2012年8月15日「日本の国益と道徳を守る」/8月18日 日本滅亡の序曲/8月31日 全く誰にも相手にされなかった「女性論」

2012年08月15日 「日本の国益と道徳を守る」

 いじめ問題について。

 道徳教育の必要性を頑として認めない朝日新聞は中川翔子など芸能人の「逃げて。逃げて」という無責任なコメントを連日掲載している。

 正直激しい怒りを禁じえない。

 しかし、私は中2の時にいじめを受けていて、自宅マンションからの飛び降り自殺も考えたほどだが、絶対的な親の管理下に置かれ、学校しか社会のない未熟な子供にとって「逃げる」という選択肢はすなわち「登校拒否」でしかなく、よって学業がおろそかになる、いじめ加害生徒によって高校に行けなくなるイコール人として生きていく芽がなくなるということでもあり、また「登校拒否」そのものが、いじめ被害者であれ数人は友達や頼れる先生のいるその中学のコミュニティから切り離されることでもあり、「死」を意味している。
 

 義務教育下の中学生にとって、中学以外の選択肢などないのだ。

 まして非のない被害者の方がなぜ逃げる必要があるのか?と。


 いじめ加害・被害両方の経験がある私は、「いじめ問題」に関心が強く、2006年に教育再生会議で取り上げられた「いじめ加害生徒出席停止案」を提言した。

 哲学・社会学・社会思想の人文諸学を踏まえ、大半が性善説の日本の教育現場にあって、曽野綾子さんが「子どもは悪いから学校に行くんです」と言うように、性悪説を以って子供に社会秩序を訓育しようという意図である。

 要は、いじめの現場と何ら関係ない教育委員会を介さず、学校の自治を認め、加害生徒の罰則を明文化して、被害生徒の教育権を守ろう、と。

 哲学・社会学・社会思想の人文諸学を踏まえ、大半が事なかれ主義で無思想な性善説の日本の教育現場にあって、性悪説を以って子供に社会秩序を訓育しようという意図である。

 率直に言って、「いじめ問題」は日本のメディアにとっても、政府にとっても、「ただのブーム」に過ぎない。

 日韓問題といじめ問題、全く違った問題に見えるが、いくつかの共通項があり、根本的には同じ問題とすら言える。

◇昔の発展途上国だった韓国に対して、日本は一貫して「性善説」を採り、「友好関係を築けるように」と、莫大な経済支援や技術支援をしてきたが、竹島問題や徴用工訴訟など、現代になって完全に恩を仇で返されている。→「性善説外交の失敗」(2020年追記)

◇いわば、いじめ加害生徒である「韓国」に対して、日本(政府)が弱くなり、毅然とした態度をとれない。

◇左翼・韓流推進・反道徳メディアの増長。


2012年08月18日 日本滅亡の序曲

◇企業の台頭、官僚の保身

 日本においては、自分が所属する企業や省庁に忠誠を尽くす人は多くとも、内閣総理大臣に忠誠を尽くす人は皆無と言ってよいだろう。

 サンデルやラースンが提起する道徳的懸念は、朝日新聞のような系列のヤカラには微塵も伝わらない。まさ馬の耳に念仏というやつだ。馬を朝日新聞に喩えたら、それこそ馬に失礼だ。仙台育英の根性焼き隠しなど億ある大罪の一つですらない。

 今日の日本とはメディアとそれを牛耳る企業が完全に正義であり、カネこそがすべてであり、韓流を垂れ流し、「個人の享楽主義こそがすべて」という国に堕している。

「企業にはこころがない。魂も道徳心もない。」「死の直前に(リンカーン)大統領は次のようにいったそうだ。『企業は自ら王になった。これからは高貴なモノが打ち砕かれる時代になる。カネがひとびとを誤った方向に導き、企業の王政を長引かせようとする…。』」「…さらには放送電波も支配し、…文化のあり方をコントロールし、望むがままに巨大かつパワフルになれる。」(カレ・ラースン著加藤あきら訳「さよなら、消費社会」より)

 特にメディアを牛耳る日本の企業や官僚が日本の団結と道徳的価値観の再構築の重荷・足枷となっている。

「アサヒは読むものではなく、飲むものだ」という石原慎太郎の言葉は正鵠を射ている。


◇日本における価値観の相対化と、道徳的価値観崩壊(アノミー)による社会衰退


 私がこれまで「女性脅威論」で書いている通りで、今日日本の若い女性とは、韓流アイドルを愛好し、援助交際をして、幼児虐待、モンスター・ペアレント…。

 一切が価値観の相対化(「絶対化」の反対)によって、自己批判せず、他者を配慮せず、迷惑を考慮せず、ただ感情的な好き嫌いの暴君として唯我独尊であり、社会衰退の度合いを増すばかりである。

 まして、40前後の団塊ジュニアの70年代生の女性とは著しい少子化にも現れている通り、男の側からコミュニケーションを計ること自体が至難であって、ただ男というだけで女から排除され続けてきたのが私の青春である。


 「哲学のない、戦略のない国」

 私が日本を立て直すために考えることは、任期四年の大統領制を採用することと、スイスのような永世中立国を志向することである。

 私個人は、今のままの衆愚政治なら、「天皇主権」に戻した方がいいとさえ思える。

 少なくとも消費税廃止などは鶴の一声であっさり決められるだろうし、地上波の国有化も偏向とコネとセンセーショナリズムで社会衰退の癌となっている民放キー局を解体することは、日本国にとってこの上ない利益となるだろうから。

 日本人一人一人の自由や権利が人としての最低限の道徳はおろか公共の利益を完全に無視して、著しく膨張することによって、国や社会が多くの問題を抱えるようになり、逆に自殺などの社会問題が急増して、果ては周辺国の侵略まで真近に聞こえるようになっているのだから。


 朝日新聞始め、すべてを相対化して、自己批判できず、最低限のモラルすら持ち得なくなってしまった「馬の耳」の保身と個別的利益だけの国民各位には、もはや何を言ってもムダになってしまったんだ。

 私は以前日本哲学会の総会で、グループで他の若い会員と話をした時、「人がたとえどんなに勉強して、どんなに正しい提言をしても、相手が聞く耳を持たなかったら意味がない。」と言って共感されたことがある。

 まして、私は日本に生まれてこの方、何十回と女にフラれ、理不尽に罵られ、無視され、唯の一度も女と付き合えたこともなく、一人の理解者がいたわけでもなし、良い仕事に就けたわけでもなし、日本に対する思いは「負の一色」である。

 まして官僚経験もない、弁護士でもない一介の無名な哲学者が、三島由紀夫のような影響力のある作家のように命を懸けてまでこの国の話の通じない人たちに向けて自分の考えを聞かせようとは思わない。

 40年前の三島でさえ不可能だったのだ。私ごときでは唯の一人も聞く耳を持つまい、と。

「ただ、何もしないよりは」と心ある若者に一行だけでも目に留まればと思い、正しい限りの提言をブログにて記すのだ、と。


2012年08月31日 全く誰にも相手にされなかった「女性論」

 「女性論」の真意

 大手出版社には全く誰にも相手にされなかった「女性論」。

 しかし、私は自分の思想・信念を曲げることはないし、それを表現する自由がある以上、日本の将来を憂えて本論を展開し続ける以外にはない。


 長い期間猛暑日が続く2012年の夏、日本IBM最高顧問のiPodによる盗撮や、女性に精液をふりかけるなど、倒錯した事件が相次いでいる。

 このような性犯罪で逮捕されるのは99.9%が男性である。

 だが、別の見方をすれば男性による性犯罪は「起こればしっかり検挙される」ということでもある。

 そして、デュルケイムによると、女性が性的欲求を満たすのは、非常に簡単であり、また利益にもなる。

 男が性行為を起こす主体であり、女がその受け手である以上は、女が検挙され、男が利益を得て性欲を解消できるということはありえない。

 ストーカー殺人などで殺されてしまう場合もあるが、iPodによる盗撮に関しては、そういった文明の利器がない時代にはありえない行為であり、下着が見えてしまうほど短いスカートの女性も決して少なくないため、社会環境の問題が大きい。

 一方で女性のみだらな行為というものは、むしろ社会によって求められているものでもあり、男性のように逮捕されるどころか、出会い系などで裸を露出した画像を上げて多くの男性が殺到するのである。

 社会全体の道徳的価値観が退廃して、男女とも節操がなくなり、今日の事態に及んでいるのだが、それを国や自治体やマスコミにいくら唱えてもムダである。実際に長年唱えてきて完全にムダであった。

 しかし、私が前の仕事、東京サマーランドで、それこそ一日何百組もの若親を接客し、まさに東京中、関東中のいろんなタイプの若い母親を見てきたが、やはり一番クレーマーが多かったのもダントツで若い母親だった。

 単に「しつけられない」というだけではなく、凶暴でかなり攻撃的になりつつある。

 逆に上の世代の女性になると、急になれなれしすぎるほどになるし、彼氏・旦那の方も、私のように平謝りするような低姿勢の人が多かった。悪そうな彼氏というのもいるにはいたが、みんなファッションだけが恐そうというだけで、話せば分かる。 

 私が仕事をしている間は、とにかく若い女性は危険物以外の何物でもなかった。 

 高校時代から同世代の多くの女性に交際を求め、大学を出てからも、いろんな仕事をし、「じゃまーる」という情報誌で、ホストの方や極道の方も含むいろんな人と交流したが、やはり日本の若い女性、70年代生まれから80年代生まれの女性には大きな問題があるという結論は確固としたものだった。

 もちろん、私一人の意見や経験だけではなく、大学以降幅広い人の意見を聞き、女性に接し、やはり、いい人もいるにはいるが、70年代生まれから80年代生まれの女性は、どう考えても、60年代生まれや90年代生まれの女性と比べても大変コミュニケーションが取りづらいか、性格が悪いか、暗いか、陰険で人としてのモラルが低いという結論を出した。とにかく人の悪口や陰口を言う。また、いい年になっても、女性としての自分の価値を若い時と同じくらい極めて高く踏んでいるので手に負えない。

 個人差や地域差(北海道はよそよそしいが三重県は明るい人が多いなど)は、承知しているが、誰かがどこかで線引きをして、まして人口の多いこの世代の出産適齢期で逆に少子化となっている数字が出ている以上、まして幼児虐待が多い以上、バシッと「70年代生まれから80年代生まれの女性には大きな問題がある」と誰かが言ってしまわなければならない。

 日本のメディアに失望し、私の真意が汲み取られる可能性は少ないので、ここに私の真意を書き留めておく。

 そもそも「女性論」の真意は、橋もっちゃんと同じで、「地域主権型道州制」である。

 要はテレビ・民放キー局の商業・享楽主義の影響で、日本人の道徳的価値観が戦後一気に退廃した。

 中央発信のアイドルや、最近では韓流に席巻され、アメリカ以上にしつけられていない若い女というものが、メディアのターゲットとなり、カレ・ラースンが警鐘を鳴らすような、すべての企業が私のようには訓育をせず、ただただ若い女に迎合して、この国をまさにこんな形にした…。

 イタリアには、ローマがあり、ミラノがあり、トリノがあり、アメリカには首都ワシントンではなく、NYあり、LAあり、イギリスには、ロンドンがあり、リヴァプールがあり、マンチェスターがあり、ドイツはさらにいろんな都市があるが、日本には東京しかない。  

 社会衰退の原因とはまさに、女性ではなく、カレ・ラースンにならえば民放キー局に原因があり、さらにその元をたどれば、「東京」に原因があるのである。

 江口克彦の名著「地域主権型道州制」も読んだ。

 首都機能移転も重要である。ただ、日本の地方には、ローマやミラノのような力は全くない。大阪などはさらにモラルが下がってしまう。

 そしたら、なぜ私がまだ「女性脅威論」と言うのか?

 それは橋下政権で「地域主権型道州制」が達成されて、あり得はしないと思うが、何年後かに民放キー局が解体されて、テレビや文化の発信地が地方に移って、地域がコミュニティを取り戻したとしても、やはり、今日の「モンスターペアレント」と呼ばれる若い母親や、援助交際をする若い女性は誰かがしつけていかなければならないためである。

 仮に行政システムが一変しても、現にいる不親切で無配慮で頭の悪い日本の若い女性自体と、彼女たちのコミュニケーションにおける圧倒的な優位性は全く変わらないためだ。

 誰かが嫌われ者になって、若い大人の女性にしっかりとした苦言を言っていかなければならない。

 まして、若くてかわいい女性は周りにちやほやされて全く挫折をせずに成長し、たとえば上原さくらや高嶋政伸の妻だった美元のように30を過ぎても全く他人に配慮できない、いや彼女たちを見る限り、私がこれまで見知ってきた女性の方がはるかにヒドい。タチが悪い。

 前にも述べたが、かつて「マレーの虎」と恐れられた日本陸軍の山下奉文は処刑真際に婦女子教育の重要性を訴えた。かくして、彼の不安は的中して今日のような理性や配慮が通用しない、女性の気分だけが何よりも優先され、支配力を持つ恐ろしい社会になった。私は正月に靖国に昇殿参拝して、山下の英霊に手を合わせたが、もはや私一人の力ではこの国はどうすることもできなかった。

 私が持つような、女性に嫌われても尚、憂国の志というのはもはや誰一人も持たなくなってしまった。

 もっとも、昨今の中国や北朝鮮や韓国の政府のように、他者配慮を考えず、それこそ日本の私と同世代の女性や若い女性のように、保守的で排他的に、自分たちの力・言い分だけを相手に押し付ける、そんな時代に突入しているのかもしれない。

 日本との領土問題をしきりに既成事実化しようとする、一方的で攻撃的な中国共産党指導部の意識は、70年代から80年代生まれの日本人女性が持つ、他者配慮を一切しない自分勝手な性悪さに通じるものがある。

 …だとしたら、この最低限の他者配慮を持たない、宗教倫理のない日・朝・中の黄色人種そのものがいなくなってしまった方が、人類全体のためにいいのかもしれない。

 少なくともチベットは、その倫理は救われる。

 それは極論過ぎるが、少なくとも、それらの世代の日本の女性は、男とも話さず、子を産まないのなら、荷物をまとめてとっとと自分たちの精神に近い中国にでも行って、他者配慮の「優雅さ」を是とするこの国からいなくなって欲しい。

 代わりに日本には、長身でモデルのような体型をした、若くてブロンドの美しいロシア人女性の移民をたくさん受け入れて欲しい。

 彼女たちの多くは日本の文化に大変興味を持っていて、かつロシアでの生活を不幸と感じているから。

 もちろん、キリスト教倫理も備わっている。

 そして少なくとも、下の下である70年代から80年代生まれの日本人女性よりは親切なハズだ。圧倒的に美しい彼女たちによって、自らの稀少価値にふんぞり返る日本のバカ女もがっつり自然淘汰される。

 日本の米じゃないんだから、バカ国家日本が女の減反政策をして価格を調整する必要なんてない。

 「70年代から80年代生まれの排他的な女は、今スグ中国に帰れ。」

 第一、彼女たちと同じく「非道徳さ」を是とする中共には「一人っ子政策」があって、波長もピッタリ合いそうだ。

 美しいと自認する子を産まないそれらの世代の女たちには、子供を産まなくてもいい中国への移民を薦めるパンフレットを配ってとっとと厄介払いした方がいい。

 向こうの反日感情や強制労働のことは内緒にして。

 そして行って一日と経たないうちに日本の、日本人男性のありがたみが分かるようになる。

 だが現実は日本の女性に他者配慮の「優雅さ」は全く見受けられず、これら道徳観念が著しく欠落した70年代から80年代生まれの彼女たちが商業メディアによって神のごとく崇められている。

 要するに日本は内にこれら中共のような下賎な精神を抱えて、現に彼女たちのポルポト以下の無知なる悪意「排他的自由」によって、極端な少子化に陥っているのだから、配慮や理性といった「優雅さ」を国是として外交を進めている日本は自己矛盾であり、まさにこの国は理論的にも破綻して、現実的にも滅び始めている。

 日本を一つの文明と見た場合、高度経済成長を経て、道徳の退廃と震災とに見舞われ、終焉のときが近づいているのかもしれない。

「中国脅威論」されど「女性脅威論」だ。 

 なぜなら、「中国脅威論」の問いは誰にでも答えが明確で、「悪」は中共であり、「善」は劉暁波だ。

 そしてその軍事的脅威に対しては、人民解放軍の海軍力が今よりも増強して青島から無数の空母を展開する前に、領海領空に入ったら、憲法を変えてでも今のうちにある程度叩いておくしかない。

 だが、わが国の「女性脅威論」はそのように単純な図式にはできない。

 なにしろ、国やメディアや社会全体が崇拝してかたくなに守り続けている稀少価値であるから。

 そして、道徳的価値観が欠落した女の狂気<甘やかされた彼女たちにとりついた悪魔>はあなたの身近に潜むのだから。 

 

※こちらは2012年2012年8月15日から31日にアメブロで投稿された、現在非公開の記事となります。
 あくまで一哲学者の記録として保存することを目的とした記事であり、2020年現在の社会情勢にそぐわない部分があることはもちろん、私自身、道半ばの時期で、今の私自身とは異なる点も多々あり、ニーチェに影響された大変厳しい文章となっていますことを予めご了承下さい。


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