輪廻の風 2-35
「あれま、お仲間が2人やられちゃったね。弔いの言葉の一つでもかけてあげたら?」
モスキーノは嘲笑しながら言った。
2人の同胞が目の前で戦死したというのに、ウィンザーとバルディオスは顔色一つ変えず、微塵も心を痛めていなかった。
「ロゼ達の傷が着実に癒えてきているね。危険を冒してまでラーミアを奪還したのは、戦力となる手駒を増やす為か?」
ウィンザーが尋ねた。
「ははっ、手駒って…人聞きが悪いなあ。まあ、言い得て妙な気もするけど。まあ、負傷した味方を回復させて戦力として復帰させるのは戦術の常套手段だからね。外傷を完璧に治癒できる能力を持つ者を、敵に引き渡したくもないし。だけどそれ以上にね、ラーミアの能力でイヴァンカを不老不死にさせるのは何がなんでも阻止したいんだよ。」
モスキーノは喋るにつれ、その表情から徐々に笑みが消えていった。
ウィンザーはモスキーノの背後に回り込み、剣を振るった。
モスキーノはすかさず、氷の刃で防御した。
この氷の刃は、モスキーノが大気中の水分を冷却させて創り出したものだ。
「速っ!!」
モスキーノが悠長にそう言うと、今度はハルディオスが何度も執拗に斬り込んできた。
「うわっ…うおっ!危なっ!」
一々リアクションをとりながら攻撃をかわし続けるモスキーノは、心なしか大袈裟に見えた。
その斬撃は、一太刀でもその身に受ければ確実に命を落とすほどの殺傷能力があった。
どんなに厳しい訓練を積んだ凄腕の兵士でも、到底見切れる筈のない速度で斬りかかってきているのにも関わらず、モスキーノは全て間一髪でかわしていた。
それも、ウィンザーとハルディオス、2人の攻撃を同時にだ。
そしてギリギリまで避けないその動きは、わざと間一髪のタイミングで避けている様にも見えた。
避けきれない時は氷の刃で防御し、それを破壊されればまた新しく創るという作業を繰り返していた。
「ガキが…舐めた真似を。」
「落ち着け、奴のペースに乗せられるな。」
モスキーノのおちょくる様な態度に神経を逆撫でされたウィンザーを、ハルディオスは冷静に宥めていた。
すると、気がつけば2人は無数の氷の刃に囲まれていた。
モスキーノが大気中の空気を冷却して創出した氷の刃は、ウィンザーとハルディオスの立ち位置を中心に180度張り巡らせれていた。
死角はゼロ。
「はい、お終い!」
モスキーノがそう言うと、無数の刃がウィンザーとハルディオスに向かって凄まじい速度で襲いかかった。
しかしウィンザーとハルディオスは、たった剣を一振りしただけで、あっさりとその無数の氷の刃を掻き消してしまった。
「うわあ…すごっ!じゃあさ、これならどうかな?」
モスキーノが笑顔でそう言うと、ウィンザーとハルディオスは"パキッ"と大きな音をたてて凍ってしまった。
2人はまるで氷で作られた人型の造形物の様な姿になってしまった。
しかしその姿は、瞬間的だった。
2人のただならぬ闘気で氷化は一瞬にして解けてしまった。
「この程度で俺たちが凍ると思ったか?」
ウィンザーとハルディオスは呼吸一つ乱さず、かすり傷一つ付いていなかった。
「…凍傷にすらならないのかよ。お兄さん達、バケモン?」
モスキーノは冷や汗をかきながらあたふたしていた。
しかし、その様すらどこかわざとらしかった。
「お前の氷の曲芸はもう飽きた…と言いたいところだが、万策尽きた様でもなさそうだな。」
「まだ何か隠しているのか?」
2人は余裕に満ち溢れた表情で言った。
「う〜ん…とっておきの攻撃も、俺の冷気も通用しないとなると難儀するなあ…。でも流石のお兄さん達もさ、絶対零度には耐えられないんじゃない?」
モスキーノは不敵な笑みを浮かべていた。
「絶対零度だと?ふざけているのか?」
ウィンザーは半信半疑だった。
しかし、それが決してハッタリではないことを、ウィンザーとハルディオスはすぐに確信した。
周囲の気温が、明らかに急激に下がり続けていたのだ。
身体中が灼けつくほどに、空気は凍てついていた。
「今はまだドライアイスくらいかな?これからもっともっと下がるよ。お兄さん達、絶対零度がどれほどのもんか想像出来ないでしょ?まあそれは無理もないか。だって…マイナス273℃だもんね。」
モスキーノの顔からは笑顔が完全に消え、恐ろしく残忍な表情をしていた。
マイナス273℃。
この言葉を聞き、更にモスキーノの恐ろしい表情を見たウィンザーとハルディオスは震撼した。
それは紛れもない恐怖心だった。
しかし、そんな恐怖心をいつまでも抱いている間もなく、2人は氷結してしまった。
2人は人の姿をしていた頃の原型をほとんど留めていなかった。
そこにあるのは、まるで煙の様に止めどなく気体を発し続ける白い塊。
その塊も気体で覆われている為、肉眼で確認をすることが出来なかった。
絶対零度…それは、この世の全ての物質を消し去るほどの恐るべき冷気だった。
「おいコラ!モスキーノ!早く術を解けや!寒くて凍死しちまうよ!!」
ポナパルトは怒鳴り声を上げた。
「うるさいなあ!この技は解くのに時間がかかるんだよ!今集中してんだから黙ってて!」モスキーノはムスッとしていた。
「あの野郎まじかよ…絶対零度って…イカつ過ぎんだろ。」
「こんなの反則だろ…異次元すぎるぜ…。」
ロゼとエラルドは空いた口が塞がらなかった。
「おい、妙じゃねえか?モスキーノはここら一帯の気温を絶対零度まで下げたんだよな?なんでその近くにいる俺たちはちょっと寒さを感じる程度で、人の姿を保っていられるんだ?」ノヴァは疑問を呈した。
「フフフ…それはあれのおかげじゃない?」
バレンティノはそう言って遠くを親指でクイっと指をさした。
その指のさす方向には、カインによって放たれた炎が確認できた。
その炎は、まるでモスキーノを囲む様に覆い尽くされていた。
「おいおい、絶対零度の冷気を抑えてやがったのかよ…カインもとんでもねえ野郎だな。」ロゼは絶句していた。
カインはモスキーノに嘲笑の眼差しを向けていた。
それは、絶対零度など俺の放つ炎の前では無力だという、カインからの挑発ともとれる明確な意思表示だった。
「ははっ、相変わらず胸糞悪い野郎だ。」
モスキーノは口角を上げながら言った。
目は全く笑っていなかった。
モスキーノはゆっくりと冷気を解いていった。
するとあたりは段々と元の気温に戻っていき、カインの炎も消えた。
氷化が解け、ウィンザーとハルディオスはうつ伏せになって倒れていた。
絶対零度の冷気を直に受けても、かろうじて生きていたのだ。
驚異的な生命力だった。
「嘘でしょ?普通骨の髄まで跡形もなくこの世から消え去る筈なんだけどな。お兄さん達、本当に化け物だね。」
モスキーノは感心していた。
しかしウィンザーとハルディオスは全身の細胞が壊死し、内臓も心肺もほとんど機能していなかった。
「早く殺せ…いつまでもこんな無様な醜態を晒しているのは…死よりも耐え難い苦痛だ。」ウィンザーが言った。
2人とも命乞いなどせず、その態度はこの上なく潔かった。
「うん、そうさせてもらうね。」
モスキーノは氷の刃を持ち、冷たい目で言った。
すると、モスキーノの前にノストラが立ちはだかった。
「おじいちゃん、どうしたの?」
「モスキーノとやら、後生じゃ。此奴らを見逃してやってはくれんかのう。」
ノストラは悲痛な表情で懇願した。
「やめろノストラ…お前に情けをかけられるほど…俺たちは落ちぶれていない。」
ハルディオスが言った。
「おじいちゃんさ、この2人とどういう関係か知らないけど、それは余りにも無粋じゃない?俺たちは命を賭して戦った。結果、俺は勝ち2人は負けた。敗者の生死が勝者の手に委ねられるのは世の常でしょ?口出しされるおぼえはないね。」
モスキーノは冷たく言った。
「黙れ小童!なに長ったらしく訳の分からん御託並べとるんじゃい、ええ!?」
「ちょっと〜、急に怒鳴らないでよ〜。」
モスキーノはびっくりして目を丸くしていた。
すると、ノストラが突然号泣し始めた。
「ワシはのう、この2人のことが可愛くて可愛くて仕方がないんじゃい。どんなに堕ちても、かつての愛弟子であったことに変わりはないからのう。この2人のことが大好きなんじゃよ。何か文句あるんかい?何か問題あるんかい?おうコラ!」
ノストラは涙ながらに自身の心情を訴えた。
モスキーノは反応に困ってしまった。
そしてノストラは膝を突き、ウィンザーとハルディオスに顔を近づけた。
「おどれら、頼む。改心してくれ。改心すると言ってくれ…!そうすればワシがラーミアに頼んでなあ、おどれらの傷を治してもらうよう掛け合ってみるから…。」
ノストラの悲痛な顔を目の当たりにして、ウィンザーは少し心を痛めてしまった。
そして、自分にはまだこんな感情が残っていたのか、と驚いていた。
「あんたは…本当に昔から…甘いな。だからいつも…足元をすくわれるのだ。」
ハルディオスは、少しだけ微笑んでいた。
ノストラとウィンザーは目を疑った。
なんと、あのハルディオスが笑ったのだ。
それは20年前に笑顔を失って以来、初めてのことだった。
「ハルディオス…お前…。」
「ウィンザー…あの日、俺に生き場所をくれてありがとう。お前は生きろよ、相棒。」
ハルディオスはそう言い終えると、モスキーノの腰にしがみつき、最後の力を振り絞って空高く飛び上がった。
「おどれ!何をする気じゃあ!」
ノストラが空を仰いで叫んだ。
「お前…何を?てか…どうしてまだこんな力が残ってるんだ?」モスキーノは度肝を抜かれていた。
「お前は俺と一緒に逝ってもらう。この戦いは、ウィンザーの一人勝ちだな。」
そう言い残し、ハルディオスはモスキーノを抱えたまま、空中で自爆した。
ドカーン!と大きな音が鳴り響いた。
ハルディオスは腹回りに爆弾を括り付けていたのだ。
ウィンザーとノストラを巻き込まないよう配慮し、せめて最期はモスキーノに一矢報いたい一心で、道連れにして自爆する道を選んだのだ。
「モスキーノ!!?」
「ちょっとこれは…やばいねえ。」
ポナパルトとバレンティノは、モスキーノの身を案じていた。
凄まじい威力だった。
その爆風は、地上まで到達していた。
しかしモスキーノは、起爆する直前に氷を纏い間一髪で防御に成功していた。
幸い、右腕に軽い火傷を負った程度で済んだ。
「ハルディオス…お前の名前は絶対に忘れない。敵だが、お前を敬服する。せめて安らかに眠ってくれ。お前の生き様はしっかりと見届けた。」
モスキーノは敬意の念を抱き、合掌していた。
敵を讃えるのは、初めての経験だった。
ウィンザーは放心状態のまま、まだ空を見上げていた。
「生き場所をくれてありがとう…だと?それはこっちの台詞だ…。俺たちは一体、どこで間違えたんだろうな…。」
ウィンザーは、20年前の追憶に浸っていた。
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