輪廻の風 2-39
真実の定義とは何か。
そもそも真実と呼べるものなどこの世に存在するのだろうか。
歴史の真実など、語り手の主観や忖度、或いはその時代の勝者の権力濫用により幾らでも改竄できる。
悲惨な歴史を語る資格を最も有している者は無抵抗の罪なき犠牲者だ。
しかし、口を無くした死人は何も語る事が出来ない。
真実とは常に、唯一無二でなければならない。
闇に葬り去られた歴史は、数少ない生存者によって語られる。
時計の針は10年前まで逆流する。
神央院の幼稚舎の子供たちは、昼休みになると、途端にワーッと慌ただしく中庭へ遊びに出た。
季節は真冬。
その日は雪が積もっていた。
寒さなどに負けない子供達は、チームに分かれて雪合戦をしていた。
「ガッハッハー!ガキンチョは元気で上等!」ノストラは子供達をとても微笑ましく眺めていた。
辺りを見渡していると、ふと1人の男の子に目が留まった。
金髪のその男の子は、周りの輪に一切交わろうとせず、1人で黙々と雪遊びをしていた。
その子は一人ぼっちだというのに、不思議と寂しそうにしている様には見えなかった。
むしろ、1人の時間を謳歌している様に見えた。
ノストラはその子のことが気になり、近付いて声をかけた。
「おう坊主、何してるんじゃい?ええ?」
「雪だるま作ってるの!」
無邪気に笑いながらそう言った金髪の男の子は、当時6歳のカインだった。
「見れば分かるわい。どうして他の子に馴染もうとしないんじゃい?」
「お父様に言われてるの。友情なんて何の価値も無いから、友達なんて作る意味ないって。他所の子と関わると、気高きメルローズ家の血筋を引く僕の価値が下なっちゃうんだって!そんな暇があるから優秀な戦士になることだけを考えろって言われたの。」
「…バンベールがそんな事を言ったんか?」
ノストラはカマをかける様に尋ねた。
「おじちゃん!お父様のこと知ってるの??」カインは目を丸くして言った。
「そりゃ知っておるわい。なんたってワシは十戒の長じゃからのう!」
「えー!おじちゃん十戒なの!?すごい!僕も十戒に入りたいんだ!そしていつか、お父様みたいな戦士になりたいなあ。」
カインは目をキラキラと輝かせながら言った。
「どうして十戒に入りたいんじゃい?」
「お父様が喜ぶから!」
何の迷いもなくそう答えたカインを、ノストラは憐れみの目で見ていた。
すると、1人の若き青年がノストラに挨拶をしにやって来た。
「あの…失礼します!3日前に十戒に入隊したロックフォード・バスクです!ノストラさん、お噂はかねがね聞いております!どうぞ何卒、よろしくお願い致します!」
それは若き日のバスクだった。
バスクは大先輩であるノストラを前に、ガチガチに緊張していた。
「おお、おどれがバスクか!話は聞いておるぞ。十戒はどうじゃい?もう慣れたんかい、ええ?」
「いやあ全然…バンベールさん超怖えし、ウィンザーさんとハルディオスさんは何考えてるか分からねえし…アッサムさんだけが唯一の救いです。」
バスクは胃を痛めながら言った。
バスクは目の前にいる金髪の男の子が、まさかバンベールの息子だとは夢にも思っていなかった。
「そうかそうか。アッサムはええ男じゃからのう。まあ、適当に慣れい。」
アッサムとは、エンディの父親のことだ。
エンディの父アッサム、カインの父バンベール、この2人は当時、それぞれの一族の当主にして十戒の筆頭隊のメンバーでもあった。
すると、バスクの後ろに隠れている女の子が、モジモジしながらひょっこり顔を出した。
「その娘さんは誰じゃい?」
「この子はアマレットです。ユリウス家のお嬢さんですよ。内気な性格でね、中々みんなと馴染めなくて、俺が来るといつも俺の後ろ引っ付いてくるんですよ。」
「そうかそうか。ほれカイン、1人もん同士なあ仲良くしたれよ。」
ノストラにそう言われ、カインはアマレットの顔を見た。
「えっ、でも…お父様に怒られちゃうよ。」
「ワシは十戒の長じゃからの、バンベールよりも座布団一枚上なんじゃぞ。奴にはワシが言っとくから安心せいよ。ええな?」
ノストラがそう言うと、アマレットはトコトコとカインの前へと駆け寄った。
「私も…一緒に雪だるま作っていい?」
アマレットがそう言うと、カインは顔を真っ赤にしておどおどしながら「うん!」と答えた。
カインとアマレットは、2人で仲良く雪だるまを作って遊んでいた。
子供というのは不思議で、お互いが打ち解けるのに言葉も時間もほとんど必要なかった。
ノストラとバスクは、その様子を微笑ましく思いながら眺めていた。
この時のカインは、何かを疑うという事を知らずにいた。
そしてこの日初めて、同世代の子と一緒に遊ぶ楽しさを知った。
楽しかった。
しかし悲しいことに、その時の気持ちはほんの一瞬で、時が経つにつれて薄れていった。
そして6年後、つまり今から4年前。
カインは12歳になっていた。
この頃には炎の力を自在に使いこなせる様になっていて、カインは十戒に入隊していた。
史上最年少の十戒戦闘員。それは異例中の異例だった。
それこそ、カインが"ユドラ人最高傑作"と謳われる所以だった。
カインは、当時ユドラ人最高権力者であったイヴァンカの実父、レムソフィア・レイティスに謁見の間に呼び出されていた。
カインはレイティスに頭を垂れて跪いていた。
「カイン、お前は本当に従順だな。その忠誠心、痛み入る。今日まで一体、どれ程粛清した?」
「恐れながら、10を超えた辺りから数えるのはやめました。数など無意味かと。」
レイティスはとても疑い深く、自分以外の者を一切信用しない男だった。
疑わしきは徹底的に罰する。
怪しい者はその近親者も密接交際者も、例外なく無慈悲に粛清していた。
カインは若干12歳にして、国内外問わず既に数多の人間を粛清していた。
その瞳にはもう、雪だるまを作って遊んでいた頃の純粋な輝きは無かった。
「これからも期待しているぞ。」
「御意。失礼します。」
カインはそう言って謁見の間を後にし、バベル神殿内にあるメルローズ家の居城へと向かっていた。
すると偶然、祖母と二人で歩いていたアマレットに遭遇した。
「カイン!久しぶりー!」
アマレットがフレンドリーに話しかけたが、カインは無視してスタスタと歩みを止めなかった。
すると、アマレットは後を追い、カインの前に回り込んだ。
「なんの用だ?」
カインが冷たくそう言うと、アマレットは右手でカインの頬を触った。
「冷たい…。まるで体温の無い幽霊みたい…。どうしてそんな風になっちゃったの?」
アマレットはカインに憐れみの目を向けていた。
「気安く触るんじゃねえよ、ユリウス家如きがよ。お前らみたいな低俗な一族の奴らと俺じゃ、種としての格が違うんだ。2度と話しかけるなよ。」
カインはそう言って、その場を立ち去って行った。
アマレットはその言葉にショックを受けた。
しかしそれ以上に、変わってしまったカインを見てひどく心を痛めていた。
「あの子は、優しい子だねえ。優しすぎるから、ああなっちゃったんだねえ。」
アマレットの祖母が、立ち去るカインの後ろ姿を見ながらそう呟いた。
「おばあちゃん、どうしてそう思うの?」
アマレットが尋ねた。
「あんたが気にかける男の子なんだから、きっと素敵な子で間違いないわよ。」
アマレットの祖母は優しい顔で言った。
12歳のアマレットには、その言葉の真意を理解するにはまだ若すぎた。
「お父様、只今戻りました。」
カインはメルローズ家の居城に着くなり、直ぐに父バンベールに堅苦しい挨拶をした。
「おかえり、カイン。早速で悪いんだが、先程城下町に他国のスパイと思われる者が3名、憲兵隊に捕らわれた様だ。お前の炎で葬って来い。」
「分かりました。」
カインは父の言われるがまま、城下町へと向かった。
バンベールは冷たい目をしていて、とても血の通った人間とは思えないほどに冷酷な雰囲気を纏っていた。
「カインは素晴らしい、本当によくできた子だ。それに比べてお前ときたら…全く、同じ兄弟とは思えないな。」
バンベールはギロリと冷たい視線でアベルを睨みつけながら言った。
父に睨まれたアベルは、ビクリと怯えていた。
アベルはカインに比べ、神央院での成績もあまり芳しくなかった。
神央院でも友達ができず、家では父に蔑まれ、兄のカインには全く相手にされていない可哀想な少年だった。
どこにも自分の居場所が無いアベルは、いつも自分の殻に閉じこもり、塞ぎ込んでいた。
そしてカインは、他国のスパイが捕らえられていると言われた城下町にたどり着いていた。
3名のスパイは結束バンドで拘束され、複数の憲兵隊員に囲まれていた。
「後は俺がやる。お前らは下がってろ。」
カインが命令口調でそう言うと、憲兵隊員達はそそくさと撤退して行った。
「チッ…こんなクソガキに殺されんのかよ…!」
スパイの1人が、苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「俺を恨むのはお門違いだぜ?恨むなら無力で知性の無い己を恨め。」
カインは嘲笑う様にそう言って、右手から炎を放出した。
しかしその炎は、突如吹いた突風によって掻き消されてしまった。
カインは何が起きたのか理解出来ず、思考が停止してしまった。
「やめろよ!何も殺すことはないだろ!?」
1人の少年が、カインに向かってそう言った。
その勇敢で正義感に溢れる少年は、当時12歳のエンディだった。
これが、エンディとカインの出会いだった。
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