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デザイナー南雲勝志さんのこと

2021年3月26日、発酵するカフェ麹中でデザイナー南雲勝志さんのトークイベントが行われた。南雲さんは日本を代表するインダストリアル・デザイナーで東京駅丸の内駅前広場そして皇居へと続く行幸通りの照明デザインなど全国各地で数多くのパブリック・デザインを手掛けている、僕がもっとも尊敬するデザイナーだ。緊急事態宣言は解除されたものの未だコロナ感染拡大防止対応でオンライン配信での開催だった。ちょうど1年前の3月も、実は南雲さんの快気祝いを麹中で行う予定だったのだが、こちらもコロナで急遽中止となっていた。南雲さんは2019年6月に脳梗塞を発症されたが、その後奇跡的に回復され、現在もデザイン活動を続けられている。今回はそんな南雲さんのトークイベントのレビューを書こうと思う。

南雲さんのデザインについてまとまった話を聞く機会をつくろう、と言い出したのは篠原修先生だ。篠原先生は僕の恩師で東大土木の中に景観研究室を立ち上げた人物である。景観研ができたのは平成5年、1993年だから今から28年前。ちなみに、EAUはその20年後、2003年に設立した。篠原先生は2006年に東大を退官され、現在はGSデザイン会議に席を置いている。GSで篠原先生が始めたGS塾という「聴き取り」シリーズの第2弾が南雲勝志さんだ。ちなみに第1弾は篠原先生の兄貴分的存在の景観学者、中村良夫先生でこちらはすでに全5回に渡って行われたトークの内容が収録された記録冊子が近日中に世に出る予定だ。要は、篠原先生は景観・デザイン草創期の話を若い人たちのために文章で残しておくべきだ、と考えている。およそ30年前の話なので、もはや現役の学生たちはもちろん、景観に関わる若手も知らない話が多い、きちんと「文章で」残しておかないと誰もわからなくなってしまう、と。そのための聴き取りを公開でやるのが「GS塾」という訳だ。

さて、今回の篠原先生から南雲さんへの問いかけのうち、僕は大きく3つの問いに着目した。ひとつ目が『南雲さんはどうしてそんなにデザインがうまいの?』という問いだ。デザインに興味がある人なら誰もが聞きたいことだろう。南雲さんの答えはシンプルで『綺麗な形をつくれるかどうかは才能。アイデアは駄洒落のようなもの。一見結びつかないようなことを結びつけることで面白いことが生まれる。楽しくなければデザインじゃない。』というものだった。90年代の南雲さんの家具デザインシリーズにはその変わらないデザイン思想がギュッと詰まっている。2004年の秋、プールアニック原宿店で開催された「ナグモケイ展」を訪れた僕はその精巧につくらた模型の数々とともに南雲デザインに一気に引き込まれた。そしてその数年後、初めて仕事でご一緒したときに南雲さんが力強く言われたことは今でも忘れられない。『崎谷さん、僕は駄洒落は人を笑わせるために言ってるんじゃない、これはデザインのトレーニングなんだ。あと、駄洒落じゃない、お洒落なんだ。』

2つ目の問いは『なぜ南雲さんは公共の照明デザインを手掛けることになったの?』ということ。こちらも大変興味深いポイントだった。1979年に東京造形大学を卒業し就職が決まらずぶらぶらしていた南雲さんは、たまたま声をかけてもらった永原浄デザイン研究所で働くことになった。永原さんは80年代にヤマギワ等の照明デザインや公共施設の照明デザインも数多く手掛けたインダストリアル・デザイナーだ。しかし、南雲さんは1987年、当時働いていた永原事務所を衝動的に辞めてしまう。仕事が無くて困っていた南雲さんに永原事務所時代に付き合いのあった岩崎電気の営業の方がアプル総合計画事務所に紹介してくれたらしい。それがきっかけで、新宿モア街、皇居周辺、門司港と立て続けに公共施設の照明デザインに関わることになったのだ。当時の南雲さんはこれでダメだったら俺はこの先デザインで生きていけない、と必死だったそうだ。なんというターニング・ポイントだろう。1993年(景観研ができた年だ)、現在の天皇皇后両陛下のご成婚祝賀に向けて南雲さんが手掛けた皇居周辺の照明デザイン、通称「鳳凰」はまさに28年前に世に羽ばたき、今もなお全くデザインが色褪せることなく皇居周辺を舞っているのだ。

そして3つ目の問い『南雲勝志を継ぐひとは?』である。歌舞伎や落語の世襲制は古典的で古臭いとな思ったこともあったが意志や思想を後世に伝えるという点では素晴らしいシステムだ、と篠原先生。南雲さんのデザインの遺伝子は誰が継ぐのか?初回から企画の核心をつく問いだ。しかし、これに対する南雲さんの返しが最高に鮮やかだった。『僕は南雲勝志を誰かに継がせようとは思わない。デザインの遺伝子は「もの」に宿ると思っている。』僕はシビれた。この返答にデザインの本質すべてが詰まっている。世の中は不確かで先のことをは誰もわからない。生物学的に考えれば人間は遺伝子を運ぶ容れ物に過ぎず、ある個体ひとつが無くなっても人類がすぐに滅亡する訳ではない。つまり、人間は利己的に複製を繰り返す創造主たる遺伝子に刃向かって、日々いろんなことを考え、想い、悩み、傷つき、泣き、笑って生きている。これはいったいどういうことなのか。思考するということは生物学的にエネルギーを消費する行為で、効率を考えればなるべく思考しないことを生物は無意識的に選ぶという。この生命の原理原則に抗うことが人間そのものなのだ。そしてそれは個人個人の意志、つまり主観に基づいている。世の中のあらゆる課題や希望もすべて人間の主観が生み出している。主観は他人と簡単に共有できるものではない。もし、ものづくりにおけるデザインの遺伝子というものがあったとしても、それは人から人へ受け継がれるものではなく「もの」に宿るのだという南雲さんの思考に僕は深く共感する。そして、この点について、より掘り下げて聞いてみたいと思う。もちろん、ものづくりには現場やメーカーさんとの物語も山ほどある訳だが、その話はまた南雲さんに聞きながら別に書き留めたい。


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