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アレクサンダーテクニーク

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2022年10月の記事一覧

身体、ごめんなさい。

身体、ごめんなさい。

身体に帰ろうと言っているわたしが
思い込みで判断していた、というはなし
の、続き。

身体がどういう状態なのか、
ラクに動けるのか、
などなどを観察して判断するのではなく、
頭でっかちに
いわゆる、いい姿勢
ただ座っている時と同じように
身体を丸めないように
しっかりと上方向を思う
などをやろうとしていた。

いいと思うことを身体を放って置いて
やろうとしていたんです。

別の言い方をすると自分に

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脱力。

脱力。

だらけるとは違うんですよね。

身体にあるべき張りを持ったままで、
入れすぎている、もしくは
固めてしまって動けなくしている
力だけを抜く、これが
わたしがレッスン時に言う脱力です。

仕事から帰ってきてソファーに崩れ落ちる
なんて時の力の抜きかたとは違います。

わたしがトレーニング中の話です。
膝を固めていて膝のお皿が動かなかったんです。でも、
先生の膝のお皿を持ってフルフルさせると
もう気持

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伝言ゲーム。

伝言ゲーム。

そのまま伝える。これがいかに難しいのか。

わたしの先生の先生の先生がアレクサンダーさんなので
4代目です。アレクサンダーさんとの間に二人の先生がいます。
お二人ともにそのまま伝えようとおっしゃっていたので
どうしても入り込んでしまう個人の考えも含めて
そのままを教わったことになります。

個人の考えを排除して、とかは
無理だし意味もないことなのでそれは違います。

本質はなんなのか、
アレクサン

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話は信用しない。

話は信用しない。

レッスンでのことです。
生徒の話をどう聞いているか。

これは感覚について。
感覚は人それぞれで
どう感じたのかが違っています。
違っている上にどう言葉にするかも違います。

色についてのことなら、
わたしが見ている赤と
あなたが見ている赤が
同じであるかどうかは確かめられない。

人それぞれであっても
これが赤という決まったものを
それぞれが見ているはずなので
会話は成立します。

感覚について

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思い込み。

思い込み。

アルトクラリネットのペグの高さについて
勝手に解決したと思ってしまっていました。

解決したと思っていたので、
なんだかうまくいかないなあ、と思っても
それがペグが原因だとは疑いもしませんでした。

最近もなんだか背中を反ってしまうけれど、
それはわたしがうまく自分を使えていないからだ。
そう思い込んでいました。

ある先生にペグを下げたらとの提案をされ、
やって見ると身体も楽だし、
息もより自由

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虫さん

虫さん

私たちは虫さんが殻を身につけているように
外側の大きな筋肉を固めてしまっています。
本来の仕事はそうじゃないのに
ずっと任せてしまっています。

外側にある大きな筋肉って
力を出す時に使うもの。

それをただ立っている時や
座っている歩いている、などなど
倒れないようにバランスを取ることに、
そんな時にも使ってしまっています。

バランスを取ることって、
もっともっと奥にある
小さい短い筋肉たちが

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足について。

足について。

一人練習の話でも。

毎日のように椅子の前に立って
自分と向き合っていると
なかなかおもしろいことがわかってきます。

足についてもっとわかっていかないと。

レッスンしていると足が気になってしまいます。
何か特別なことをしている時に気になることは
常にいつでもしているということなのです。

座る時に色々なことを、足を
コントロールしたくなってしまいます。

曲がる角度を力を入れてコントロールした

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変わることなく変わりたい。

変わることなく変わりたい。

今あるものを変えることなく
変わりたいと思っているんですよね。
わたしたちって。

私が提案することを意地でも拒否するんです。
本人はそっちにいくぞと決めているにも関わらず。

変わりたくないと無意識で思っているものを
変えないように変えないように
他の部分でバランスをとってしまう。
それはほんとうに絶妙です。

レッスンで経験したことのある方は
笑い話になるくらいおもしろい。
自分でもなんで?っ

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世界観の違い。

世界観の違い。

西洋は基本的にキリスト教の世界観で考えている。
日本は良くも悪くもアミニズムの世界観で考えている。

どっちがいいとか悪い、とかではなく
そういう思考をしている。

日本人の私は
キリスト教の世界観が理解し難く、
西洋人からすると
日本的な世界観は理解し難いことなのだと想像します。

なにが違うのか。
アレクサンダーテクニークを学ぶにあたって
なにが問題となるのか。

キリスト教的には人間は被造物

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