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夢見と現実の境界線

ようこそ、ケイです。

この週末は久々に遠出や人と会う予定がなく、普段できない雑事や身辺整理など、自分のためだけの時間の使い方をしました。
スマホ機種変の時期だったので初めてのオンライン購入。週明けに本体が届いたら設定作業をします。
アカウントやデータの移行、失敗しないようにしなきゃ。

惰性で継続していた課金サービスも一斉に見直しました。
もちろん有料なりの有益なコンテンツがあるのですが、ただでさえ物書きの時間が取れない日常で「せっかくお金払っているから見ないと損」とさらに時間を割かれることはなるべく減らしたい。

読み物系で唯一残ったのは、林伸次さんのnoteマガジンでした。

もちろん単体でも1記事100円で購入可能ですが、気になる記事が毎月複数本あるなら月300円課金した方が精神的にもずっとお得です。
登録した月の分はさかのぼってすべて読むことができるので、いつどのタイミングで登録しても損になりません。(勝手に宣伝)

そして今日の記事は、夢の話。

記事内で書かれているように見た夢を共有するのは難しく、人の夢の話って面白くないだろうし、誰かに話すことはほぼありません。
でも今までの見聞きと経験で、自分なりの夢に対する考察や、人とちょっと違う特性があるのかもしれないと感じていることについて、この機会に書き記しておきます。

良く夢を見る体質

幼少期から今に至るまで、私の見る夢はリアルでカラフルです。

子どもの頃、なぜか周囲では「夢はモノクロだ」という説が一般的でした。でも私が見る夢は明らかに色があり、現実世界と全く変わりませんでした。

違うのに違うと言う勇気もなく、かといって嘘をついてまで同調することもできず、とりあえず夢の話はしないでおこう、という無難な対処が根付きました。

夢は自己申告制(寝言と夢の関係)

余談ですが、寝言と夢を見ることは必ずしも一致しないという気がしています。
人と会話しているかのように寝言を言う人が、翌日まるで夢を見た自覚がない(覚えていない)うえに自分は夢を見ないと主張しているケースもあるので、見た夢を語る人は「起きてからも夢を記憶している人」になります。

林さんの記事の冒頭で、なっちゃんの寝言の話が出てきます。
我が家のワンコも寝ながら「いま走ってるね」「誰かと遊んでるんかな」と思うような動きや寝言を発するので、少なくともある程度知能のある生き物は夢を見るようです。

意識しているかしていないかは別として、眠っている間に別世界に行っているのはほぼ間違いないと思っています。
そして、夢の記憶を持って目覚めた人だけが、夢の世界が現実との接点を伝えることができるのです。

予知夢とも前世とも違う「夢見」と再現

ここで、私の夢についての不思議で特殊な話をします。
実は、夢で見た出来事が現実になるという体験をたびたびしています。

記憶に残っているうち最も過去のものは、小学生のとき。
夢で見たその小学校は2階に職員室があり、薄暗い廊下の中央に四角いオブジェが並んでいました。
当時知っていた小学校はどこも職員室は1階にあり、そういうものだと思い込んでいたので「変な学校」と思ってその夢を記憶していました。
数年後、引っ越して転校した先の小学校は職員室が2階にあり、その廊下には数年前の卒業生が残していった彫刻作品が四角く並んでいました。
「ここだったのか」と思った衝撃は忘れません。

ある時は、どこか都会の駅前ロータリーで私を迎えてくれる友人たちの夢を見ました。男女5,6人くらいが白いフェンスにもたれたり腰掛けたりして、そのうち一人の男性はメガネでスーツ姿でした。
中学か高校だった私は、大人になったら都会に行くのかなって漠然と思っていました。
数年後、長野で暮らしていた私は東京に行く機会があり、そのタイミングに合わせて関東在住の友達が集まってくれました。
JR新宿駅東口を出たロータリー添いの白いフェンスで私を出迎えてくれた彼らを見たとき、あっこれだ!って思い出しました。
スーツ姿の彼は、就活の帰りにその足で合流していたのです。すでに面識はあったのに、その時まで夢の光景とは一致していませんでした。

それまで行ったことのない場所、会ったことのない人など、将来の光景を私は夢で見ているようです。
夢の光景が一旦始まると、それは記憶の録画再生のように見た通りの進行をします。ほとんどの場合、自分も見た通りの行動をしてその再現を確認して過ごします。

夢の再現を途中でさえぎって、変えることもできました。

大人になってからの20人近い飲み会の席。
長テーブルの斜め向かいに座る快活な知人が話に盛り上がって、その手が背の高いグラスを倒すと、隣の席の女性の服にかかって濡らしてしまいました。着替えのために飲酒していない人が車を出して数人退場して、残された気まずい空気。
現実世界で席について、この夢の再現が始まり進行していると気付いたとき、私は背の高いグラスの位置を知人の手の届く範囲から動かしました。
その瞬間から夢の再現は途切れて全く知らない時間と光景が流れ始めて、誰もグラスを倒すことなく飲み会は終了しました。

いくつか検証を重ねて、少し意志の強さを用いたら、意図的に夢の再現を止めることは可能でした。

これらのことを話すと「予知夢?」と言われることがありますが、予知夢は違います。いつどこで起こるのか、そもそも起こるのか、まったくわからないからです。
夢を見た時点では想像もつかない奇想天外な別世界の映像です。

よく言われる「前世の記憶」も当てはまらないようです。
すべて、夢を見た時点では未確定の未来の出来事でした。

夢は証明ができない

睡眠時の夢はあまりにも属人的すぎるので、自分に起きている話を理解してもらうどころか、信じてもらうことも難しいのだろうと予想できます。
私も、人から聞く夢の話をどこまで真に受けていいのか迷います。
それくらい、夢ってすごく人によるし傾向も性質も違いがありすぎるのだと思います。
そしてそれを証明する術がないのです。

いつか夢を映像化かデータ化して分析できるようになれば、その傾向をパターン化することもできるかもしれません。
今はまだ、各自が各々の体験を言葉にして表現するしかありません。

存在自体は誰もが認める身近な現象でありながら、安易に肯定も否定も同意も共感もできない、不思議な世界です。

最近見た夢の話

夢見の側にもう一つ世界があるようなリアルな夢の世界を、記録したいと思うこともよくあります。でも、どこかで、夢の内容を書き留めることは良くないと見た覚えもあります。(根拠は未確認、ホラーっぽかった気がする)

せっかくの機会なので、最近見た夢のことを書いてみます。

■ 納戸の改装構想

どこかの山小屋で滞在していました。
ロッジといえば経験的に地面よりも高いのですが、そこは逆に半地下で、階段(梯子)を降りると囲炉裏のあるリビングが広がっていました。
自分の部屋を探していろんな扉を開くと、大人の布団一式が敷かれている狭い空間を発見します。
壁に迫られたその空間が落ち着くように見えて、こういうスペースいいなぁって思いました。

起きてから、自宅にある2畳の納戸を片付けて隠れ家みたいな寝室にしてみようかと計画しています。

納戸とは言え、ドアも部屋のつくりも個室と一緒なんです。窓もあります。

■ 佐渡に行く島

今とは違う職場に普通に勤めている自分。
周囲の人たちが席を立ったり座ったり。隣の席の人が「あなたも行くでしょ」と当たり前のように言うけど、私には何のことだかわからない。でも夢の中ではそれが現実と思っているから適当にごまかして、席を立つ。
社内を見学がてら巡回すると、全体的には体育館みたいな施設。
少しうろうろして裏手に出たら、そこは船の発着場。
隣席の同僚が「あぁ来た来た」と私を誘導して佐渡行きの船に乗せる。
そうだそうだ、私は佐渡に行こうと思ってた。(実際に行く予定)
言われるままに船に乗り込むと、間もなく到着したのは知らない島。
本州から佐渡までの間に立ち寄る島があったっけなぁ、と思いながら上陸する。

私の場合、いくらおかしいと思っても、夢の中で夢と気付くことができません。「そういえばそうだっけ」と夢の中の設定に従ってしまいます。

夢見の扱いと現実の生活

自分はリアルな夢を見るタイプでしかも現実に再現することがあるのですが、直接的に世間に影響を及ぼすわけでもなく、理解を求めるほどの重要事項もないので、素知らぬ顔で日常を過ごすのが今のところ最良の対処です。

例えば誰かがこれを実証しようとしたら、四六時中私の夢と現実の行動を記録して統計を取らなければいけないし、仮に私が「再現きた!」と合図でもすればその時点で夢の再現は途切れてしまいます。

もしも、この話を読んで「自分もこれだ!」などの共鳴が発生して同士がいると分かったら幸いです。

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