは、興梠古伝記を読んだ時に、英彦山というワードが出てきたことから始まった。

英彦山って、どういう繋がりだろうと調べていった。

http://yamataikoku9.web.fc2.com/index.html

ネットから色々と参考にしたもの。

その際、鷹が登場する事が気になった。

前々回にも書いた興梠古伝記の中で、藤岡山

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鬼八についての最終考察 その①

鬼八についての最終考察 その①

以前からまとめて来た、高千穂神社縁起や興梠文書、そして、様々な文献等、また諸先輩方からのご指導により、自分なりの『鬼八』像というものをまとめていきたいと思う。

まず、結論から言うと、鬼八というものは、その時代時代で違うので、鬼八①、鬼八②など、分けて考えた方がいいということである。

誰が、鬼八伝説を作り、伝承していったのかを考えることが、真実を追求するよりも大切な事ではないだろうか?

さて、

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高千穂古伝記 (興梠古文書より 其の2)

高千穂古伝記 (興梠古文書より 其の2)

≪鬼八退治≫
三毛入野命、宮崎より御引き戻し、鬼八退治のため同勢33人引き連れ、団子宮に御入りになった。堂社祭神は事代主神、天児屋命である。三毛入野命その神元へ御入りになった際、空腹だったため、「何か食べ物はないか?」と聞くと「食べものは一つもないが、天児屋の染め物用に使う糊があるので、これでも宜しければ差し上げますよ。」と答えた。三毛入野命、同勢一同空腹だったので、皆これを食べた。よって、【団子

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建武5年 高千穂十社御縁起

建武5年 高千穂十社御縁起

兄弟3人はどこに下向(都から地方へ行く)して住めばよいのか、あちこちを探していると、ある所より、少し高いところがあった。一の祝子(高千穂神社付近)に着き、とある山を見てみると、川上の深山の方からなにやら光るものが流れてきた。兄弟3人の王子は、驚き
「これはいったい何だろうか?我らを妨げようとするものではないか!?」
と、深山へ入って行った。
 これは同じ郡の中にある高千穂峰というところである。
 

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祭神は誰か?その2

祭神は誰か?その2

鬼八という悪者が高千穂で村人を困らせていたことは、以前まとめた通りである。

https://note.com/kucky918/n/n4cc325123bc0

鬼八伝説という物語が登場するのは、旭大神文書。1189年のものが1番古いとされる。

時代は鎌倉時代。

『きはちふし』と記載されており、入道していることはご承知の通り。

『鬼』

というワードは仏教、インドからという。

『きはち』

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祭神は誰か?

祭神は誰か?

「氏神とはどの氏族がどの神様を祭神としたことによって変わってくる」

と、高千穂町文化財保存調査委員の田尻隆介氏は言われた。

ここは高千穂神社。

神武天皇の兄、三毛入野命とそして、妻の鵜の目御前、以下その子供達を含め、十社大明神とも言われている。

高千穂神社で1番古いとされる旭大神文書によると、

「志んむの王子正市位」

とある。

つまり、祭神はこの正市位様となる。

高千穂神社は何度も

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鬼八とは一体何者?

鬼八とは一体何者?

【平井俊徳の村々探訪】

高千穂神社の祭神でもある三毛入野命(ミケイリノミコト)
※ 「三毛沼命」とも書く

神武天皇の兄でもあり、五瀬命、稲飯命、三毛沼命、佐野命(後の神武天皇)、四兄弟の三番目である。

霜宮とされ、霜を司る神とされる鬼八。

鬼八はまたの名を「鬼八法師」「きはちぼし」そして、文久3年(1863年)の高千穂庄神蹟明細記 (樋口 種實著)では「走健(はせたける)」が本名と

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