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日本人に足らないものは他人への「リスペクト」

日本人に足らないものは他人への「リスペクト」


僕は、アメリカに1年、オーストラリアに2年住み、多くの外国人と出会ってきました。
海外において、様々な「違い」を目の当たりにしてきましたが、今回は、タイトルにもある、僕が日本人に足らないと思う「リスペクト」について書きます。

ここでの「リスペクト」は英語の「Respect」のことですが、日本語訳だと「尊敬する」ではなく、「尊重する」という意味のリスペクトです。

まず、初めに日本人について書きます。
多くの日本人は、日本人のことをこのように思っているのではないでしょうか?

・他人に対して優しく、思いやりがある。
・困っている人を助ける
・人を騙したりしない
・相手の立場になって物事を考えられる

などです。
もちろん、これらは正しく、日本人が誇るべきことだと思います。
では、冒頭で書いた「日本人は他人を尊重(リスペクト)することができない」ということは、どのようなことなのでしょうか?

まず、世の中にはいろいろな人がいます。
それぞれ、好きな食べ物も、好きな音楽も違います。
夏が好きな人もいれば、冬が好きな人もいます。
これらは「個性」です。

しかし、例えば、移民の多い国では、個性の違いだけでなく、生まれた国も違います。
もっと言えば、同じ国に、異なる宗教の人が一緒に住んでいます。
宗教上の理由により「死ぬまでお酒を飲まない」と言っている人から、朝からお酒を飲んでいる人まで、色々な人が一緒に住んでいるわけです。
これは、「個性」と言う枠を超えて、「多様性」です。
このような場所においては、お互いを尊重し合い、否定することなく、そして、ぶつかり合うことのないように一緒に暮らしていかなければなりません。
これが日本人に足らない「リスペクト」です。
お互いを尊重し合うことによって、「多様性」だけでなく、いろいろな「個性」までが受け入れられるような国になっていきます。
他人が個人の考えを否定することはあってはいけません。
人はみんなそれぞれ違うからです。
これが、海外の基本的な考え方です。
特にアメリカはこの考えが強いです。

それでは、上記のような視点で日本を見た場合、日本はどうでしょうか?
極端な話、日本人は、「人はみんな同じ」と考えます。
「普通の日本人像」が存在し、みんながその「普通の日本人」を目指します。
そして、その「普通」から外れると、「普通ではない」と非難されます。
普通ではない行動を取れば、KYと非難されたりします。
これは、日本人は、「普通の人」以外を受け入れる許容がないということです。

例えば、学校にイスラム教の人が転校してきたらどう思いますか?


近所にイスラム教の人が引っ越してきて、お祈りをしていたらどう思いますか?

おそらく、「普通の日本人」は、裏でみんなで大騒ぎでしょう。

他の宗教を受け入れる態勢はなんてものは、全くと言っていいほど持っていません。

では、それはなぜなのでしょうか?
答えは簡単です。
日本は、独自の言語と海によって他国から孤立してきた島国だからです。
要は、日本人以外と接することがないため、「普通の日本人像」が日本で生まれ、それが基準となり、それ以外は非難されるようになってしまいました。
僕から言わせれば、日本の文化とは、世界にあるうちの1つの「宗教」です。
海外に住めば、その意味がすぐにわかるでしょう。
海外では、日本では見たことのない言動をする人たちをたくさん見かけます。
日本の常識は世界の常識ではありません。
逆に言うと、日本の常識は日本国内のみなのです。

海外では、「外国人」という言葉は差別用語だということを知っていますか?
もとから移民の多い国では、その国で生まれた人と、他の国から来た人を「分ける」ことは良くないという考えだからです。

日本人はとても優しいと思います。
しかし、その一方で、日本人の許容範囲はとても狭いです。
日本人は「常識のない人」にすぐ腹を立てます。
道の真ん中に立っている人、電車の中で大声で喋る人、マナーのない人に真っ先に怒りだすのは、いつも日本人です。
外国人はそのようなことは、ありません。
それは、「心が広い」というより、人間の多様性、要は、「人はみんな違う」という考えが根底にあるからだと思います。

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