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生きづらさからラジオにはまり、お笑いに救われて、今では酒に溺れている

「金属バットのラジオバンダリー」というyoutubeのラジオを好んで聴いていた時期があった。

一年以上前に終了した番組で、今では非公開にされている。差別的な表現を含んでいたからだろう。

そんなことならはじめからアップロードしなけりゃいいじゃん、という話になるかもしれないけど、そもそも番組をはじめた当初は金属バットにファンなんてほぼいなかったから、なにを言っても炎上するはずもなく、仕事への影響など考える必要がなかった。

もちろん、誰も聴いてないからといって、なにを言ってもいいわけではない。その点で配慮に欠けた内容だったから、非公開となったこと自体は仕方ないかもしれない。だけどそういう番組だからこそ救われた人もいるはずで、僕もその一人だった。

社会で暮らしていると、この歳になったらこうならなければならない、この立場になったら当然こうふるまうべきだ、というような考えに縛られて生活しなければならなくなる。それは学生か社会人かは関係ない。働いているかどうかすら関係ない。

どんな立場であっても、社会で暮らしている以上は「こうでなければならない」という考えから完全に逃れることはむずかしい。だからこそ、そういう考えのとおりに暮らすことができるならそれが一番いいのだろうけれど、僕にはできなかった。

それで生きづらさを抱えていたから、なにか救いになるようなラジオはないだろうかと、懸命に探した。メールを送ったら必ず読んでもらえるようなラジオで、パーソナリティがきらきらしていなくて、とにかく面白い。そんな番組はないものだろうか、と、探したのだ。

そうしてラジオバンダリーを見つけた。

ひと昔前の金属バットは、特にファンがいるわけでもなく、社会的地位があるわけでもない、そんな二人だった。将来が不安になってもおかしくなさそうなもんなのに、毎週くだらない話題で盛り上がって、くだらないことで笑っていた。そんな二人を見て救われた。

もしも金属バットが最初から大人気だったら、僕はラジオバンダリーのことをそこまで好きにはならなかったと思う。

たとえ人気のない芸人でも、社会的な地位が低くても、とことん口が悪かったとしても、人を笑わせることはできるし、人の心を動かすことができる。そのこと自体が救いになったから、売れている芸人じゃダメだった。高潔な人格者でもだめだった。差別的な表現に無頓着な売れない芸人がやったからこそ意味があったし、そんな二人の番組だからこそ、ラジオバンダリーが好きになった。

それがなくなってしまった。

それでもなんとかふつうに生活はできている。たぶんラジオバンダリーに依存していた頃と比べると、さまざまな楽しいことを知ったからだろう。

酒の味を覚えて、頻繁にスナック通いをするようにもなった。

正直、酒に逃げているだけなんじゃないか、と、思ったりもする。昔はラジオ、今は酒と、逃げる対象が変わっただけで、人間的には一切成長してないんじゃないか、と、思ってしまうのだ。

そんなことをいちいち考えてしまう自分も嫌なんだけど、なかなか変われそうにない。もしかしたら、これからもこんなことを考えながら生きていくのかもしれない。

正直生きづらいけど、こんな自分のままで死ぬに死ねないとも思う。だからこそ、せめて僕は、あの頃の自分に顔向けできるような人間になるまでは、生きていようと思う。




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