輪廻の風 3-59



絶対におかしい。
変わり果てたラーミアの姿を見たロゼは強くそう思った。

魔族は500年前、当時の対魔の天生士によって須く封印されていた。

2年前にユドラ帝国でその封印が解かれるまで、ずっとだ。

その2年の間に、魔族がバレラルク王国に第一次侵攻を果たすまで、天生士もバレラルクの民も、魔族と接触する隙など1ミリたりとも無かった筈だ。

それでは、なぜ現代の対魔の天生士であるラーミアが魔族になったのか。
一体、いつ魔族になったのか。

いくら思考を張り巡らせて熟考しても、納得できる答えには辿り着けなかった。


すると、エンディはワナワナと怒りに打ち震えながら上空を見上げ、ヴェルヴァルト大王を睨みつけた。

「おいヴェルヴァルト…お前、ラーミアと視神経を共有して…ラーミアの眼を通して全てを視ていたと言ったな…?全てを見ただとぉ!?お前まさか、ラーミアの入浴シーンも覗いてたのか!絶対に許さないからなこのド変態野郎が!!」
エンディは怒りの感情をむき出しにして叫んだ。

「おいエンディ…怒るとこそこかよ?」
ロゼは苦笑いをしながら呆れた口調で言った。

すると、カインがエンディの隣にスッと立った。

「分かるぜエンディ…お前の気持ちがよ。俺は愛妻家であり娘を持つ男親だからよ、この手の変態野郎は許せねえぜ。」
カインは静かに怒っていた。
もし自分の妻と娘がラーミアと同じ立場に立たされていたかと思うと、虫唾が走る思いに駆られていたのだ。


人間の女の裸体になどまるっきり興味のないヴェルヴァルト大王は、エンディとカインが何故これほどまでに憤慨しているのか、皆目見当もつかなかった。


そうこうしたいるうちに、ラーミアはエンディ達に攻撃を仕掛けた。

ラーミアの頭上をクネクネとうねるように動く10匹の蛇は、口から小さな闇の球体を何発も吐き出した。

黒い爆弾は、無尽蔵のエネルギーを誇る爆撃機の如くエンディ達に襲いかかった。

エンディは風を、カインは炎を放出し、それぞれラーミアの攻撃を相殺した。

大した威力は秘めていなかった。
蛇妃(ゴルゴン)と自称するその姿は、いうほど強そうではなかった。

しかし、エンディ達は防御に徹するばかりで、一向に攻撃を仕掛けなかった。

それもひとえに、ラーミアを傷つけなくない一心での行動だった。

2人は、どうにかしてラーミアを正気に戻し、ラーミアを傷つける事なくこの無益な戦いを終えるにはどうするべきなのか、試行錯誤していたのだ。

「死。大王様に逆らいし者には死あるのみ。死。」
終始真顔のラーミアは、まるで壊れた蓄音機の様に何度も同じ言葉を繰り返していた。


「ククク…おいおいてめえら、なにグズグズしていやがる?そんな雑魚さっさと殺しちまえよ。」
痺れを切らしたアズザールが、エンディとカインに酷なことをいった。

「黙れ!すっこんでろ!」
カインは首をくるりと後ろへ向けて怒声を浴びせた。

「フハハハハ!まさかお前達、ラーミアを元に戻そうなどと考えているのではないだろうな?断言しよう…それは不可能だ!その女は身も心も、既に余に支配されている。余のために生き、余のために死ぬ…そう刷り込んでいるのだ。この支配を解く術は、その女を殺すより他にない!フハハハハ!!」

ヴェルヴァルト大王は楽しそうに笑いながら言った。

するとロゼは、ピンと何かを察し、鋭い勘が働いた。

「支配?刷り込み?やっぱりお前、ラーミアを操っていやがるな!?」
ロゼは、ラーミアの裏切りは不本意であった事を確信した。


「左様!余は500年前に封印される直前、あの"憎き天生士の女狐"の体内に我が闇の力を付与したのだ。その力は、我ら魔族が封印された後も…禁忌の封印術を発動したあの女狐が絶命した後も…時空を超えて残存していたのだ!対魔の天生士が今日まで5世紀もの長きに渡り輪廻転生を繰り返していた間も、我が闇の力はその転生者へと脈々と受け継がれていたのだ!そして2年前…我ら魔族が復活を遂げたことを引き金に、余が与えた力は真価を見出した!その真価こそが視神経の共有と、余に対する絶対的な忠誠心!つまりその女は、知らず知らずのうちにお前達を欺き!余にお前達の情報を伝達し続けていたのだ!」
ヴェルヴァルト大王は下品な高笑いを上げながら言った。


「てめえ…なんて狡猾な野郎だ…!」
カインは奥歯を噛み締めながら、沸々と込み上げてくる怒りを堪えていた。


「フハハハハッ!その女を正気に戻そうなどと無駄なことは考えないことだな。先ほども言ったが…この呪縛は未来永劫解ける事はない!その女を余の支配から解放させたいのであれば…せめてお前達仲間の手でその女を葬ってやるんだな!よく見てみろ、その女の醜悪な姿を…これではまるで生きる屍だな。否、意志なき戦闘人形と言ったところか?フハハハハッ!」
ヴェルヴァルト大王は、これでもかというほどにラーミアを愚弄した。

この発言に、イヴァンカとアズバールは冷めた表情で静観していたが、その他ほとんどの者は怒りと悲しみの感情を抑えきれなかった。


「死。」
ラーミアは静かにそう呟き、エンディに近づいた。

しかしエンディは、ラーミアを見つめたままその場からピクリとも動かなかった。

すると次の瞬間、ラーミアの両眼がピカッと紅く光った。

「危ない!エンディ!」
見かねたアベルが、エンディを護るようにしてすかさず間に入った。

ラーミアが発した真紅の光、その余りの眩しさに、近くにいたエンディ、カイン、ロゼの3名は反射的に眼を瞑ってしまった。

紅き光は一瞬の輝きを発した後にすぐに止まった。

ゆっくりと眼を開けたエンディは、若干視界がぼやけていたが、目の前に広がる信じがたい光景を目の当たりにして戦慄した。

なんと、光を浴びたアベルが石化してしまっていたのだ。

身を挺してエンディを庇おうとしたアベルのその姿は、まさに石像そのものだった。

「アベルー!!」
変わり果てた弟の姿を見たカインは、すぐに石像と化したアベルの元へと駆け寄った。

「なるほどね、これが蛇妃(ゴルゴン)の真の力か。」
「石化だとぉ!?こんなの反則だろ!」

ラベスタとロゼは武器を手に取り、多少手荒な真似をしてでも、ひとまずラーミアを捕縛しようと試みた。

しかしこの2人も、ラーミアが再び両眼から発した真紅の光を浴び、瞬時に石像と化してしまった。

石像となったアベルとロゼは、眩しさのあまり顔を正面から背け、右手で光を遮るような仕草をした状態で石化していた。

しかしラベスタは石化しても尚、無表情だった。


「えーー!石になっちゃったぁ!」
「フフフ…これはまた厄介な力だねえ。」
わざとらしく驚くモスキーノと、冷や汗をかくバレンティノ。

国王であり主君であるロゼの石化した姿を見て立ちくらみを起こすジェシカとモエーネ。
そして背筋が凍る思いで様子を伺うエスタ。

反応は様々だった。

「死。死。…」
ラーミアは静かに、ゆったりとした口調で"死"と連呼しながら、エンディに向かって再び歩き出した。

するとエンディは、そんなラーミアの姿をまっすぐな眼差しで見つめながら、ラーミアに向かってゆっくりと歩き出した。

2人はまるで磁石のように、お互いがお互いを吸い寄せているようだった。

「おいエンディ!不用意に近づくな!お前も石にされちまうぞ!」
カインが大声で注意を促したが、エンディの耳には届いていなかった。

「ラーミア…初めて会った日のこと、覚えてるか?2年前…もう日が沈んだってのにまだまだ暑くてジメジメしてたなあ。しかもいきなり雨がザーザー降ってきてさ…。ラーミアあの時、オンボロの小舟で遭難してたっけ。」
エンディは穏やかな表情で、昔を懐かしむように語り出した。

すると、ラーミアは口を閉ざした。
口を閉ざしたまま、何か怖いものでも見るようなどこか怯えた目で、引き込まれていくようにエンディに向かって歩いていた。

「俺上手く言えないけどさ…初めてラーミアを見たあの時、すごく懐かしい気持ちになったんだ。やっと会えたんだって…そう思ったらさ、途端に涙が止まらなくなって前が見えなくなったんだよ。あんなに歓喜した夜は無かった。他の人からしてみればなんて事ない、いつもと変わらない夜だったんだろうけど…俺にとっては一生忘れられない、かけがえのない夜だった。冷たいはずの雨も、すげえ温かかったなあ。どうしてあの時あんなに泣いたのか、それは今でも分からないけど…。でも、なんて言うか…ずっとずっと昔、俺が…俺達が産まれるよりも遥か遠い昔に、俺達はこの世界のどこかで出会ってたんだって、確信にも似た強い感情を抱いたんだ。」
エンディが優しい口調でそう言うと、ラーミアの足はピタリと止まった。

そして悲しげな表情を浮かべながら「やめて…こないで!こっちに来ないで!」と、ひどく怯えた様子で叫び始めた。

「何をしているラーミア!早くその男を殺せ!」
ヴェルヴァルト大王が強い口調で命を下すと、ラーミアの目付きは途端にキッと鋭くなった。

そして、ラーミアの頭上の10匹の蛇はそれぞれ口を大きくあけ、黒い球体をエンディに放った。


小さな爆弾のような闇の球体は、全てエンディに直撃した。

エンディは抵抗するそぶりすら見せず、躱せたはずなのに躱しもせず、ラーミアの攻撃をその身に受けたのだ。

「エンディ!なんで避けねえんだ!」
カインは理解に苦しむような顔で言った。

エンディは全身に軽い火傷を負ってしまったが、それでも尚臆することなく、ラーミアに向かって歩みを止めなかった。

そんなエンディの姿を見たラーミアは、再び怯え始めた。

ついにエンディはラーミアの眼前にまで辿り着いた。

エンディは、怯えるラーミアの右手を両手で優しくギュッと握りしめた。

「ラーミア…ラーミアの言った通り、例えその姿が本当の姿で、今までが仮初だったとしても…さっきの言動が本性だったとしても…俺は、ラーミアが俺に見せてくれた沢山の笑顔だけは絶対に疑わない!!ラーミアが今まで俺を救ってくれたその優しさだけは絶対に疑わない!これから何があっても!この先もずっと!俺はラーミアを信じて信じて信じて信じ抜く!だから…この手は死んでも離さない!!」
エンディはラーミアの手を握ったまま、顔をグッとラーミアに近づけ、優しく強き想いを声をにして叫んだ。

すると、ラーミアの右目から、ツーと一雫の涙がこぼれ落ちた。

「エンディは…変わらないね。あの時からずっと…変わらず…優しいね。エンディ…ずっと変わらないでね?ずっとずっと…優しいエンディで…いてね…?」
何と驚くべきことに、蛇妃(ゴルゴン)と化したラーミアに、一時的ではあるが正気が戻ったのだ。

それを見ていたヴェルヴァルト大王は、珍しく慌てふためいていた。

「馬鹿な…ありえない!何故だ!何故未だ自我が残っているのだ!?これはあるまじき事態だ!おいラーミア!その男を石にしろ!!」
ヴェルヴァルト大王が焦った口調で命令すると、ラーミアの両眼はピカッと真紅の光を発した。

しかし、事態は誰も予想し得ない思わぬ展開を迎えた。

なんと、紅き光を放った張本人であるラーミア自身が石化してしまったのだ。

ラーミアに顔を近づけるエンディ。
そう、ラーミアは、エンディの澄んだ瞳に映った自分自身を見たことで石化してしまったのだ。

頭髪が10匹の蛇により形成された真紅の眼を持つその姿は、悪魔を象った石像そのものだった。

ヴェルヴァルト大王は目を丸くしていた。


すると、石化したラーミアの身体が、神々しい光を放ちながらピシャッと崩壊した。

崩落した石の中から出てきたのは、キョトンとしたラーミアだった。

「あれ…?私…何してたんだろう?あ、エンディ!」
ラーミアは蛇妃(ゴルゴン)と化していた間の記憶が完全に飛んでおり、混乱していた。
しかし、目の前にいるエンディを見ると途端に安心し、パァッと表情が明るくなった。

ラーミアの石化が解除されると同時に、アベル、ロゼ、ラベスタの3名の石化も解除された。

「約束しただろ?絶対に助けにいくって。次は絶対に護るって。」
エンディは、握りしめたラーミアの手を決して離さなかった。

約束?
絶対に助けに行く?
次は絶対に護る?

エンディは、自分自身が言い放った言葉に疑問を感じていた。
一体自分は何を言っているんだろう?
何故、このような突拍子もない言葉が自然と口をついたのだろう?

考えれば考えるほどに分からなくなった。
そしてそれは、ラーミアもまた然り。

しかし2人は、すぐにこの言葉の意味を理解することになる。

エンディとラーミアは、何か激しい稲妻に身を打たれて、脳内にビリビリと電流が走るような不思議な感覚に陥った。

それは、気が遠くなるほどの大昔の記憶が揺り起こされるような強い衝撃だった。

意識を保つことすら困難になるほどのその衝撃は、エンディとラーミアの前世の記憶を呼び起こした。







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