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南京虫にうばわれた俺の夏

「南京虫」という虫を知っているだろうか?和名では「トコジラミ」といい、シラミの仲間ではなくカメムシ目に属する昆虫である。

俺の今年の夏はこいつに奪われた。盆の幽霊よりも流行り病よりも南京虫におびえて寝ることになったからだ。以下、南京虫から受けた恐怖体験とその対策を書いていくが、虫の話を受け付けない人には心底ぞっとする内容になっているのでご了承いただきたい。

出会い

あれは7月の半ばごろだったと思うが、夜中に目が覚めて電気をつけると足首に米粒ほどの大きさの虫がいた。色は褐色で、まあどこかから入り込んだのだろうとティッシュでつまむと、手に嫌な感触があった。ちょうどイクラや数の子を食べたときのような、かなりハードな「プチっ」という感触。恐る恐るティッシュをひらくと、そこには真っ赤な血の花が咲いていた。DNA鑑定をしたわけではないが、直感的に自分のものだと分かった。

血を吸う生き物というとダニが思いつくが、ダニにしては大きすぎる。そこでネットで検索すると、トコジラミがヒットした。画像を見ても完全に一致する。

そこから読み進めると、あまりにも恐ろしい事実が書かれていた。

・トコジラミは「南京虫」ともよばれ、戦後のDDT散布などで日本からは根絶されたと思われていたが、2010年代中ごろから殺虫剤に耐性を持った「スーパートコジラミ」が出現し、渡航者の荷物に入って日本に入ってきている。よって市販の殺虫剤では死滅しない
・南京虫は繁殖力が強く、1日に5~6個卵を産む。また寿命も長く、成虫は最長で1年半、絶食状態でも数か月生き残る
・非常に正確な体内時計をもっており、夜中の2時くらいになると潜伏場所から出てきて血を吸う。光を極端に嫌うので、日中や電気をつけた状態では出てこない。

終わった。しかし希望がないわけではない。

・南京虫の移動力は低く、高いところを上ったりすることはほとんどない
・食料は生き物の血液だけなので、血を吸わせなければ餓死する
・ゴキブリのようにホコリや髪の毛などを食べて生き残ることはない。よって不衛生かどうかは関係ない。
冬になると活動できなくなり死ぬ。

そこからは恐怖の夜が始まる。試しに夜中にタイマーをセットして、深夜に電気をつけてみると、またしても足首から俺の血を拝借している虫がいる。刺された痕は蚊に刺された程度のかゆみがあり、こうなるとかゆみと恐怖でもう眠れない。

南京虫の恐怖

南京虫の恐怖は二つある。まず刺された瞬間にほとんど気が付かないこと。蚊は刺された瞬間に気づくことがあるが、南京虫は本当に分からない。テクテク上ってくる感触も、口吻を差しこまれた感覚もない。よく蚊を真似て痛くない注射針を作ったみたいな美談があるが、あんなものは生っちょろいバイオミメティクスだ。今すぐ南京虫を客員フェローにお招きして極意を伝授してもらうのがいい。

ターゲットにされるのは足が多かった。例えばパソコンをしている最中に、ふと足元を見るとすでに吸血されているということがあり、そうなるともう不安でしかたなく、次第に何もしていなくても足に虫が歩いているような錯覚に陥る。シャブの幻覚で足をはう虫が見えているかのように、頻繁に足をチェックするという挙動不審。足を床につけるのが怖くなり、最終的に椅子の上でガーゴイルみたいな姿勢をとってYouTubeを見たりした。

二つ目の恐怖は、そのスピードとコース取りの正確さである。リビングのじゅうたんに寝転がっていると、時々どこからともなく出現してこちらに向かってくることがあるのだが、その瞬間の恐怖といったらゴキブリを凌駕する。ゴキブリは人間から逃げるが、南京虫は人間の首筋や足をめがけて最短距離で向かってくるのだ。熱を探知しているのか二酸化炭素に反応しているのかは分からないが、スピードと攻めたコースの両立は全盛期のシューマッハ並みだ。

いざ討たん

まず南京虫たちのねぐら探しが始まった。ルームシェアをしているので、そのグループラインに南京虫の発生を知らせ情報あつめを行った。するとどうもリビングにいるらしいということが分かったので、リビングの家具をすべてひっくり返して掃除をする。忌避効果のある薬剤をまき、粘着テープによる捕獲とこまめなコロコロを呼びかける。

それからも依然として寝ているときに刺されることがあったので、布団を捨てた。布団に住み着いている可能性を考えると、もう自分が体を預けているマットレスが悪魔の居城にしか見えない。また自分の居住スペースを掃除すると、漢字辞書のすきまに一匹、ゴルフクラブのケースに一匹発見し、どちらも即捨てた。なぜこんなミニマリストみたいなことをしないといけないのか。

「いかに貧しくとも本は決して捨ててはならない」とはユダヤに伝わる教えだが、旧約聖書の時代にスーパートコジラミがいたならばラビも折れたかもしれない。

それからというものの、寝るときはフローリングに直に寝るという地獄の日々。電気を消して寝たふりをしてからすぐに電気をつけて見回すというのもやったが、虫ごときにフェイントをかけている自分が情けなくなった。寝るときは自分に向かってきた南京虫をキャッチするため、自分の周りに粘着テープを貼って罠を仕掛けておいた。事件現場の死体みたいな感じだった。

ここまで対策すると次第に数は減ってゆき、とくに小さい幼齢の個体は減ってきた。ということは新しい卵の数が減っているのだろう。

それでも決定的な潜伏先を特定できないまま8月の中頃をむかえる。減ってきてはいるが、なんか同じような場所で噛まれる。しかしいくら家具をひっくり返してもいない。そんなある日、住んでいる部屋に決定的な構造があることが発覚する。

見落としていた二か所

まず一つは椅子のキャスター部分。どれだけ掃除しても足を噛まれるので、どこから出てきているのか分からずダメ元で椅子の足部分を水あらいしたところ、ビンゴ。まさかそんな場所に潜んでいるとは思わないが、人間の足に最短距離でいける穴場スポットと考えれば最初に気づくべきだった。

そしてもう一つ。それは巾木(はばき)だった。家の床と壁の境目にある木の板のことを指す。とくにフローリングの家だと、画像のような場所があるだろう。

我が家はみなさんご存じ西成区の安いアパートなので、この巾木はなんの気合も入っていないお飾り巾木なのだが、見えているやつは木でもなんでもなくただの樹脂をくっつけたものだ。

この巾木、壁に適当に接着剤で貼られているだけで、下の方は端まで接着されていない。そして実はここが、南京虫の逃げ場になっていたのだ。この隙間に逃げ込んでいくのを見た瞬間、頭の中に「コテリン!」という音(※コナンがトリックに気づいたときに鳴る効果音)が聞こえた。こうなるともう家の壁すべてが南京虫のアジトに見えてくる。そうなったら俺は完全に狂ってGTOの一話みたいに壁を破壊して隣の家で眠ることになるだろう。しかし巾木を全部ひっぺがえすのは困難なので、下の接着されていない端をすべて木工用ボンドでふさいだ。これがだいたい9月の初めごろ。そして現在に至る。

最近はほとんど虫も出なくなった。かゆみもないので、夜中に刺されていることもないのだろう。たまに出てくるのだが、それは最終齢とおもわれる大きめの個体で、どれも腹がペチャンコで内容物がないので長く血を吸えていないのだと思う。

しかし気温が下がってきたこともあり、単に活動しなくなっただけなのかもしれない。まだ気づかない潜伏先があり、絶食状態で春を待っているのだとしたら……

俺たちの戦いはまだ始まったばかりだ!

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