書けない漢字を変換しない

個人的に実践している習慣として、「自分が書けない漢字に変換しない」というものがある。これは自分への誠実さというか、裏切りをしないという意味である。

まずルールとしては、自分が手書きできない漢字は携帯やパソコンでも使用しない。その場合はひらく。そしてもう一つは、それでも漢字を使わないと気持ち悪いと感じたとき、その場で紙を取り出して書いて全力で覚えるようにしている。

twitterなんかを見ていると、「わざわざ」を「態々」とわざわざ書いてみたり、「いよいよ」を「愈々」と書いている人がいるのだが、ええけどそれ書けますか?と思う。読めるというだけで漢字を多用していては、それはどこか意識から浮いていて、その人の言葉ではないような気がしている。

一番いい方法は、脳に電極をつなぐことだとおもう。脳に埋め込まれたチップなどから信号が発せられていて、変換キーを押しても自分が書けない漢字は変換されないというしくみが出来たら、人々はどれだけ歯がゆい思いをするだろうか?しかしそれこそが真の自分の言葉だと思う。

昔椎名林檎にあこがれた少女の「肖る(あやかる)」や「齎す(もたらす)」という漢字が魔法のiらんどなんかにあふれかえっていたけど、あれは彼女らの言葉ではなく脳内に巣くった椎名林檎の腹話術だったのである。「椎名林檎は偏差値55向けの浜崎あゆみ」という表現をむかし見たことがあるのだが、言いえて妙だなと思ったのを覚えている。

どうも難しい漢字を使うと頭がよく見えるという勘違いをしている人がいるのだが、むしろ「適切に漢字をひらく」ことにこそ、他人への配慮のありさまや文章全体の調和を意識できているように感じる。その意味で、自分が書けない漢字はひらく、というのは一つの基準であり、またプライドでもある。誰が評価するとかではなく、もはや意地でしかないのだけど。

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