なぜ(一部)議員は減税に反対し、多くの支援団体が付くのか(私論)

はじめに

この記事を執筆時点(2021/4/16)は、名古屋市長選挙の選挙期間中です。4名の方が立候補されていますが、現職河村氏と元市議横井氏の動向が非常に気になるところ。

愛知県知事リコールの件も含め、半ばdisりあい合戦感もありますが、今回は政策実績や言行一致・不一致等とは少し違う視点で、私論を書いてみたいと思います。

選挙の構図

マスコミ報道等にもありますが、今回の選挙は

現職 対 現職を落としたい勢

であると私は見ています。
横井氏側は、政権与野党相乗りどころか、共産党までも「現職再選阻止」のような覚書で実質的な支援を表明しています。
更に、菅首相までも出てきて、各種団体も横井氏支援を表明。
一見すると、河村氏側は所謂組織票確保できるような団体勢力はついているのか?と心配になるぐらい。

各団体や国までもが「現職再選阻止」を図る理由は何だろうか?と考えたとき、今回の記事のタイトルにもしましたが、「減税施策」が実はターゲットではないか?と私は考えています。

住民税減税施策

住民税とは、所謂県民税や市町村民税のことです。実はこの税率は、基本的には全国一律です。
基本的には、と書いたのは例外があるわけで、その例外の最たる例が名古屋市なのです。

住民税の税率は、定額分と定率分の2本立てで、定率分は所得に対して〇%という形。所得税と違い、累進課税はありません。
実は名古屋はこの市民税税率を下げているのです。

住民税減税施策は、名古屋以外の一部市町村でも実施されていました。いずれも1年などの時限制度。数年にわたり減税を継続している名古屋は唯一の例と言ってもよいでしょう。
そんなことを言い出し、実現してしまったのが現職の河村氏であり、氏の主導する地域政党名が「減税日本」であるのです。

減税施策の反対理由

実はこの施策も紆余曲折あり、市議会議員様がなかなか首を縦に振らなかった経緯があります。減税比率を少し戻したりもしています。何故にここまで頑なに?減税に反対するのでしょうか?

この話になると、減税の経済的効果やら、財源減少に伴う福祉等必要行政サービスの悪化などを懸念する声がすぐ出てきます。
ただ、議員の選挙における公約やらマニフェストで訴えている内容を考えると、ぶっちゃげ「税金下げます!」ってウケると思いませんか?
2万円上げます、ガソリン代下げます、とかと同様、下手するとそれらよりもウケはかなりよいと、私は思います。

そんな選挙ウケよいネタを頑なに反対する理由は、本当に財政支出をよく考えてのことか?私は議員様方がそこまで公明正大とは考えていません(苦笑)。皆さんは何が理由と思いますか?

(一部)議員の仕事は、利益誘導である

市民税減税は、確かに可処分所得の増加による中長期的な経済成長を呼び起こす「かも」しれません。(この施策は、戦後まもなくのころ、池田大蔵大臣の頃にも同様施策はあったはず)
一方で、短期的には税収の減少、所謂歳入減を引き起こします。

歳入減となる中で、行政サービス継続のために何をすべきか?まずは同じ施策をより安く行う事を考える。それでも不足するなら、一部サービスを辞めるという判断もあるでしょう。
ここでポイントとなるのは、「安くする」「やめる」ということ。

安くするためにどうするか?一番簡単なのは、随意契約だったものは競争入札にすること。それもガチンコでやれば、安くなる可能性は十分あります。

また、無駄な支出はないか?と見直すことで、やめるネタが出てくるかもしれません。

これを、企業側の視点で見てみましょう。今までなんとなくで取れていた仕事が、ガチの競札となれば、しっかり価格精査し値段を下げざるを得ません。時には落とせない事もあるでしょう。非常に脅威となります。

そうなると、戦えない企業はやがて市場から駆逐され、倒産・廃業という道になります。ある意味自然の摂理、といえばその通り。

そこで政治家・議員様の登場となります。地域の経済利益を守るため、とか、雇用を守るため、サービスの確保のため…など、いろいろ理由をつけて物申す~というのが彼らの主要な仕事のはずです。いわゆる利益誘導ですね。
しかしながら、減税により元財源が少なくなったのなら・・・そもそも誘導するための財源も減っている、競札を随意に…もよほど理由がないとできませんよね。すなわち、利益誘導という(一部)議員の仕事を阻止しかねない施策。そのために阻止したいのでは?というのが私の考えです。

国も嫌がっている?

現状、減税施策反対派の公式?な言い分は「財源減少によるサービス低下」です。ところが、明確なサービス低下などの問題が表面化しないまま実績期間が生じてくると、国税等の減税議論になりうることを恐れているのではないか?というのは邪推・突拍子な考え方…かもしれません。
しかし、現状の国税の中で、住民税のように一定税率の税金の減税の話に飛び火することを恐れているのではないでしょうか?

消費税率低減議論です。

まぁこれは、私の思い込みです(苦笑)

利益誘導は必要である

さて、議員は利益誘導するタマがなくなるから減税に反対である、という推定論を上げましたが、一方で、利益誘導は必要、というのが私の考えです。

行政サービスの多くは、収益性ではなく、公益性を優先として実施されています。

世の中が仕事が不足している(手あまり)状態であれば、定常的に発生する行政の業務は、企業にとっても非常に美味しい案件、ないし何としても取りたい仕事となります。
一方で、外の民間の仕事があったり、あるいは業務リソース振り分けに限りがある場合であれば、より利益率の高い業態にこそ力を入れ、うまみの少ない仕事は敬遠するようになります。

行政関連業務が厳しくなりすぎると、そもそも入札しないようになります。入札不調で行政サービスそのものがなり手がいなくなります

競争社会、市場経済においては自然の摂理。しかし公共事業はそればかりも言えない。わかりやすい最たるものは、防衛や医療でしょう。採算合わないからといって、実施見送りしてよいものではない事はいわずもがな、でしょう。

そういった業務においても、成り手が業態として成立するよう、且つ行政サービスの停滞を防ぐよう、ある意味ここで利益誘導的な仕事が必要になる。私はそう考えます。

根本の解決のためには

じゃあどうするか?非常に難しいテーマです。ただ現時点で私が考えるのは、非常に精神論ですが

皆が「はたらく」意義を再認識し、協力し合って社会を作る意識を持つ

これが第一じゃないかな?と思うのです。

「はたらく」の語源の一説(後付け?)には「端を楽にする」というものがあります。本当の語源かどうかはともかく、私はこの考え方が好きです。

すなわち、ひとりひとりの働く目的を「周りを助ける」「生活を楽にする」を持つこと。その活動により、適正な対価を得る事。同時に、人の「はたらき」には適正な対価を払う事

一部の利益・内部留保確保のために、極端な買いたたきを行ったり、ダンピングと称されるような過度の価格下落(敵対的競争相手駆逐目的)などを行わず、汗をかいた分、周りが楽をし、自らも生活の糧を得る。そういう社会でないと、そういう意識でないとよくならないのでは?と考えます。

終わりに

とまぁ、高尚な事を書いては見ましたが、そうはいっても、私も宝くじでも当てて、グダグダ寝ながら左うちわで生活したい(苦笑)。これもまた人間の欲望の一つ。

そんな本能的な欲望と、理想論的な思考。同居のためには、人類は宗教というものを開発したとも考えます。

ある意味、宗教的な内容になってるかもですね(苦笑)


皆様はどう感じられましたか?

今回はこれぐらいで。

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