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つくってゆれる

この前好きな知り合いが2人、同じ日に違う場所でzineを買ってくれた。
好きな知り合いっていう言葉。笑
でもそうなんだよなー

そして気に入ってくれてうれしくて久しぶりに自分で読み返してみた。
お店に置かせてもらったりしてる以上読み返さないと失礼だよなと思いつつ、
zine読み返したら、色々気になってきて、修正したくなったり恥ずかしくなったりしてたので実は最近全然読んでなかったのですが、かなり久しぶりに読み返しました。
そして泣いた。(自分の書いた文で泣くな)
忘れてたんたけど、最後に書いたzineはお店を始める直前に書いた文章だった。
ちょうどお店する1ヶ月ほど前。
不安だったなーって思い出した。
お店をするまでは、都会には変な人とか面白い人いるけど、田舎はまともな人が多いなあ、って思ってて、つまんないなって思ってて。
そしてまともでいなきゃって思ってまともを演じる自分にも飽きてて。
お店の中だけでも、多様性のある場所、宇宙人が来てくれるお店にできたら。って書いてた。
そしたら振り返れば、
今日のお客さんなんか特に宇宙人ばっかりだった。
歳も20代から60代まで、画家、写真家、お菓子つくる人、画家、飲み屋やってる人、本屋、あだ名が神様、とか、、

ちゃんと、田舎だけど、多様な宇宙人たちが集まるお店になってくれてるなあ。
というか、一周回って都会に飽きて田舎にやってきた強い変人が意外と多くて本当に面白い。
あーこんな風だって生きれたのか。って、自分でも気づいてなかった自分の常識を壊してもいいことを教えられる。

それにしても、大事な人が書いたものを読んでくれたら嬉しい反面、読んでくれなかったり不評だとやたらと悲しいんだよな。
そうじゃない人もいるみたい。
作品への人の評価はへぇーって感じの人もいる。

自分と作品の距離。

ある人が、
自分は自分でおもしろいって思って納得したものを作ってるから、人の評価はよかったらうれしいし、悪いと残念だなって思いはするけどそんなに気にならない。って言ってるのを聞いて、
あー私はもっと自分の作るものに、自分の評価に忠実であったほうがいいのかも、と思った。
作る時こそ完璧主義を発揮すべきだし、なんと言われても自分はこう思うからってどーんとしたものがあった方がかっこいい。健全。自然。

最近は絵を描くのが楽しくてぴゃーって描いてる時が楽しいから、文章ほどあんまり評価が気にならない。冷静というか。
労力と今後の何かをかけているかどうか、みたいなのもあるんだろうなあー。

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