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「好き嫌い」の時代

昼に惰眠をむさぼり過ぎた。そのせいで、きっと眠気がやってくるのは午前3時を超えた頃だろう。せっかくなので、最近たまに考えることを綴りながら微睡みを待ちたい。

政治と野球と宗教

平成というより、もはや昭和からの習わしとして「政治と野球と宗教」の話を飲み会などで話すことはタブーとされてきた。飲み会に限らず初対面においては、避ける方が賢明だそうだ。この暗黙裡は何となく現在も共有されている。

たしかに大きな連帯が必要な時代においては、それでよかった。この「政治と野球と宗教」を抽象化して一言にすると、「思想」だ。

大企業や官公庁など大きな共同体として事を成す上で、思想は時としてブレーキとなりうる。早く進まねばならないとき、思想は統一された方がずっとスムーズ。それゆえ急成長が求められるスタートアップでも「バリュー」(行動指針)を定め、ある種の統一を図ろうとしていると解釈している。

「好き嫌い」と「思想」

自分もPRとして多くのご相談をいただく中で、仕事をお受けする基準がある。それは「相手に思想はあるか」そして「その思想を自分は好きになれるか」という二つの視点。

どんな商品・サービスでも仕事にするのがプロのPRだろうという意見もあると思う。これは、厳しい売上目標がある代理店ならその通りだ。

でも、フリーランスのほぼ唯一にして最大の利点は「自分の思想を守れる」こと。これを手放すくらいならば、企業に勤める方がずっと賢明だと思う。

なぜ思想を大切にしているか。それは、論理に基づく「善し悪し」より感性に基づく「好き嫌い」がPRにおいても重要になってきたと思うからだ。

この「好き嫌い」について意識し始めたのは、一橋大学の楠木建教授の著作に触れた頃だ。キャリアについて思案していたとき『好きなようにしてください』を読んで衝撃を受けた。競争戦略という極めて論理優位な学問領域の教授が、自らの感覚を信じよと促す一冊。

この本をきっかけに自分の「好き嫌い」に自覚的であろうと努めてきた。それが今の仕事のあり方にもつながっている。

「購入」=「投票」

前項でPRにおいても「好き嫌い」が重要になってきたと書いたが、これについて少し詳しく書きたい。

PRは下記の二領域に大別される。

・マーケティングコミュニケーション
・コーポレートコミュニケーション

簡単にいうと、前者は商品・サービスの売上を高める目的、後者は企業価値を高める目的だ。このうち「マーケティングコミュニケーション」の論理によったアプローチが効きにくくなっている。商品便益による差別化が難しくなってきたのが大きな要因だろう。

その中で生まれたのが「いい◯◯」を再定義して戦いやすい土俵をつくる「戦略PR」。たしかに、この手法は機能する条件が揃えば依然として有効だ。

しかし、もはや「いい◯◯」ではなく「好きな◯◯」を選ぶ時代が訪れているように思う。言うなれば、商品・サービスの購入が、思想にもとづくブランドのファンとしての“投票”になっている。ミレニアル世代やZ世代と呼ばれる、若年かつ思想をもった層には特に顕著な傾向だ。

たとえば、スポーツブランドのNIKEは思想がきわめて強く、人によっては偏っているとすら見るだろう。アメリカンフットボールのコリン・キャパニック選手を広告キャンペーンに起用して大きな議論を呼んだことは記憶に新しい。

だが、この「偏り」がないブランドは嫌われもしないが、好きにもなってもらえない。事実、NIKEはこのキャンペーン後の大きな祝日であるレイバーデイの3日間で、公式オンラインの売り上げが約31%上昇したという。商品便益を伝えず、思想を表明しただけにも関わらずだ。

マーケティングコミュニケーションにおいても「私たちはどのような価値観をもっているか」という人格を表すコーポレートコミュニケーションの要素がより重要になってきたことを、NIKE社のケースは示している。この人格を成すのが思想であり、それをいかに行動で表せるかが問われている。

個人の魅力も「好き嫌い」

ここで個人の話に戻す。最近出会った尊敬するPRパーソンは確かな「思想」をもっていて、自分はそれに強く共鳴した。この思想が仕事に強度をもたらしているし、何より彼女はとても豊かな人生を送っているように思う。思想をもって表明することは、広くあまねく支持されることからは離れるかもしれないが、狭くとも強くて長い関係を築くには向いているスタンスだ。

担当編集であるツドイの今井さんとは「嫌いなもの」についてもよく話す。傍から見ると単なる悪口に聞こえるかもしれないが、お互いの仕事の目線を合わせる上ではとても大事なことだ。そして今井さんとは「好き嫌い」の面で信頼できるので、何でも話せるし仕事もご一緒している。

そうは言ってもフリーランスや経営者だからこそ「好き嫌い」を表明できるのではと思われるかもしれないけれど、案外そうでもないと思う。自分自身も会社員、それも若手時代から「思想」は遠慮なく話してきた。それが社内での認識として浸透すると、心地よい仕事の比率が高まってきた。むしろ会社員こそ思想の表明で授かる恩恵は大きいかもしれない

白黒ではないグラデーションの時代

思いつくまま書いてみた。このnoteの最後に、「善し悪し」から「好き嫌い」へのシフトが、新しい時代の価値観を育んでいくと予想する。「善し悪し」は“分断”を加速させる。白か黒か、どちらかを決めるための論理だ。

だけど「好き嫌い」に則って個々が思想を表明するようになれば、白黒はつけられない。白と黒の間に無数のトーンが存在するようになり、きっと魅力的な人が増えていくことだろう。ダイバーシティなんてものは押し付けて実現されるのではなく、異なる思想の価値を認める土壌があってこそ。生前退位でみんながポジティブに希望を語るいま、そんなグラデーションの時代が到来するのを自分も楽しみにしている。


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