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広島の片隅で、細々と編集者・ディレクション・コピーライティングなどを生業として時間を潰す、心身ともにゆるやかなおっさんのひとりごと。 http://shiomachi.com/

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  • くぼのノート

    広島の片隅で、細々と編集者・ディレクション・コピーライティングなどを生業として時間を潰す、心身ともにゆるやかなおっさんのひとりごと。

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しおまち書房の本(2)想いを込めた実験作

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      しおまち書房の本(1)偶然の誕生

      • リトルプレス出版を振り返る

        2012年の8月1日。しおまち書房として最初の書籍(リトルプレス)を発行した記念すべき日なんだけど、普段はすっかり忘れていて、先日偶然に思い出した。そうか、もう8年になるんだね。 特に何かの節目という意味あいはないけれど、いろいろな書籍をつくってきて、20冊を超えたら総括しようと思っていながら、それさえもすっかり忘れていて、やれやれというところ。 結論から言うと、ここらで、しおまち書房のリトルプレスを順番に振り返っていきたいと思うのです。忘れないうちに。 通し番号をつけ

        • 得がたい経験

          きょうの広島はひさしぶりの雪模様。皆様お気をつけください。 先日、短大での「日本語表現」の非常勤講師として、3年目を終了しました。現在、窓の外の雪を見ながら、今期の採点中。反省点はまだまだいろいろあるけれど、昨年よりは進歩したかなぁ。 生徒に書いてもらった感想に「ためになって、得しかなかった」とあって「ああ、苦労したかいがあったなぁ」としみじみ感じながら成績表をつくる。 就職活動を控える学生たちと接することで、企業側の就職に関する仕事にも役立っているし、「こちらを向いて

        しおまち書房の本(2)想いを込めた実験作

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          12本

        記事

          文章の書き方

          3年前から、地元の短期大学で非常勤講師を担当している。今期も大詰めで、あと1回の講義で丸3年を終了する。テーマは「日本語表現」。企業内での人事教育や、制作に関する研修はサラリーマン時代には何年もやっていたけれど、若い学生に対するそれは、かなり勝手が違い、最初の年は、授業のあった日は、何もできなくなるぐらいに疲れていた。 18歳前後、短大に入って、これから遊んだりバイトしたりという生活を夢見ている彼女たちに、「国語」のような学問を教えようと最初は考えていたけれど、あまり響かな

          文章の書き方

          チームで仕事をする楽しさ

          独立して自営になり、協力してくれるスタッフが数人いるものの、基本的にはワンオペで仕事をしています。 こういうぼくを見て「組織の仕事は嫌だったの?」と尋ねられることもあるけれど、その答えは「NO」です。チームで仕事をすることが、むしろ大好きだったといえるでしょう。 自分だけでは考えつかないことが動き出したり、相談し合ったことが、あちこちでつぼみから花になる過程は、今でも好きです。でも、それは置いておいて、一度「じぶんだけ」の仕事をしてみたかった。それが独立した「たくさんある

          チームで仕事をする楽しさ

          「公私が分離した人間」

          ふとしたきっかけで昔のブログを読み返した。10年以上前、インターネットがまだ狭い世界だった時代。人の反応など気にもしない、たわいのない日々の記録。今と比べて、ずいぶんと素直に、その日に思ったことを記している。若さゆえの勢いもある。いずれにしても懐かしい。月日は積み重なるように思っていたけれど、やっぱり過去はうっすらと流れて消えるんだなと思う。 じぶんの文章を読み返す中で、何度も出てくる表現にふと気づいた。じぶん自身のことを「公私が分離した人間」という表現だ。具体例として結婚

          「公私が分離した人間」

          うるさい爺さん

          「コラボ」って言葉は「コラボレーション」の略だ。 本来は「共同作業」って意味ですね。たとえば10年ぐらい前だったら、二者が一緒になって作品を作るのを「コラボレーション」といい、単に一緒に演じたりしただけだったら「ゲスト参加」「タイアップ」ときちんと書き分けていたはず。 なのに、全国的な「コラボ」旋風が吹き荒れた後では、複数のものを一緒にすることをすべて「コラボ」と呼ぶようになってしまった。「ミクスチャー」も「タイアップ」もすべて「コラボ」である。たとえばA社の製品にB社の

          うるさい爺さん

          昔は、文章を書くのが楽しかった

          おもえば、企業に勤務していた時代から、誰かの文章を手直しすることが多かった。当時は、ほとんどが広告や記事向けの文章だったが、独立した今では、企業に関しては提案書などの書類、経営理念、スピーチの台本などにも広がり、リトルプレスの編集を事業の一つに掲げているために、個人の方の作品(エッセイや小説、詩)といったものにまで範囲が広がった。 毎日のように、そういう生活をしていると、昔のように「じぶんの思うように文章を書いてみたい」という気持ちがだんだんと減っていることに気づく。 そ

          昔は、文章を書くのが楽しかった

          コピーを書く

          一般の人にわかりやすいよう、平易な表現やかなで書いたら「恥ずかしいから、もっと難しい言葉にしてほしい、漢字で書いてほしい」という要望が時々ある。日本では、「伝える」ことが「出過ぎたこと」と思われている水脈が地下に流れているんだなぁと思う瞬間でもある。

          コピーを書く

          忘却

          すっかり忘れていたよ。noteの存在を。

          SNSってのは、じぶんの声が広く届く場所…と思っていたけれど、みんながそう思えば、もっと声の大きい人や、巻き込むのが得意な人、話のうまい人、極論でひっぱる人の声のほうが響き渡るという、まったくリアルな会合と同じになるわけですね。では、どうするかが大事ですね。

          SNSってのは、じぶんの声が広く届く場所…と思っていたけれど、みんながそう思えば、もっと声の大きい人や、巻き込むのが得意な人、話のうまい人、極論でひっぱる人の声のほうが響き渡るという、まったくリアルな会合と同じになるわけですね。では、どうするかが大事ですね。

          某スーパーのウイスキー売り場。朝の連続ドラマのモデルになったウイスキーの父と呼ばれる方のパネルの前にずらっとならぶN社ウィスキー。でも、よーく見ると、隅っこに1本だけ、S社の「Y」が並んでいた。「Y」工場の創始者でもあるわけで、なんか微笑ましく感じました。

          某スーパーのウイスキー売り場。朝の連続ドラマのモデルになったウイスキーの父と呼ばれる方のパネルの前にずらっとならぶN社ウィスキー。でも、よーく見ると、隅っこに1本だけ、S社の「Y」が並んでいた。「Y」工場の創始者でもあるわけで、なんか微笑ましく感じました。

          「トレンドは〇〇だ」と騒がれている裏で、地道に以前からそれをずっとやっている人がいて、ブームがあろうがなかろうがその後も続けるから、モノになる。この原則を知っていれば、慌てることはないし、惑わされない。

          「トレンドは〇〇だ」と騒がれている裏で、地道に以前からそれをずっとやっている人がいて、ブームがあろうがなかろうがその後も続けるから、モノになる。この原則を知っていれば、慌てることはないし、惑わされない。

          ニュース拡散サイトが、裏をとらずに拾った記事を推測で膨らませて掲載→見た人がシェア→拡散・・・となって、実は事実とは違ってた・・・のを見かけた。これって、ほっとくとますます増えそう。これからは、そのニュースは誰が(どこのサイトが)報じたかを判断するチカラが重要になるのかな。

          ニュース拡散サイトが、裏をとらずに拾った記事を推測で膨らませて掲載→見た人がシェア→拡散・・・となって、実は事実とは違ってた・・・のを見かけた。これって、ほっとくとますます増えそう。これからは、そのニュースは誰が(どこのサイトが)報じたかを判断するチカラが重要になるのかな。

          男女にかかわらず、性別を売り物にしない人に惹かれます。

          男女にかかわらず、性別を売り物にしない人に惹かれます。