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会社への不満を言いつつ、ずっと雇用されている道を選んでいるのは自分自身

仕事とは、社会の課題や期待に応えることを価値として、それに対して顧客やユーザからお金をいただくことである。

では、「社会の課題はコレです」「世の中が期待しているのはアレです」と言ったところで、多くの人たちは何をしていいのか分からないだろう。
そこで「課題を抱えている人たちがココにいます」「その人たちに対して次の手順で作業を進めて下さい」と指示する人がいれば動けるはずだ。

では、その指示する人は誰か? ――― そう、会社である。会社とは、社会が抱える多種多様な課題や期待の一部を引き受けるため設立され、その会社にとっての理念や思いをもって価値を提供する。

そこに「この会社で一緒に働きませんか?」という問いかけをして、それに応じた人たちがスタッフや職員として雇用されて、労働条件と雇用契約をもって働くことになる。

ここまでの見方を変えると、雇用される人たちは、会社にお膳立てしてもらった状態で仕事をするということになる。最初から社会の課題や期待が明確になっており、それを果たすための手順や道具も揃っている。また、社会保障や福利厚生なども考えると、多くの働き手は雇用された時点から手厚い待遇とも言える。




このような話をすると、会社に雇用されている多くの方々から「仕事をするため必要な物が揃っているのは当然だ」「労働基準法を守るのは会社の義務だ」と反論を受けるかもしれない。

それに対して「おっしゃる通りです」と素直に受け入れる。だって、その通りだから。雇用しておいて「自分たちで物品を準備して」「法律なんて気にしない」なんて会社はブラックだろう。

それに、昨今の会社はブラックと言われないように労働条件や労働環境には慎重になっている。下手なことをしたらSNSで炎上しかねない。

しかし、そのような時世だからだろうか。雇用する側(会社)と雇用される側(労働者)の立場が逆転しているように思える。

会社とは「社会へ価値を提供するため」にあるのに、まるで昨今では「労働者のため」に会社があるようだ。

もちろん、労働条件や労働環境、法律の遵守は大切だ。これらを適切かつ徹底することがある意味での抑止力となり、お互いに気持ちよく働ける。その結果として高いパフォーマンスを発揮して、世の中に質の良い価値を提供できる。

しかし、雇用される側である労働者が、それを主張するのは少し違うと思う。いや、主張しても別に構わないのだが、労働条件や労働環境が自分の思った通りにならないたびに「この会社はおかしい!」と鼻息を荒くされるのは困りものだとは言いたい。




実際、仕事に不満があるたびにインターネットで色々と調べたり、労働基準監督署などに訴えて、会社に申立てする人は少なからずいる。

正直、その行動力は感心する。
しかし、その時間がもったいないと思う。

それは「その行動力と時間を仕事で頑張ればいいのに」という嫌味的な意味ではない。「その行動力と時間を自分の好きなことに使えばいいのに」とか「そんなに会社に不満があるのならば、自分で起業すればいいのに」という意味である。

そんなに今の会社や仕事で自分の思った通りにいかないと言うならば、自分の思った通りに動けるためには独立するのが1番である。

しかし、独立という道を選ばないのは、給料という生活の糧が毎月確約されていることも含めて、会社というお膳立てされた安全な環境があるからだ。

会社にいれば不満もあるが、そこから出ないのは潜在的に安定性を維持したいからであり、その安定的な環境で何とか自分の思った通りにしようと躍起になるわけだ。

それはそれで1つの考え方・働き方であろうが、そもそも会社に雇用されるということは、自分の思った通りにならないことが多いという真実があることを、大人ならば理解したほうが良いと思う。

それは奴隷のような意味ではなく、誰かの方針や手順に従うということは、大なり小なり思った通りにいかないということだ。




例えば、プラモデルで「もっとココの可動域が広ければいいのに」と不満に思っても、手元にあるパーツと説明書に従って組み上げるしかない。

もしも、自分が望むような可動域のプラモデルを求めるならば、そのような製品が出るのを待つか、自分でイチから作ればいいだろう。

しかし、多くの人たちは「ここが問題だ」「こうなればいいのに」と不満を言うだけで終わる。決して何かしらのアクションを起こす事はしない。でも、不満を言い続けることはやめない。

労働環境に不満があると言いつつも、今の環境にいることが楽だから同じところで不満を言い続ける。それは問題提起しているようで、現状を受け入れていることと同義である。

そのような生き方を批判するつもりはない。しかし、会社に物申すタイプの人と話をすると、表面的には理論武装できているようで根本的に詰めが甘い。それはリスクなしに安全圏で主張しているからだ。

別にリスクをもつことが良いわけでないが、プラモデルの稼働域に不満がある消費者がネットにレビューする感覚で会社に意見しても、残念ながら返す言葉は何もない。それは幼稚であるからだ。

もしも、今ある環境が大好きで何とか良い方向にしたいならば、自分が主張しようとしていることが「自分だけのことか?」「会社の将来のためか?」を考えてみていただきたい。これは表面的なことではなく、本音の話だ。

それでも「会社の将来のため」と言えるならば、是非提案したほうが良いと思う。それでも不満が解消されないならば、それこそ思い切って新しい道を選んだり、自分で臨む世界を創るために独立することも視野に入れていただければ幸いである。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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