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現場経験だけでは限界がある。「構想」と「実行」のバランスをもつ

介護は現場仕事である。

しかし、現場がすべてとは思ってはいけない。

現場とは「実行」の場であり、1つの視点である。
現場以外の立場も含めた総合的な視点が、介護では大切である。

また、物事は「実行」の前に「構想」が必要である。
「構想」とは、計画や思考、知識や手順などと呼ばれるものだ。

「構想」がない「実行」はないし、「実行」のない「構想」もない。
これらはトレードオフの関係ではなく、お互いに補助し合う関係だ。

つまり、介護も「構想」と「実行」のバランスは重要という話である。



しかし、介護は現場主義に偏りがちである。つまり、「構想」を無視して「実行」に重きが置かれる。

この1つの例として、介護サービスを提供するためのケアプランを立てても、現場で「プランどおりに行くわけない」「その場で臨機応変にやることが現場というもの」という考えをする介護者は少なくない。

このような考え方になってしまう原因は、介護の仕事を「現場での経験がすべて」と思い込みをしているからだと思う。

これは「構想」を無視した考え方である。現場での経験という「実行」だけで、介護の仕事がすべて通用するという誤解とも言える。

もちろん、経験は大事である。物事は実践しないと始まらない。
しかし、「構想」を無視して経験を積むのは危険である。

「構想」なしに経験と言う名の「実行」を行うことは、いわば勉強せずに試験に臨むようなものだ。


抽象的な話が続いたので、少し具体的な話をする。というか、これが本題であり、介護の仕事に就いている方々への警鐘でもある。

それは、

「現場での経験がすべて」と言って勉強していないと、そのしっぺ返しは必ず自分に返ってくる

あるいは

資格をもっているからと言って慢心していると、若手にも時代にもどんどん追い越されてしまう

ということだ。

たまに、職場内で研修をすると、つまらなそうに話を聞いているベテラン介護者がいる。そのような人曰く「本に書いていることは、現場では通用しない」という言い分だ。

一方、研修後に「この項目は忘れていました」とか「今度現場で試してみたいと思います」という感想を述べる介護スタッフもいる。

学んだことを「知っている」「できるから大丈夫」と言うのも結構だし、改めて学び直す機会と捉えるのも結構だ。解釈は人それぞれで良いだろう。

しかし、1つの学習の機会に対しての捉え方が素直か否かによって、それ以降の成長は異なるのは言うまでもない。



別に「勉強した方がいい」というつもりはない。
勉強なんて個人がするか・しないかだけの話である。

勉強とは長距離マラソンみたいなものであり、その成果を実感することには時間がかかる。

成果が分からない時期や停滞期にストレスを感じながらも続けた結果、あるとき「ああ、そういうことか」と理解できることもある。

あるいは、何に役に立つか分からないことを色々勉強してきたところ、あるとき「アレとコレをつなげると面白いことになるな」と閃きが生まれることもある。

勉強と言わずとも、自分が行動したことが自分の人生を作るのは確かだ。

反対に、勉強して”こなかった”結果もまた、年月をかけて痛感する。

「現場がすべて」なんて言ったところで、結局は同じ職場で同じことを繰り返しているだけの人たちは少なくない。それはつまり、勤続年数が長いだけのおじさん・おばさんである。

同じ作業を繰り返してスキルアップと認められるのは新人だけである。
1年、2年、3年・・・と年月を重ねると、新人もベテランも同じレベルである。

それなのに、歳と勤続年数を重ねるだけで立場や給料が上がると思っている働き手は未だにいる。こんな考えでは職場も時代にも取り残されてしまう。


そもそも、いくら現場で経験を積んだとしても、年齢を重ねるほどに肉体と理解力は落ちてしまう。仕事のクオリティも落ちていく。

このような現実に早いうちから気づく必要はあろう。

このような現実と時代や職場に取り残されなくなければ、とりあえず「現場がすべて」なんて言い訳していないで、1日5分でいいから勉強してはどうか? というのが本記事の言いたい事である。

正直言って、ベテランのような振る舞いをしている年配の介護職員や、いかにも色々な社会経験を積んできたと言わんばかりの中年職員を見ていると、勉強していない人というのは日常の振る舞いから分かる。

勉強していない人は「変化に乏しい」「変化に適合しようとしない」

言っていることも、考え方も変わらないうえに、自分の考え方には固執して周囲の考えに賛同せず、言い訳やネガティブなことばかり言う。一方で自分を良く見せようとするし、認められたい欲求が強い。

しかし、正直言って、勉強していない人は話をしていてつまらない。
変化に乏しいし、人の話を全く聞かず自分の(つまらない)話ばかりすることから周囲も関わりを避けるようになる。


同じ職場で働き続けることは構わない。

しかし、時代とともに自分を「変化」させたほうがよい。

そのためには、「構想」と「実行」のバランスがとれた社会人になることが大切であると思う。

そして、これら「変化」「構想」「実行」を備える人材になるために、誰でもできることとして勉強してはどうか? ということである。

1日5分でも言い、1日1回でもいい。

まずは今日、自分が分からなかったことを調べることから始めてみてはどうだろう? そして、できれば、調べたことを自分の仕事などにむすびつける癖をつけると良いと思う。

それが「変化」の兆しであり、「構想」しているということだ。
あとはそれを形にするための「実行」に落とし込めれば最高だと思う。

面倒くさいかもしれないが、1日5分くらい意識的に面倒事をする時間があっても損はないと思う。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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