見出し画像

本当に相手の役に立ちたいならば「人知れず」より「報連相」してから行動する

「人知れず」行動することが好きな人がいる。

それは善意の意味での「人知れず」である。きっと困っている人がいたら、陰ながら支えたいタイプなのだろう。

そのような「人知れず」の行動が困っている人にとってプラスになれば、後で「フォローしてくれてありがとう」と感謝されることもある。

人のためを思っての行動という意味では、とても尊ぶべきあり方だ。

しかし、それはあくまで規模が小さい範囲ならば問題ない。また、その行動自体が誰でもできることも問題ない。

例えば、これが仕事だったらどうだろう?

仕事とは、達成する成果・目標に向けてチーム化されて、担当者や役職者が双方で連携しながら進行される。

このような複数の人たちがそれぞれの役割を全うしているとき、個人が「人知れず」行動したらどうだろう? 

自分に与えられた役割ではないことを、その役割の人が困っているから「人知れず」手伝うことは良いことなのだろうか?

・・・このような「人知れず」はやめたほうが良い。
というか、それはただの独断専行であり、NGである。

「きっと喜んでもらえる」「〇〇さんが大変そうだから」といった期待や優しさはあっても良いが、自分の役割ではないことを「人知れず」進行するのは、ただの自己満足でしかない。

もっと言えば、「人知れず」行動して評価されると思い込んでいる人がいるが、本質的な意味では評価されることはない。なぜなら、それはスタンドプレイに他ならないからだ。

――― それでも、困っている人を手伝ってあげたいと思うならば、「人知れず」に行動するのではなく、まずはちゃんと「報連相」をしよう。

特に仕事においては、報連相は基本中の基本である。自分が困ったときや状況報告だけでなく、「自分も手伝えることがないか?」と意思表示することも報連相である。

そのためには、同僚などが困っているならば「何か手伝おうか?」「大変そうだけれど、困っていない?」といった働きかけをするのが第一歩だ。

もしかしたら「大丈夫だよ」「何とかできると思う」と返答されるかもしれない。そのときは、そのときだ。相手の意思を尊重しよう。

むしろ、相手からすると、自分の知らないところで「人知れず」に勝手に動かれて、気づいたときに自分が手掛けていない成果ができていたら、混乱や憤り、落胆につながる可能性がある。

これは仕事の話だけではなく、プライベートでも場合によっては通じる話である。「人知れず」に良かれと思ってやったことが、相手にとって「勝手なことをしないでよ!」「余計なお世話!」となってしまう場合もある。

「人知れず」やりたい気持ちは分からないでもないが、本当の意味でチーム全体や特定の個人の役に立ちたいと思うならば、まずは「報連相」として関りをもつことを推奨する。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?