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人のプロデュースをしても、だれも私のプロデュースなんてしてくれないことに気付いた。

(ラノベみたいなタイトルになった)

お店でライブやイベントをすることがある。自分から声かけることも稀にあるし、頼まれて開催することもある。
私がやるイベントの動機は大概、"いいものを作っているのにその割には評価されていない人にスポットライトを当てたい"という気持ちだ。
人のことは簡単に、もっとこうしたら知ってもらえると思うよ!ということが見える。
プロデュースみたいなことをすることにやりがいを感じていたのかもしれない。いや、今思えば正直、感謝されたかっただけかもしれない。
原石みたいな人や才能を見つけたら、"磨いてあげる"のはおこがましくても、原石が綺麗に見える照明を当てて、原石の似合う土台や、ラッピングを見つけては、「ほら!みんな集まれ〜!いい原石だと思わない?」って呼んでみる。
そしたら、みんなは原石を愛ではじめる。
綺麗ですね〜って眺められた原石は輝きを増し、そのうちにころころと転がって、いつの間にか私が手の届かないところで、たくさんの人に見つけられては褒められて、より丸い石となっていく。
時々はこっちにも転がってきて、「ほら!おかげで綺麗な石になってきましたわい。」と言ってくれると、私はそれだけで少しは報われた気持ちになる。
あるいは、そのまま転がっていって、一向にこちらに見向きもしないまま光っている石をスマートフォン越しに見ては、なんだかな〜って思いながらぼんやりした気持ちになるのだった。

ライブやイベントを主催するのは、小さなものでも地道で大変で、集客が足りなかったら一人一人に原石の魅力を伝えて、足を運んで来てもらう。営業時間を削り、準備や段取りに思考や体力を当てていく。単に私が向いてなくて器用じゃないから疲れる、というのもあるのかもしれない。まぁ本当に縁の下の力持ちという感じ。(利益も正直ないに等しい!笑 どこもドリンク代のみもらうのが慣例の感じだもんな)

そしてやっとはじまって、一人一人のお客さんが一生懸命見ているのは、原石だ。
ありがとうや、すごいねと言われているのも原石だ。原石のことしか見ていない。当たり前だ!私が原石がすごいので、見に来てくださいって言ったんだもんなぁ。
よく気がきくような優しい1人2人は、「縁の下って大変だよね!ありがとう!」って言ってくれる人がいて、あぁ見てくれてる人もいたんだって、やっと報われる感じ。
みんなが楽しそうでよかった、と安心する気持ちにもなる。みんなにいい原石なんですよ、と教えたその原石がやっぱり綺麗で安心したり、うっとりしたりもする。
大変だけどやってよかったと思うことの方が多い。

それでもそれでも、私はある時、隠しきれなくたしかに思った。
ずるい。
私だってそっち側がいい。
石みたいにころころたのしく転がって、たまに拾ったり飾られたりしながらころころ笑っていたい。

でもいいんだろうか、お母さんに家事をやってもらい、お父さんのお金でご飯を食べて、ただ遊んでいる子どもみたいでいていいんだろうか。ーそんなことがよぎる。
いいんだ、きっと人のことは十分してあげたし、仕事も家事も自分のことは自分でやっているもんな。

でもやっぱりいいんだろうか。ありがとうって言われなくても、みんなが幸せならいいのよ、って思える、つよくてやさしい人に、なるべきなのだろうか。
いいんだきっと、そんなの自分を満足させることができたら、それ以上のことは自然とそう思えるはずだ。

もう人のためにばかりやってあげるかぁ!という気持ちが蔓延してきている。
今まで、ライブもイベントも販売も、他人のためならがんばれた。他人の作りだすものは当然客観的に見れるから自信持って良いものはいいと伝えることができた。
考えてみれば、私は知り合いの展示やら、イベント、好きなお店に定期的に行くことも欠かさなかった。
自分だったら来てほしいから。行ってあげないと!って。自分が(あの人には来てほしいな〜)とか思い浮かべながらイベントしたりするから余計にかもしれない。
あの方にはお世話になってるし行きたいなぁとか。それでも追いつかなくて、なかなか行けない時には罪悪感を抱く。
その反面、思ったほど他人は、私がするイベントうんぬんには必死こいて来てくれるわけじゃないんだな、とがっかりすることがある。
自分の時間なんて取れないほどに、人の展示をみたり作品をみたりしてきた。(それも仕事のうちと考えて割り切ることもできなくもないけど)
人のために割く時間が余ったら、自分のことをしようと思っていたかもしれない。

少しずつ自分のやりたかったことをはじめてみている。それでもまだ自分がライブをする時は、人に言われたら「いいんですか?」って思いながらやるのが精一杯。
声をかけられたらうれしいし、声をかけられてはじめてやっと勇気をだせるってかんじ。
求められてないかもしれないところに自分を売りに行くのは、とてもとても勇気がいる。
"なんでこの程度でやってんの?"って思われるのがこわい。自分が一番そう思ってるからかもしれない。今まで素敵な石たちに出会いすぎたから。
そんな気持ちがあることすら今この文章を書きながらはじめて気付いた。
この気持ちは知っている。何年もやりたかったお店をいざ始めようとする時、本当にこわかった。半年くらいしずんだトンネルの中のような感じで過ごしていた記憶がある。あの時の自分を遡って振り返ると、ビビり倒してたんだなと思う。
本当にやりたいことをやる時ってこわいんだった、勇気がいるんだった、忘れてた。
単純にやりたいからやる!っていう、後先考えなさも少し必要なのかもしれない。
人の目ばっかり気にして、自分の気持ちを見ないふりしてた。

いつかやりたい!と思っていたことは、いつのまにか後回しにされ続け、気づけば何年も経っている。今年こそ私は私のプロデュースがしたい。

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