見出し画像

吉村さん(bloodthirsty butchers)のこと。

春が終わり夏はもうすぐその角まで。

たまたま先月くらいから、ブッチャーズを心なしかいつもより聴き返していたり、吉村さんの出身地である留萌の場所を何の気なしにGoogle Mapで見たりしていて。
で、5月に入ったゴールデンウィークの最中、ライブツアー仕事で札幌に行く用が出来て、あぁそういえば吉村さんと初めてちゃんと会話したのも札幌のZeppだったなとか、今はどうしてるのかなあっちでもいいちこやら余市やら飲んでるのかなとか取り留めもなく考えたりしてたら、あれ今までぜんぜんお墓参り行けてなかったけどこれがんばれば翌日に行けるのでは? と思い立った。

それが奇しくも吉村さんが亡くなって、ちょうど10年になるこの5月だった。

さすがに、これはもう吉村さんから「いい加減遅ぇーぞ」って言われてるなと、お墓のある留萌までどうやって行くのかを調べてみたらついこないだの2023年3月31日付で留萌線というのが廃線になっていた。
それで何というか、そんな北の町から吉村さんはあの感情とギターを担いで出現してきたんだよなって勝手に納得をした。

留萌までの移動の手段としてレンタカーだったりも考えてみたが、札幌から直通のバスがあるようなのでせっかくだしここは身を任せていろいろ向き合いながら訪れようと決めた。

当日、朝早くに宿のチェックアウトを済ませ、札駅で海鮮弁当なぞを買い込み中央バスターミナルへと向かう。今まで札幌なんて数え切れないほど来ているのに公共のバスに乗るのは初めてかもしれない。

無造作な打ちっ放しコンクリートに囲まれたターミナルは思いのほか大きく、初めて目にする路線も多岐にわたっていて人々はここから広大な北海道のあちこちへと出掛けていくのだろう。当然だがいつも慣れ親しんでる沖縄の離島ターミナルとは違った趣きの旅情だ。

留萌行きのバスは思ったより人が乗車待ちをしていて、もしかすると廃線の影響もあるのかもしれない。ここから3時間弱の旅だ。

なにせ時間はたっぷりあるし、車窓を楽しみながら弁当を食べたり本を読んだり寝たり(前夜の打ち上げもあって寝るのが遅かった)すればいいやと思っていたが、なぜか食欲も湧かず眠るにも眠れず淡々と通りゆく北海道らしいスケールの風景や時折通過するノスタルジックな街並みを眺めているうちに、ちょうど正午くらいに留萌に着いてしまった。

さすがに腰も痛くなっていて身体を伸ばしつつバスを降りると、留萌の空は青すぎるくらいに晴れわたっていて惜しみなく陽差しが降り注いでいた。
が、涼しい!
札幌とですら気温が明らかに違う。緯度で考えれば理屈では理解出来るが、ちょっとした驚きだ。

同じバスに乗り合わせていた人々は迎えの車だったりで三々五々にいなくなり、あっという間にひとりになった。右も左も判らずとりあえず花とお酒(札幌のコンビニにはいいちこが無かった)をどこかで探さなきゃと思い、当然土地勘もないのでひとまず留萌駅に向かってみることにした。
街、というより町は行き交う人も見当たらずまさしく時が止まったような表情をしている。

すぐ駅(正確には駅跡)に着くと、容赦なく駅名も剥がされてしまった昭和然とした建造物がひっそりと佇んでいた。
いや、ノスタルジックと言うには早いよな。
形あるものはいつか消えてゆく。人も同じだ。

駅前にある魚市場らしきところだけは少し賑わっているようだったが(見たこともないくらいでかい蛸の足が並んでいた)、魚をお供えに買ってくわけにもいかないので、町中を進んで行くと地産のお土産と観光案内所的なのを兼ねた施設が見えた。
そこで花屋の所在を訪ねると、年配の女性が快く市街地MAPに蛍光ペンで印を付けながら丁寧に位置関係を説明してくれて「タクシーも呼ぼうか?」と、タクシー会社の番号を短冊切りにしたウラ紙にわざわざ書いて渡してくれた。
優しいなあ、今度来る時はここでゆっくりお土産を選ぼう。

教えてもらった花屋に着き、なんとなく黄色い花が良いかな元気そうなヒマワリとかなんか吉村さんに合いそうだよないやそもそも花なんて柄じゃないかなとか考えながら、数本花束にしてもらった。

その先にあったローカルスーパーでお酒を探してみたが、ここにもいいちこは無く道内産のワンカップ焼酎を買った(ごめんね吉村さん)。

タクシーに来てもらいお墓へ向かう。結構急な上り坂をぐんぐん上がって行くと程なくして到着した。あたりは文字通りしんとしていて、風の音すら無く聞こてくるのは鳥の鳴き声くらい。澄んだ空気に太陽がきらきらしている。もちろん誰もいない。

手桶に水を汲んでお墓を見付けるのに少し迷い、霊園をぐるっと一周してやっとお墓の前に辿り着けた。本当にご無沙汰してますと水をかけお供えして手を合わせ、吉村さんにあれやこれやゆっくり話しかけた。

お墓のある小高い丘の上からは大きな海と青空が見えて、吉村さん綺麗な景色をいつも見てるんだなって少し嬉しくなった。
最後に、また会いましょうねと挨拶をした。

帰り路は丘から見えた海に寄ってみようと思い、だいたいの感覚で坂を下っていった。途中人はもちろん車にすれ違うこともない。考えたら普段の生活でこんな静寂とか孤独感ってなかなか無いものだ。道にも迷えないし、必然的に五感は鋭くなって心の中の自分との会話が増えていく。こういうのは悪くない。

少し大きな幹線道路を渡って路地に入ってみると、突然そこに海が開けた。いつも見てる関東の海とは全然違って、高台の上から視角オーバーで飛び込んでくる尺感とけっして優しくはないんだろうなって肌で理解する自然の強さ。

吉村少年もここで泳いでいたのだろうか。

どこかで書いた気もするが、ビークルと一緒にツアーしてもらってたあの夏、メンバー5人と吉村さんで長崎の海に行った事があった。

人気のない綺麗な入江に転がってた丸太を浮かべて、我こそはと吉村さんが跨る。
「行くぞ、出航ー!」「はいキャプテン!」
神輿かの様に5人で押し進めるも丸太がすぐひっくり返って頭から落ちる。延々とそれを繰り返す。
ずっと笑ってた。

一生忘れないだろうな。めちゃくちゃだったけど。
あれはまさしく“SUMMEREND”だった。

後日、楽屋で吉村さんが全く解明出来なそうなポジションとチューニングでギターを弾き始めた。
「あの日の思い出をコードにしたぞ、コード名はoceanだ!」


そんなことに耽っていたらだいぶゆっくりしすぎて急ぎ足でバス停に戻る。
そう、なんせ2時間しか猶予がないのだ。

心なしか風も出てきて、空模様が陰りはじめ肌寒くなってきた。
それでも少し汗ばみながら誰もいない町を早歩きしてゆく。

途中、小さな桜の木がまだ花を咲かせていた。

そうして留萌を後にした。


札幌に戻り、夜になると涼しい5月の雨が降りはじめた。


翌日、しっかりと風邪をひいた。


ーおわりー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?