輪廻の風 3-32
世界中の空が闇に覆われてから5日が経過した。
その間、魔族達は、本格的に血の侵略を始動させていた。
冥花軍(ノワールアルメ)を筆頭に、数多の戦闘員が世界中の国々を蹂躙しては、力づくで屈服させていた。
たったの5日で、世界は瞬く間に魔族の手に落ちた。
彼らは、悪しき心の持ち主を見定める嗅覚が非常に優れていた。
世界各地に点在する極悪人が収容されている監獄をまわっては襲撃を繰り返し、次々と囚人達を新たな仲間へと加えていた。
本来ならば自国を護るために戦うべき戦士達の中にも、命惜しさに自ら魔族になることを志願する者も、後を絶たなかった。
こうして、魔族側の戦力は拡大の一途を辿り続けた。
圧倒的な数の暴力で各国を捻じ伏せ、従わない者達は例え非戦闘員であっても、容赦なく殺害されていった。
其々の国が誇る美しい自然は焼き払われ、由緒正しき文化遺産は軒並み破壊された。
遂には、正式に魔族の存在を認め従うことを宣言し、降伏の白旗をあげる国まで出てくる始末だった。
人類が長い歴史をかけて築き上げた努力の結晶の賜物とも呼ぶべき秩序は、いとも容易く崩壊してしまった。
太陽の光が完全に遮断されたこの世界で、人々は絶望と悲観の渦に包まれ、為す術もなく、ただひたすらに息を潜めて怯えることしかできなかった。
人々は路頭に迷い、明日をも知れない命を憂い、出口のない暗闇の中を彷徨っていた。
世はまさに、血で血を洗う暗黒の世界へと突入した。
世界中のすべての領土が魔族の帝国になるのは、もはや時間の問題だった。
バレラルク王国、王都ディルゼン跡地。
つい最近まで栄華を極めていたこの都市は、魔族の帝国の中心地と化していた。
かつての面影は微塵も残っておらず、今その場所にあるのはヴェルヴァルト大王によって"魔界城"と名付けられた巨大な城。
黒色の大理石を基調にして造られた魔界城は、禍々しい邪気が立ち込める異質な城だった。
魔族の仲間入りを果たした各国の悪人達は、夥しい数へと膨れ上がっていた。
彼らは続々と魔界城へと招かれ、各国から略奪してきた食料を肴に大酒を飲み、下品な高笑いを上げながら宴を楽しんでいた。
魔界城の屋根のない最上階で、ヴェルヴァルト大王は自身の身丈に合った大きな玉座へと腰掛け、不敵な笑みを浮かべていた。
ヴェルヴァルト大王の前には、跪き頭を垂れるルキフェル閣下の姿があった。
「大王様、侵略は順調且つ着実に進んでおります。」
ルキフェル閣下は簡潔に顛末報告を述べた。
「そうか。余りにもあっけないものだな。」
「はい。天生士もバレラルクの精鋭も死んだ今、最早我らの前に立ちはだかる者など無に等しいでしょう。」
ルキフェル閣下がそう言うと、ヴェルヴァルト大王はニヤァと口角を上げて酷薄な笑みを浮かべた。
「いや…奴らは生きているぞ。そして間もなく、余の首をとりに討ち入りを果たしに来る!」
ヴェルヴァルト大王が嬉しそうにニヤニヤしながらそう言うと、ルキフェル閣下は意表を突かれたような表情を浮かべた。
「奴等が生きている…?どういうことですか?奴等は大王様の攻撃で、王都諸共跡形もなく消えた筈では…?」
「カインの妻…名は確かアマレットだったか。あの女の小賢しい魔術により奴等は難を逃れ、今日まで虎視眈々と討ち入りの準備を進めていた。そして…どうやら機は熟した様だな。間もなく魔界城の前へと到達するだろう。」
ヴェルヴァルト大王は、ロゼ達の討ち入り計画をずっと知っていたのだ。
知っていたにも関わらず、敢えて配下の者にはその一切を伝えず、決行の日を待ち侘びていたのだ。
「アマレット…なるほど、ユドラ帝国の魔術使いの血統、ユリウス家の生き残りの少女ですか。大王様、御言葉ですが…少々お戯れが過ぎますよ。何故黙っていたのですか?」
ルキフェル閣下は、少し棘のある言い方をした。
「フハハハハハッ…良いではないか。突然の奇襲を、お前達がどう迎え撃つのかここで眺めるのも、また一興…。それに奴等、なかなか面白い策を講じておるぞ。」
ヴェルヴァルト大王は楽しんでいた。
ロゼ達が奇襲をかければ、配下の戦闘員達が慌てふためくのは目に見えていた。
それを、まるでゲームの様な感覚で楽しもうとしていたのだ。
ヴェルヴァルト大王は絶対無敵の自信と共に悠々と構えていた。
彼にとっては敵襲など、暇潰しの遊びに過ぎないのだ。
「なるほど…大王様、"例の内通者の目"を通して、連中の動きをご覧になっていたのですね。では、私はこの事を皆に伝えてきます。そして今度こそ、彼らを1人残らず皆殺しにして差し上げます。」
ルキフェル閣下は物騒な物言いをし、その場を後にしようと歩き出した。
すると、ヴェルヴァルト大王は興ざめしたような表情で、「待てルキフェル、つまらぬ真似はよせ。」と言った。
ルキフェル閣下はピタリと歩みを止め、ヴェルヴァルト大王のいる背後を振り返った。
「そう仰られると思いましたよ。ならばせめて…連中が講じた面白い策とやらを教えて頂けませんか?」ルキフェル閣下が言った。
「どうしたルキフェル、まさか怖いのか?」
「いえ…ただ、念のために。」
ルキフェル閣下は若干むくれていた。
「フハハッ…そう怒るなルキフェル。良いではないか。奴等がどの様な奇計を用いようとも、我らの敗北など万に一つもあり得ない。得体の知れない計略にその身を呑まれるのも、また酔余の一興だろう。」
泰然に構えるヴェルヴァルト大王を前にし、ルキフェル閣下はついに折れた。
「承知致しました。では…私はあくまで個人的に、賊軍の迎撃に向かいます。失礼します。」
ルキフェル閣下は呆れた口調で言い残し、迎撃に向かうためその場を後にした。
ヴェルヴァルト大王は大胆不敵な面持ちで、血戦の時を今か今かと待ち侘びている様だった。
一方ロゼ達は、作戦が漏れているとは露知らず、魔界城へと向かっていた。
ロゼ一行はもう既に、魔界城の目と鼻の先まで来ていた。
先頭を歩いていたのはロゼ、バレンティノ、アベル、エラルド、アズバール、ノヴァだった。
その後ろにはラベスタ、エスタ、サイゾー、ジェシカ、モエーネ、ラーミア、そしてルミノアを抱いたアマレット。
更にその後ろには、最終的に残った僅か27名の志高き兵士達。
内一名はダルマイン。彼はビクビクしながら最後尾にいた。
総勢40名の屈強な有志達は、命を捨てる覚悟で決戦の地へと赴き、荘厳な雰囲気で堂々と行進していた。
ロゼ達は5日ぶりに王都へと里帰りをしたわけだが、あまりの変貌ぶりに心を痛め、憤りを募らせていた。
最早、自分たちの知っている王都の景色は微塵もその面影が残っていなかったのだ。
そして、魔界城の重圧に押し潰されそうになっていた。
ロゼ達は魔界城の入り口と思われる巨大で重厚な黒い門の前で行進をやめ、立ち尽くしていた。
魔界城の玄関口であるこの門は"獄門"と名付けられていた。
すると、呑気に酒盛りをしながら魔界城周辺の警備に当たっていた数十体の魔族達が、ロゼ達の存在に気がついて続々と獄門の前へと集まってきた。
「なんだてめえらあ!!」
「なにしにきやがった!?あぁ!?」
魔族達がロゼ一行に罵声を浴びせると、騒ぎを聞きつけたジェイドが現れた。
「おいおいマジかよ!てめえら生きてやがったのか!?で??何しにきたんだよ!揃いも揃ってそんな怖い顔しちゃってよぉ!どうしたんだぁ〜??」
ジェイドは空中に浮遊した状態で、獄門前でロゼ一行を嫌味たらしく見下ろしていた。
「宣戦布告に来た。」
ロゼが毅然とした態度でそう言うと、ジェイドはしばらくポカーンとしていた。
そして、プッと吹き出した後に、ゲラゲラと大笑いをし始めた。
「はぁ!?おいおい!冗談きついぜロゼちゃん!え??そんなクソつまらねえボケかますためにわざわざ来たのかぁ!??」
ジェイドは嘲り笑い、部下の魔族達に「なぁ!?あいつ今なんて言った!?俺の聞き違いか!?お前らどう思うよ!?」と話を振った。
するとその場にいた魔族達は、ロゼ一行を指差して、腹を抱えてゲラゲラと笑い始めた。
これでもかと罵倒され、馬鹿にされ、嘲笑われても、ロゼ一行は表情ひとつ変えずに堂々としていた。
「ヒャハハッ…どうやって生き残ったから知らねえが、世界の片隅でひっそり生きてれば死なずに済んだものを。てめえらみてえな残りカスの負犬共が徒党を組んだってよぉ!何の爪痕も残すことはできねえんだよ!おいてめえら!笑えぇっ!」
続々と集まってきた魔族達は、好奇の目でロゼ達を見ていた。
そしてジェイドの命令通り、ロゼ一行に対し、心底馬鹿にする様な高笑いをあげた。
「ばーはっはっはっはぁ!」
「ギャハハハハハハハ!!」
「馬鹿じゃねえのこいつら!頭大丈夫か!?」
「おい見ろよ!たったの40人しかいねえぞ!?正気の沙汰とは思えねえなぁ!」
彼らは言いたい放題だった。
すると、ロゼ一行の背後から「40人じゃねえよ!」と大きな声が聞こえた。
ロゼはビックリして、慌てて振り返った。
するとそこには、大軍が列を成して押し寄せてくるのが見えた。
彼らは魔族の第一次侵攻、そして第二次侵攻の際に、魔族の圧倒的な強さに恐れをなして除隊した元戦闘員達だった。
中には、国内外の安全地帯へと避難していた非戦闘員の一般市民達もいた。
バレラルクの元兵士、そして市民達は武器を手に取り、完全武装して魔界城へとやってきたのだ。
「お前ら…なんで…?」
ロゼは驚き、口をあんぐりとさせていた。
「申し訳ございません…ロゼ国王。我ら、一度は国を捨て逃げた身…しかし、愛する祖国を取り戻す為に、恥をしのんで馳せ参じました。」
「ロゼ国王!すみませんでした!俺たちもう、逃げません!貴方と共に、この命尽きるまで戦います!」
「我らバレラルク王国の元兵士、そして志願兵の国民達により結成された連合軍4000名!助太刀致します!!」
急遽結成された連合軍のメンバー達は決意表明をし、戦う意思を見せた。
「お前ら…ありがとうな…。」
ロゼは嬉しくてたまらず、涙をグッと堪えていた。
「ふっ…全く、馬鹿な奴らだぜ。」
ノヴァは嬉しそうに微笑みながら言った。
「けっ、今更虫のいい奴らだぜ。おーいてめえら、逃げるなら今のうちだぞ?まだ引き返せるぜ?」エラルドは憎まれ口を叩いたが、内心は嬉しかった。
「ヒャハハハハッ!4000人?それがどうしたぁ!俺たちがこの5日間で、どれだけ戦力を増強させたと思ってんだ!聞け!そして絶望しろ!!俺たち魔族の兵力は〜〜…10万だぜ!!!」
ジェイドがそう言うと、ロゼ一行と連合軍を取り囲む様に、夥しい数の魔族たちが続々と空中へと浮遊し出現した。
その時点で、ざっと1万体ほどはいた。
たったの5日間で、魔族側はこれほどの兵力を手にしていたのだ。
そして、その戦力増強は未だに行われていた。
つまり、こうしている間にも、魔族側の兵力はどんどんと膨れ上がり、拡大の一途を辿っていたのだ。
これには流石に、戦う意思が固まったバレラルク側の兵士たちも怯んでしまった。
数の利も地の利も、圧倒的に魔族側が優勢だった。
すると、ロゼが味方に檄を飛ばした。
「怯むな!いいか?人間、時には落ち込んだりクヨクヨしたりするもんだ。それは別に恥ずかしいことじゃねえよ。けどな、ここぞって時には腹を括ってビッとしてろ!マイナス思考じゃ世界は変えられねえぞ!」
ロゼがそう言うと、彼らの揺らいでいた決意が少しずつ元に戻りつつあった。
やはり、ロゼのカリスマ性は本物だった。
ロゼはゆっくりと槍を抜いた。
それに続き、バレンティノも剣を抜いた。
「フフフ…10万かあ。骨が折れるねえ。」
バレンティノが言った。
「ヴェルヴァルトに辿り着くまでの道のりが遠いねえ。」
「ククク…てめえら足引っ張んじゃねえぞ?」
アベルとアズバールも戦闘態勢を整えた。
「ヒャハハハ!!全員ぶっ殺せぇ!!」
ジェイドが号令をかけると、大量の魔族達が怒号を発しながらロゼ達に襲い掛かろうとした。
すると突如、どこからともなく強烈な豪風が吹き荒れた。
魔族達は豪風にその身を包まれ、一瞬だが動きが封じられてしまった。
一体何が起きたのか。
ロゼ一行、連合軍、そしてジェイドを含めた魔族達の視線は、同時に遠くの空へと向けられた。
彼らの視線の先には、巨大な両翼を羽ばたかせる神秘的な白い鳥がいた。
その鳥は魔界城に向かって一直線に飛んでいた。
「あれは…まさか!!」
ロゼは目を疑った。
そう、それはマルジェラだったのだ。
さらに、鳥化したマルジェラの背に4つの人影が見えた。
「ほえ〜〜っ!ここ本当にディルゼン!?随分と様変わりしたねぇ〜…とんだ里帰りだよ。」
どこかで聞き覚えのある、この軽快な口調。
声の主はモスキーノだった。
「マルジェラ、何をグズグズと飛んでいるんだ?もう一本の腕も斬り落とされたいのか?」
「貴様…俺に命令するな!!」
何やら、何者かとマルジェラが言い争いをしている様だった。
マルジェラを怒らせたのは、イヴァンカだった。
「退がれ愚民ども。私の華麗なる逆襲劇の邪魔だてをすれば死ぬことになるよ。」
イヴァンカは既に剣を抜いており、早く戦いたくてウズウズしていた。
すると、イヴァンカの横に金髪の少年がひょっこりと顔を出した。
「おいイヴァンカ。妙な真似しやがったら俺が黙ってねえぜ?」
イヴァンカに念を押した金髪の少年は、カインだった。
そしてカインの横にいた少年こそが、魔族達に強風を浴びせた張本人だった。
その少年は魔界城を見つめ、この上なく勇ましい面持ちで開戦の狼煙をあげた。
「長い戦い、ここで決着つけようぜ!5世紀越しの全面戦争だ!」
その少年の名は、エンディ。
天を舞う様に飛行するマルジェラの背中に乗っていたのは、エンディ、カイン、モスキーノ、イヴァンカだった。
ついに最期の血戦の火蓋が切られた。
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