輪廻の風 3-28



今から555年前の夏、山奥の小さな村に1人の男の子が生誕した。

総人口100人にも満たないその小さな村は盆地だった。

そのため燦々と輝く太陽の熱が循環しやすく、毎年夏になると人々は日照りに苦しめられた。

男の子が産まれたその年は特に酷かったという。

大地は枯渇し、農作物は軒並み枯れ果て、雨が降らないため湧水も雀の涙ほども出なかった。

村の民は自給自足もままならない状況で、狩猟に出る気力も湧かず、深刻な食不足と水不足に頭を抱えていた。

しかし、村の存続が危ぶまれていた状況下でも、新しい命の誕生には村人総出で盛大に祝ったという。

赤ん坊は嬉しそうに笑ったという。

すると、村に涼しい風が吹いた。

本土にどれだけ記録的な大型台風が上陸しても、鉄壁の山の要塞に囲まれたその村に風が吹くことなど、今までほとんどなった。

山谷風すらあまり吹かないその村に、それも夏に涼しい風が吹くなど異例中の異例の出来事だったのだ。

飢饉に苦しめられ村興しに立ち上がる気力が微塵も湧かなかった村民達は、優しい風に包まれる事で、些少の活力が湧いたという。

それどころか、村を襲う野生動物や盗賊達に立ち向かう勇気も湧き、村は少しずつ活気づいてきた。

獰猛な野獣や盗賊との戦いで負傷した村民達は、続々と男の子の元へと駆けつけていた。

その目的は、男の子が放つ謎の光で傷を癒す事だった。

更に男の子は、日照りが続いていた村に雨を降らせた。

枯れた大地は潤いを取り戻し、美しい草木がすくすくと育ち、村は緑を取り戻した。

太陽による容赦のない陽射しに伴う異常な暑さに辟易する村民達を可哀想に思った男の子は、村に冷気を充満させた。

お陰でその年の夏は、猛暑によって命を落とす者が1人も現れず、人々を身を入れて農業に勤しむことが出来た。


男の子は村を飢饉と干魃から救ったのだ。

季節が冬へと移り変わり村に寒波が来ると、夏の暑さがまるで嘘のように気温は氷点下まで下がり、村民達は寒さと積雪に悩まされた。

毎年この季節になると凍傷になる者が多く、また凍死してしまう者も少なくなかった。

そんな村民達を気の毒に思った男の子は、自らの体に炎を纏わりつかせた。

村の民は大層有り難そうに跪きながら、まるで暖を取るように男の子の周囲に集まったという。

男の子はよちよち歩きを卒業するまでに成長すると、村中を無邪気に駆け回って遊んでいたという。

その際、男の子は幾度となく転んだ。
抱っこをしていた両親が誤って男の子を落としてしまった事も何度かあった。

しかし、男の子は身体を負傷する危機に陥ると、無意識に皮膚を鉄のように硬化して怪我を回避していたという。

もう少し成長すると、男の子は動物の姿に化けて遊ぶようになった。

特にお気に入りだったのは、鳥に化けて大空を飛び回る事と、ヒョウに化けて大地を駆け回る事だった。

また、男の子を怒らせると、村には雷雲が立ち込めたという逸話も残されていた。

いつしか男の子は、村の民から"神の子"と崇められるようになった。

噂が噂を呼び、村には"神の子"と謳われたその男の子に会う為、ひっきりなしに人が訪れた。

飢饉と旱魃により崩壊寸前にまで追いやられていた小さなその村は、気がつけば一つの巨大な国のような形を成していた。

そして"ユラノス"と名付けられた男の子が5歳になった頃、ついにユラノスによって建国宣言が言い渡された。

ユラノスを頂点に据えたその巨大な国は、"神国ナタカム"と命名された。


ユラノスは自身が産まれてからナタカムが建国されるまでの経緯を、自慢げに、それも武勇伝を語るかのような口ぶりでエンディに話した。

エンディは言葉を失っていた。

「俺はただの一度も大衆に対して忠誠を誓わせようとした事もなかった。気がついたら周りにどんどん人が集まってきて、奉られ、崇められ、国が建国されて…そんで若干5歳にして世界皇帝になってたんだよ。」

「す…すげえ!!本当に神様じゃん!!」
エンディは鼻息を荒くさせ、興奮しながら言った。

「だからやめろって、その神様っての。そして建国後間もなく、俺を守護する2万人を超える護衛団みたいなのが出来てよ…まあ所謂、神官ってやつよ。その中でも特に強かった11人の神官達に俺はこう名付けた…天生士(オンジュソルダ)と!」


「なるほど、それが天生士の成り立ちって訳か…ってちょっと待った!11人??天生士は10人じゃないのか!?」

エンディの頭上には疑問符が浮かんでいた。

「元々は11人いたんだ。だがその内の1人は魔族に寝返っちまった。お前も会ったろ?そいつは今、冥花軍のリーダーやってるよ。名はベルッティ・ルキフェル。」

ユラノスは淡々とした口調で言った。

「ルキフェルって…あいつか!閣下とか呼ばれてた奴!」
それを聞いたエンディは合点がいったようだったが、まさかあの男が元々天生士だっだとは夢にも思わず、衝撃を受けていた。

当時の天生士達は皆、ユラノスでも手に負えないほどに凶暴で殺伐とした集団だったという。

ユラノスは、その暴れん坊達を監視する為に、敢えて天生士という位の高い称号を与え、重要な役割を与え、自身の目の届く場所に置いて彼等を制御していたのだ。

「ルキフェルはよ、一見穏やかで思慮深い男だが…思想があまりにも危険だったんだ。だから俺はあいつを一番注意深く監視していた。そして俺は死の間際に、ルキフェル以外の天生士共に力を与えた。あいつはそれが気に食わなかったんだろうな‥でもまさか、ヴェルヴァルトの側近になっちまうとは思わなかったぜ。」
ユラノスは、遠い過去を憂うように言った。


「死の間際って…あんたがヴェルヴァルトに殺された時のことか?」

「ああ、そうだ。御名答。」

自身がヴェルヴァルトに殺された苦い過去を、何の遠慮もなしにズバッと切り込んできたエンディに対し、ユラノスは若干ムッとしていた。

「どうしてあんたは殺されなきゃならなかったんだ?そもそも、魔族ってのは何なんだ?なんであんたと当時の天生士達は、魔族と敵対していたんだ??」
エンディは、最も疑問に感じていた事柄をユラノスに投げかけた。

「はぁー。お前は痛いとか突いてくるねえ。まあ、いずれ話さなくちゃならねえからいいんだけどさ…。」

「勿体ぶってないで早く話してよ!」
エンディが急かすと、ユラノスは深呼吸をし、ついに重い口を開いた。

「心して聞けよ、エンディ。そして頼むから俺が何を言っても引かないでくれよ?実はこれ誰にも言ってなくてよ、文字通り墓場まで持っていった俺だけが知る秘密なんだけど…ヴェルヴァルトを産み出したのは…俺なんだ!」

ユラノスは世界最大のミステリーと言っても過言ではないほどの秘密を暴露した。

それも、あまり悪びれる様子もなく、引き攣った苦笑いを浮かべながら軽い口ぶりで言った。

「はあ?どういうこと?あんたが全ての元凶だったのか!?ますます意味が分からねえんだけど!?」

エンディはいきり立ちながら問い詰めた。

まさか、かつて神と謳われた男が魔族の生みの親だったとは。
エンディは不可解な面持ちでユラノスを凝視していた。

疑惑の目を向けられているユラノスは、大慌てで「言っておくが不本意だからな?」と弁解した。

そしてさらに重い口をこじ開け、自身が魔族を生み出した経緯を赤裸々に語った。


ユラノスは自身が建国した神国ナカタムが巨大になっていくにつれて、一抹の不安を抱くようになった。

その不安は、ナカタムが世界中にその名を轟かせる程に強大な力を手に入れていくにつれて、大きく膨れ上がっていった。

それは、人間の心の移り変わりと浮き彫りになっていく本性だった。

元々は名もなき小さな村だった神国ナカタム。

当時の村民達は貧しくても、つつましい衣食住に満足し、逞しく幸せそうに生きていた。

しかし、国が巨大になればなるほどに、人々はあからさまに欲望に走るようになった。

富と力を手にした人々の欲望は尽きる事なく、更なる高みを目指し、無意識に破滅へと向かって邁進して行ったという。

ユラノスは、それを幼心に記憶していた。

「あいつらすっかり人が変わっちまったんだよ。自分がのし上がる為に、今まで切磋琢磨し合っていた親兄弟や仲間を蹴落としたり手にかけたり…人間は権力や富を手にするとおかしくなっちまうんだ。次第に現状に満足出来なくなって、もっともっと力を手に入れてやるぞーって嫌らしい根性を露見させてよ…。内部でも権力闘争が絶えなかったよ…。地位や権力や富…これらは人を人でなくしていくんだ。」
ユラノスはこの上なく切なそうな表情で言った。

「俺はただ、みんなが笑って幸せに暮らしていける国を作りたかっただけなんだ。だから神だの何だのと奉られるのに嫌気がさしてても、なんだかんだトップの座に君臨していた。それなのに……俺の教えって、そんなに難しかったのかな?」

エンディは思わず感情移入してしまい、悲しい気持ちになっていた。

「まあそれは仕方ねえことなのかもな。だってよ…世間が崇めてる富裕層の連中って、エグいだろ?んで、世間が蔑んでる貧困層の連中も、またエグかったりする。だったらよ、そのエグいもんらに挟まれてる庶民や大衆がエグくないわけがないよな?お前の友達のロゼみたいな人望ある国王なんて、天然記念物だぜ?」

エンディは何も言葉を発することなく、また頷くこともなく、ユラノスの目を真っ直ぐ見つめ、真剣な表情でひたすら話を聞いていた。

「俺はずっと世界の行く末を案じていた。そんな俺が50歳になった頃だ。俺は世界の終わりに興味を持ったんだ。形あるものはいつか滅びる。この世界だって、いつか必ず終わりが訪れるんだ。だから俺は、世界がどんな最期を迎えるのか…終わった先に何が見えるのか…諸行無常の果てを見てみたくなったんだ。その為にはよ、気が遠くなるほど長生きしなきゃならねえよな?だから俺は…不老不死になることを望んだんだ。」

そう言い終えたユラノスの表情からは、強い懺悔の念が垣間見えた。

不老不死になりたい。
ユラノスのこの欲望こそが魔族を生み出す要因となり、500年先の現代人を恐怖と絶望に陥れ、苦しめ続ける原因となってしまったのだ。

























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