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成功体験という、目を曇らせる原体験

先日ある企業との打ち合わせ中に、ふと2年前ぐらいに書いた記事を思い出した。

成功体験が一番人の目を曇らせる

成功体験は原体験としても非常に重要であり、未来を左右するほど大きな影響を与える事もある。

しかし「過ぎたるは及ばざるが如し」「自信と過信の相違」に代表されるように、過分な成功体験は思考領域の飽和を招き、結果的に成長や改善から目を逸らしてしまう。(=思考停止)

冒頭の担当者も同様だった。
本人の弛まぬ努力で長年華やかなキャリアを積み重ねて来られた方であるが、年齢を重ねるごとに成功体験に縛られてしまい、組織の成長や改善のブレーキを掛ける足枷となっていた。

コンサルをやっていると特に珍しい話ではない。
むしろその現状を打破するために自分が携わっているので、ある意味需要と供給を実感できる瞬間でもある。

時を戻そう

ここで重要なのは『成功体験』の捉え方である。
大前提として成功体験の偶発性と必然性の区分が必要である。

偶発性に関しては論じるまでもなく、たまたま上手くいった結果を成功体験にしていては成長も改善も見込めない。要因分析を行っていけば偶発性か否かすぐに答えが見えるだろう。

一方必然性であれば、戦略的に実施した事が裏付けされるため、再現性が高まる事で成功体験は正攻法として昇華され、希少な財産となり得る。
フレームワークとして昇華できるかが大きな分岐点となるが、あくまで成功体験そのものが重要なのではなく、成功に至るまでのプロセスを客観的に紐解き、解明していく事がポイントである。

平たく言えば目的と手段の相違でしかないのだが、思考の一端としてとどめて置かなければならないのは成功体験という目を曇らせる原体験は、目的と手段の相違というシンプルな思考さえ止めてしまう可能性があるという事だ。

思考停止こそ最も目を曇らせる諸悪の根源であり、常識や同調圧力といった不確かな情報に洗脳される際に最も格好の標的となる。

冒頭の担当者も、決して組織を改悪するために仕事をしているわけではない。むしろ改善し進化させようと情熱的に取り組んでいる方である。
だからこそ、成功体験という幻影に惑わされず改めて要因分析し、再現性が高いフレームワークへ昇華させるプロセスを提示する事が必要だった。

私自身もいつ陥るかわからない。
魔が差して心を曇らせないよう日々の生活において自律自戒し、何事にも真摯に向き合って参りたいものだ。