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「問題のあるレストラン」というドラマの、わたしが特に好きな第5話が今TVerで無料配信されているので観てほしいという話

このドラマが放映された2015年当時、わたしは社会人一年目だった。
数年ぶりの事務職の新人女子として入社したので、自分で言うのもアレだが一年目の頃は飲み会に引っ張りだこだった。我ながらキラキラ、キャピキャピしていた。
目上の人にお酌して、サラダを取り分けて、グラスが空いたらおかわりをお店の人に頼んで、カラオケで無茶振りされても応えるのが"気遣い"だと信じていたし、自分はそれができていると思っていた。
彼氏の有無聞かれても、金曜日にちょっと浮かれた服装したらデートかとか聞かれても、ヘラヘラごまかす。一回り近く上の年代の先輩にスケジュール帳を覗かれデートを迫るラインを既読無視したら社内メールでお誘いが来るようになっても、遂には休日わたしが住む社員寮付近を車でうろつかれるようになっても(向こうが勝手にフェードアウトして辞めていったら収まったが)それは変えられなかった。
これが"社会人"なのだと、こんなもんだと思っていた。
そんな生活が落ち着いてきた、いや、周囲が"新人女子"に飽き始めてきた頃だった。

ドラマを観る事自体は元々好きだった。少女漫画の実写版のような世界にきゃーきゃーして、翌日のランチタイムで同期と語らうのがルーティーンだった。
そんな中でこのドラマは異質だった。なぜかこのドラマだけは、他の人と感想を語らったりできなかった。毎回、自分の中にセリフの一つ一つが、ずっしりと残っていた。
そんな中で初めて、ドラマに共感して泣いたのがこの5話だった。

高畑充希演じる川奈藍里は、職場でのセクハラやストーカーを受け流しながらどうにかやっている女の子で、そんな強がりな言動を真木よう子演じる主人公に見破られたときの、怒涛のセリフの嵐。素晴らしい演技も相まって、ダバダバ泣けてしまった。

『何で皆さん水着着ないんですか?私いっつも心に水着着てますよ?お尻とか触られても全然何も言わないですよ?お尻触られても何にも感じない教習所卒業したんで。その服男受け悪いよとか言われても、「あーすいませんー気を付けますー」って返せる教習所も卒業したんで。痩せろとかヤらせろとか言われても、笑って返せる教習所も出ました。免許証、お財布にパンパン入ってます。
痴漢されたらスカート履いてる方が悪いんです。好きじゃない男の人に誘われて断るのは、偉そうな勘違い女なので駄目です。セクハラされたら先方は温もりが欲しかっただけなので許しましょう。悪気は無いので、こっちはスルーして受け入れるのが正解です。
どうしてしずかちゃんは、いつも駄目な男と偉そうな金持ちの男と暴力振るう男とばかり仲良くしてるか分かりますか?どうしていつもお風呂場覗かれてもいつもすぐに機嫌治すか分かりますか?どうして女友達がいないか分かりますか?彼女も免許証いっぱい持ってるんだと思います。上手に強く生きてる女っていうのは、気にせず、許して、受け入れて…』

ああ、わたしだ、この子はわたしだ。寸分違わずそう思った。
今まで少女漫画のようなここではない世界線でまさに絵に描いたように幸せに描かれているキラキラした登場人物達への憧れや羨望じゃなくて、
"共感"ってこういうことを言うんだと初めて実感した。

あれから5年の月日が経った。その間にもわたしは、心が折れて一度休職したり、結婚して母になったりした。
今年復職したのだが、コンプラ意識が以前よりは高まって、毎月のようにハラスメント研修があるものの、時短で帰ると舌打ちしてくる人もいたりする。
営業職や技術職の同期は今まで働いててそんな理不尽なこと感じたことないと言うから、事務という職種がいけないのだろうか。事務の女は下とか、消費して良いものと思われている感じがあるからだろうか。事務の女はずっと、"しずかちゃん"でいなきゃいけないのだろうか。
毎日、違和感という名の泥が、心に沈澱していくのを未だに感じている。でもそれに気づくのに、5年かかった。

今あの時のわたしに会えるなら、走って行く。たま子みたいに気の利いたことは言えないかもしれないけど、あなたの違和感は間違ってないんだって言って抱きしめてあげたい。

『触らせちゃダメ。あなたの体は、髪も、胸も、お尻も、全部、あなただけのものなんだから。好きじゃない人には、触らせちゃダメ。ここ(髪)にも、ここ(胸)にも、ここ(お尻)にも、心がこもってるんだよ。あなたの心は、あなただけのものなんだから。好きじゃない人には、触らせちゃダメ。気にしなくていいなんて言う人は、あなたの心を殺そうとしてるんだよ。』

わたしが産んだのはむすこだけど、たま子が川奈にかけた言葉を今後彼にも言い聞かせたい。自分は尊い人なのだと、決して誰にも消費されて良い存在じゃないのだと、信じて生きられるようになってほしい。
でもそれはきっと、本当は誰よりも自分に言い聞かせたかったのだと思う。子供育ては自分育てというのはまさにその通りで、わたしは今彼を育てることで自分を再構築しているなと日々感じるのだ。

わたしの心は、身体は、わたしだけのものだ。
わたしだけのものだよ、わたし。

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