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ウェブ上の "キリトリ行為" を考えてみる

ついぞこの前、新宿駅東口の街頭ビジョンに巨大3Dネコが登場したのは記憶い新しいかと思います。

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在宅が主の私は、残念ながら直接目にすることができなかったのですが、
嬉しいことにその時にはTwitterで流れてきたどなたかのTweetで、その様子を見ることができました。

そのTwitterの動画では巨大3Dネコの様子しか確認できませんでしたが、
おそらく多くの人がスマホを掲げて動画・写真を残し、SNSで投稿したり友だちに送って見せたりしたことでしょう。

私が目にしたのもその1つなのですから。

今回お話ししたいのは、このように物事の一部分を切り取りメディア化させることについてです。
一見ごくごく当たり前な行いに見えるこうした"キリトリ"には、どんな例があるのか? はたまた、それがどの様な効能を生んでいるのか?
ユーザー・プラットフォーム・クリエイターという3つの視点から考えるべく、「バーティカル動画プラットフォーム smash.」と「ひろゆきさんの切り抜き動画」、「Instagramの最新アップデート情報」の3事例をもとに考えていきたいと思います。

※ 当noteでの表現について

・メディア
当note上で単体で表現される「メディア」は、ソーシャルメディアなどにみる情報伝達手段(= "意思伝達メディア")という狭義的意味だけでなく、メモリーカードのような記録保存装置(= "記録メディア")としての意味も包含します。[参考]

・キリトリ
スクリーンショットや動画切り取りなど、全体の一部を切り取り断片的な情報とすること全般を キリトリ と表記しています。また、キリトリを施したコンテンツを キリトリ・コンテンツ と表記しています。

●ユーザーのキリトリ - smash.

SHOWROOM株式会社によって運営される、縦型動画視聴アプリの smash. です。

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従来のVOD(Video On Demand)の横型を離れ、縦型のモバイルファースを追い求めたsmash.ですが、注目したいのはそこではありません。NetflixなどのVODとは異り、投稿者の情報にも焦点を向けるYoutubeのようなソーシャルメディア色を備えており、それを象徴する最初の機能が「PICK機能」。

動画の好きなシーンを15秒まで保存することができ、その動画をTwitterやLINE, Instagramなどでシェアすることができるのです。(PICKした動画は自身のアカウントプロフィールにアーカイブされる)

「ENBAKO 〜エンタメ箱〜」より

また、今年の8月にはコンテンツをユーザー同士で視聴できる「シアターポッド」が導入され、より一層ソーシャルメディア化を図っています。

さて、このsmash.のPICK機能ですが、コンテンツ再生中の画面録画は禁止されており(スクリーンショットはOKのよう)、作成したPICKは当然ながらsmash.上でしか視聴ができません。
この点から、スマホカメラやスクリーンショットほどの汎用性はもたないも、自治性を保ちつつアプリ内コミュニティでの二次コンテンツ化・記録メディア化する意義を見て取れます。

ただし、URL化させたPICKをアプリ外で再生、それを画面録画し二次コンテンツ化するという強引な手法も考えられ、smash. でのキリトリ・コンテンツの取り扱いによって不特定多数のアプリ非利用者が視聴できてしまう環境も生じ得るでしょうから、シアターポッドの視聴人数が30名に限定されているというのも一種の自治性保持に役立っていると言えます。

●プラットフォームに依存するキリトリ - ひろゆきさんのバズり術

歯に衣着せぬ物言いで、バッサバッサと視聴者の悩みや世間のアレコレを切り捨てていくトーク動画で有名な論破王 ひろゆきさん。

その当人の Content ID を付した「切り抜き動画」が出回り、当人も驚くほどのバズりを生んでいます。
元はと言えば切り抜き動画は著作権侵害でありかなりネガティブなイメージを保たれていました。最近でいえば「ファスト映画」(映画の本編を無断で使い、字幕やナレーションを付けて10分程度にまとめた違法な動画)投稿者の逮捕が目新しいでしょう。

「ENBAKO 〜エンタメ箱〜」より

この切り抜き動画のバズのユニークな点が、当人が切り抜きを許可しているという点です。(もちろん、切り抜き動画にIDを付与し再生回数や広告などからの収入がひろゆきさん当人にも分配されるというベネフィットありきの許可であり、Youtubeにこの機能がなければまず実施できなかったでしょう。)

かなり単純な話ではありますが、クリエイターの財産でもあるコンテンツその複製を許可することは、マネタイズ源の分散〜縮小を招く可能性があります。ところが、YoutubeのContent ID活用したひろゆきさんのバズり術により瞬く間にキリトリ・コンテンツの意義が浸透しました。

しかし、例えばInstagram上でとあるバズの元ネタをクリエイター当人の承認の元コピーアカウントで投稿したところで、一切のマネタイズにもならず、はたまたこれをTwitterでやったところで『はいパクツイ』と一瞥もなしにタイムラインに流れ消えていくことでしょう。
つまりは、このクリエイター承認型のキリトリ・コンテンツはYoutubeというプラットフォームに限り正当なマネタイズが実現できるのであり、その他のプラットフォームで実施する場合にはアテンションの分散〜縮小を招くだけに終わってしまいます。

このように、クリエイターとキリトリ・コンテンツの関係はプラトフォームの標準機能に強く依存していることがわかります。

●クリエイターによるキリトリ - Instagram、IGTVとフィード動画を統合

もはや写真投稿SNSとはほど遠いプラットフォームに成長したInstagram。
今や短編・長編動画や抜群(THE WALL STREET JOURNALに『10代女子に対し有害』と言わしめるほどに)のレコメンドエンジンを搭載する発見タブ、ライブ配信、ショッピングタグなど多様な機能を実装するに至っています。

「ENBAKO 〜エンタメ箱〜」より (1)

この10月のリリース文によると、短尺動画リールを除くInstagram上の動画コンテンツが「Instagram動画」として一元化、プロフィール欄にフィード動画とIGTVが一括で掲載されるようになりました。(※ 2021年10月9日00:07現在では、一部アカウントのみ有効化)

このアップデートに伴い、投稿する動画コンテンツのトリミングも可能になりました。
投稿動画のトリミングはYoutube studioでも実装されており、また短尺動画プラットフォームであるTikTokでも標準機能として投稿画面に実装されています。

ユーザーのアテンションと可処分時間の奪い合いとなっている昨今のウェブコンテンツでは、可能な限り効果的にユーザーの注意を維持し続けエンゲージメントを獲得する必要があります。そのためにも、必要とされる箇所だけにコンテンツのエッセンスを絞り込む手法が有効でしょう。
このように、クリエイター側のキリトリは群雄割拠のソーシャルメディアでユーザーの耳目を獲得するため必須のステップと言えます。

まとめ

さて、ここまでユーザー・プラットフォーム・クリエイターの3者によるキリトリを見てきました。

そもそも、なぜキリトリが行われるのかと考えてみると、『せざるを得ないから』『既にされているから』という2つの理由が挙げられるでしょう。
というのも、あまりに数多の情報が錯乱するなかで、その全ソースを参照することは不可能であり、自身でキリトリする以前にすでにキリトリされ二次コンテンツ化されたキリトリ・コンテンツが溢れているわけですから、キリトリしていないようでも既にキリトリが行われてしまっているのです。

なにもキリトリ行為を非難したい訳ではありませんが、その行い自体をユーザー・プラットフォーム・クリエイターという3者間の視座から具体例とともに紐解くことで、スマートフォンのスクリーンショットやカメラによる "(デジタルプラットフォームに関与しない)公共的キリトリ" との差異を見出したいと考えていました。
スマートフォンのほぼ完全な普及により、そのカメラが元来主体であった私たち1人ひとりをコンテンツ化し、客体へと一転させたのは言うまでもありませんが、それにより行われる公共的キリトリとここまでに見てきたキリトリ行為には何か違いがあるはずです。

その差異点をここで「主体と客体への分離」と据えてみたいと思います。

キリトリ行為それ自体には、切り取る主体がそこにあるだけで主体は主体であり続けます。
しかしながら、ひとたびプラットフォーム上に登るとそこでのキリトリ・コンテンツに対しては否応にも各体(視聴者)が存在します。
このようにして、ここまでに述べてきたキリトリ行為では、主体・客体という形ではっきりと立場が分かれてしまっていると言えます。

... まだまだ、まだまだまだ考えが浅いかもしれませんが、このキリトリ、もっともっと深堀りして考えるべきテーマかもしれません。

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