「なんとなく」の心境を考えてみたらけっこうスッキリした
◯ BISINESS INSIDERにこんな記事が掲載されていた
簡単に要約すると、内容は次のようなものでした。
" 成功し、「社会のため」「未来のため」と活躍する姿ばかりがSNSに溢れる。でも現実の自分を振り返れば『やりたいことなんてない』『好きを仕事になんてできない』。
そんな中でも、人々が "怒り" や "不満" を抱くことは山ほどある。
やりたいことや好きなことがなければ、その怒りをアクションのエネルギーに変えてあげよう。 "
Z世代に限らず、悩めるあらゆる若者に心から寄り添った内容で、
思わず「そう! そうなんだよ!!」と言いたくなりました。
僕自身もSNSを通じて、煌びやかな人たちの強かであっと言わせるような発言・経験・役職に憧れを持つ一方、現状の自己を顧みて「一体自分にはなにがあるんだろうか」と自問しながら落胆することが何度もありました。
現状と未来を比べる時のこの気持ちは、Z世代の僕たちだけに限らずみんなが抱いていて、
時間が過ぎていく中、もう目をやる必要がなくなったり、耐えきれず目を向けられなくなったりしていくのかもしれません。
当記事に対して、Twitterではこんな感想が。
仕事は目の前にある事を不義理しないで少しずつちゃんとやってればどんどん楽になるし好きになると思うんです。
自分が好きだと思える仕事を探していくより、今やっている仕事を好きになる努力をしてみることも大事だと思う。
俺は冷蔵庫運ぶ仕事も楽しい。
[引用]
大学生になってもやりたいことなんて無かったし、無くても不安では無かった。
公務員を目指すつもりが、なんとなくデザイナーに興味が湧いて(全部落ちたら適当に働くつもりでいた)たまたま受かって、働いているうちに引き込まれて、なんとなくやりたいことが出来ました。
[引用]
ちなみにこちらは執筆者であるONE CAREER 寺口 浩大さんのコメント。
関心を寄せた箇所が記事とは大きく関わりのないところですが、
Twitterで記事の感想Tweetを漁る中、「なんとなく」という言葉が目につきました。同時に、この記事で大切な部分は『怒りは創造のエネルギー』だということなのに、いかにして「なんとなく」のテンションでそこにまで向かえるのだろうと疑問に思いました。
◯ 「なんとなく」は諸刃の剣だった
何かを決定し、動機を尋ねられたら時、考えもせずとも口に浮かんでくる言葉。
...なんとなく... とりあえず....
感想の中で見かけたこの言葉は、時間軸の中での "点" の時なら問題ないと思うのですが、"線" での話だと「なんとなく」や「とりあえず」は諸刃の剣になりうると考えました。
直感120%で生きてきた僕は、物事に取り組むのも早ければ手放してしまうのも異様に早い、本当に早い。これは、「なんとなく」と「とりあえず」を"線"の箇所でも使ってしまっていたからなのかも、と思うのです。
このnoteで取り上げている記事の感想に、『まずは今の仕事を頑張って続けるのも大事』というお言葉がありました。それをそっくり文字面通りに考えると「なんとなくでいいから」とも取れ、「今の仕事を頑張って続ける」という "線" に対し、"点" でのみ有効に働く「なんとなく」を発動させてしまっています。
間違いなくその期間は惰性に終わることでしょう。
反面、適切なタイミングの「なんとなく」は、理論的根拠や経験則、事例などを吹っ飛ばして実行に飛び乗ることができます。持続可能な計画の有無という側面での良し悪しは置いておいて、とにかく早く実行ステップにたどり着けるでしょう。
◯ 「なんとなく」抹消
振り返ると、最近の僕には「なんとなく」がかなり多いようでした。
物事には理由があるけど、冷蔵庫を開ける時の理由が必ずしも毎回あるとは限りません。でも、そこをなんとなくで片付けるということは、理由が鮮明になっていないからでしょう
。ちょっとだけでも考えれば、『牛乳を取ろうとして開けた』と目的あったはずなのです。(瑣末で "点" に当たる問題には理由を探す必要はありませんので、冷蔵庫の話はあまり良い例ではなかったかもしれません...)
どうしよう、「なんとなく禁止デー」とかつくろうか....
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