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短編小説、ショートショート

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短編小説、ショートショートはこちらにまとめています。創作作品はタイトルに『二重カギカッコ』をつけています。
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記事一覧

『オムライス 600円』

その店に一歩足を踏み入れてすぐ、しまった、と思った。 薄暗くて狭い店内は大きさの揃わない机と椅子が不揃いに並び、それぞれ統一感のない柄のクロスがかけられている。 壁には古い映画のポスターやどこかの風景写真、あるいは有名アニメのイラストが無秩序に貼られていて、その合間を埋めるように色褪せたジグソーパズルがかけられていた。場違いな予感に足が止まった。 他に客がいる様子もない。 「いらっしゃいませ!」 人の気配を察したのか、店内から待ちかねたように元気の良い声がかけられて、私は逃れ

『不健全さと早朝の小倉トースト』

夜の列車は出口のないトンネルをひたすら走るのと同じだ。 本来なら車窓から見えるはずの日本一高い山はもちろん、海も畑も川も湖も真っ暗で、細長い空間に並んだ進行方向を向いたシートに規則正しく座る乗客はそろってワープ空間で宇宙に向かう集団のように思える。 名古屋という街に驚くほど馴染みがないことに、この旅で初めて気が付いた。乗り換えや通過地点で名前を聞き慣れていて、地図上の位置関係と距離感も分かっているつもりだった。ホームにも見覚えがある。ただこれ以外には縁がないままだった。 自

『私というネジ』

シワひとつない黒いパンツから伸びた細い足首の先に黒いハイヒールが見えたから、私はてっきり女性なのだと思っていた。窓際にかけたショルダーバッグのステッチも金の装飾も女性的で品が良い。 別にじろじろ観察しているつもりはなかったのだけど、通路を挟んで反対側の窓際に座るその人の仕草が目の片隅に入るので、何気なく見たらその顔は男性のものだった。 左手首の細身の腕時計は女性物に見えるし、座席に深くもたれかかる姿勢もしなやかな筋が通っていて男性的な雰囲気を一切感じさせない。 その人はふと身

『みぃちゃん』

私は今日も一人で、バケツとシャベルを持って公園の砂場に立った。 シャベルで掘った砂を山のように積み上げて、バケツに汲んだ水をかける。山を固定するために湿った砂を両手でペタペタと軽くたたいていく。 そうして黙々と動かし続けていた私の手に、そっと触れる小さな手があった。 私は動きを止めて、その手を伸ばした相手を見た。 白いシャツに薄茶色のオーバーオールのスカートを着て白いソックスを履いた、私よりも少し小さい女の子だった。丸い目をして三角の口をして、その手は触れたまま私をじっ

『寝子』

仕事を終えて帰宅した僕を出迎えもせず、彼女はいつものようにソファで丸まって寝ていた。 「ただいま」の声に首を持ち上げてチラッと僕を見ると、ソファの上で「んーー!」と大きく伸びをして、そのまま再び眠り始めた。 まるで眠ることが彼女の仕事のようだ。 外で夕飯を済ませてきた僕は冷蔵庫からビールを取り出し、彼女の身体を少し押しのけてソファに腰かけた。ふわっとした細い毛を指先で弄ぶ。 彼女が足で僕をぐいっと押してきた。うっすら目を開けて、不満そうな視線を向けてくる。 腹が減ったのか。

『お手紙』

曲がりくねった山道を駆け下りると、家がだんだんと増えてきて、視界が狭くなってくる。最後のカーブを曲がったらすぐに、最初の信号機が見える。 二車線の道路とつながる交差点。 その角にある郵便局の、赤いポストに私は手紙をコトンと入れた。 高い位置にある口に届くように、ちょっと背伸びをして手を伸ばす。 油断するとスカートの裾からふわっと尻尾が出てしまうから、とっても気をつける。 自分の姿をカーブミラーでチェックして、誰にも見つからないうちに急いで山道に向かって駆け上がった。 赤いポ

『僕みたいだ』

細くて薄い金属の先端を、工作用のペンチで挟んで慎重に力をかける。ペンチを離すと、金属の惰性でカールが軽くピーンと跳ねる。 最後の仕上げができた。 高さ15センチほどの人型のブリキを細部までじっくりと眺める。 癖のある髪、左右に離れた小さな目、頼りなげな八の字まゆげ、小さなだんご鼻に、大きなアゴ。 「僕みたいだ」 大きな頭に対して決してバランスが良いといは言えない円筒状の胴体。手足はそれぞれ胴体との接続部と、膝などの主要な関節が可動式になっている。 アゴの左右は小さなネジで止

『ショートショートの神様』

足元に浮かぶパステルカラーの雲の合間に、若葉のような緑色の日本が見える。 鮮やかな青い海には白くさざ波が立ち、クジラが優雅にピンクの潮を吹く。 目の前を渡り鳥の群れが横切る。 これは幼い頃の私の記憶。 --- 小学校から帰ると私はまっすぐ自分の部屋に向かった。 ランドセルと重たい手提げ袋を机の横に置いた。手提げ袋の中には学校から借りてきた図書室の本が入っている。そして壁にかかっている別の手提げ袋を手に取って部屋を出る。 キッチンに行き、冷蔵庫からヤクルトを一本取り出して

『羽根』商店街シリーズ第5話

「今、何時だか分かるかな」 応接用のテーブルをはさんで向かい側に座る相手に静かにそう問われて、僕は事務所の壁にかかった時計を見つめる。「時計は読めるかな」と追い打ちをかけるように続けられた質問に、小さな声で「はい…」と返事をした。 僕は社会不適合者だ。 約束の時間を大きく超えていることは分かる。なにしろ約束の時間に僕はまだ自宅にいたのだ。当たり前のことができない。失敗を繰り返すたび、自分の社会適応能力の無さを痛感する。 言葉も出ずにうなだれる僕、その様子を静かに黙って

『スミレ』

歩道の隙間に咲く小さな青い花を見つけて僕は立ち止まった。渋谷を行き交う人の中で危うく転びそうになった僕を、誰かの手が支えた。 「大丈夫かい」大きなリュックを背負ったお兄さんが言った。「あの花が」と指さすと、お兄さんは僕の肩を抱いて「よし、一緒に行こう」と励ました。 ふと周囲に空間ができた。「さあ君たち、行って」スーツ姿の太ったおじさんが、迷惑そうな視線や体当たりを一人で受けとめながら立ちはだかっていた。 僕たちは根っこごと小さな花を救い出した。 「ボク、これを使って」オレンジ

『オレンジのカーディガン』商店街シリーズ第4話

始発に近い駅から乗る電車で、私はいつも座って通勤する。職場がある駅の改札へ向かう階段に一番近い車両の、扉の横の座席が定位置になっている。 毎日同じ時間、同じ区間を乗り合わせていれば、自然と決まった顔ぶれを覚えていく。 いつからか、同じ駅で降りる彼の姿を記憶していた。 乗客が増えてきてから乗り込んでくるその人は、いつもドア付近に立つ。不安定に揺られながら片手でビジネスバッグを持ち、もう片手でビジネス本を開いていた。 特別高くも低くもない身長。ピタッと分けて整えられた黒髪。丸

『大地の恵み、優しさの恵み』~香り高いニラ餃子~

「クサい、もう限界」 夕方になると山から涼しい風が吹き下ろしてくる。 ベランダに広げた折り畳み椅子に、ビールとスマホを持って腰かけた。 プルタブをプシュっと開けて冷たい液体をグッと喉に流す。身体に溜まった今日の疲れと感情の不純物が、一気に流されていく。 風が日中の蒸した暑い空気を入れ替える。 大きな空気の塊が目の前にある畑の農作物を揺らし、田んぼに伸び揃った稲穂に帯のような波を立て、その先にある雑木林をざわめかせる。 8月。 夕暮れは、夏が一層ずつ秋に刷り替わってい

『洗濯機』

長袖が苦にならない季節になった。 防護服のようなフード付きのツナギを着て、保護メガネをかけて、私は電動ノコを手にした。 長い木材を作業台に固定して、35センチに付けた目印の位置に刃を当てる。 木材を裁断する音が響き渡り、無数の木屑が飛び舞う。 聴覚と視覚は専有され、外界から私を遮断する。 木を縦に割るのは斧を使う。腰を落として斧を真下に叩きつける。 剣道の経験がある私は最初戸惑ったが、竹刀を振るのと斧を振り下ろすのは体の動きが全く違う。 刀のように斧を振れば、その重量でバ

『ユートピア』

朝日が決まった角度に達したタイミングで僕は目を覚ます。 その直後に鳴り出した目覚まし時計の電子音を止めると、身支度を整えて外へ出る。 僕の一日の始まりだ。 住居を出て最初の大通りの角にあるゴミ集積場には、この時間はいつも大きなゴミ収集車が停まっている。 たくましい体付きの若い清掃員が、筋肉質の盛り上がった腕で大きなゴミ袋を軽々と収集車へと積み込んでいくのが見えた。 「やぁ、おはよう」 僕に気付いた青年は、日焼けした爽やかな笑顔を向けてくれる。並びの良い白い歯がキラリと光っ