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#29『勝手にしやがれ』

ある時からパンクロックとは一体何なのか判らなくなってしまった。

反体制的な思想、アナキズム、DIY精神、攻撃的なパフォーマンス、原始的なバンドサウンド、子供だましの音楽、若者の代弁者、それらしい定義はいくらでも思いつく。
しかしどれも当てはまるようで、なにひとつ相応しくない気もする。
パンクロック自体が多くのニュアンスを内包しすぎて、核心に触れる定義が見つからない。

自分は民族的な差別も、階級的な線引きも、権威からの抑圧も知らない。
イギリスのロックアンセムとして、パルプの「コモンピープル」や、マニックスの「デザインフォーライフ」などがしばしば取り上げられるが、その理由は労働者階級の権威に対する反抗をテーマにしているかららしい。
判るようで判らない感覚だ。

僕は選んだ訳でもなく平成の日本に生まれ、都会のビルの股で育ち、情報通信技術の恩恵を存分に受けながら生活を送っている。
裕福な育ちではないが、道で寝る生活を強いられることは無く、大抵のものは徒歩3分のコンビニエンスストアで手に入る。
今の日本人の生活に、カウンターするわかりやすい敵みたいなものは存在しない。
だから昨今の音楽シーンで、かつてのパンクロックの精神が特別意味を成すことは考えにくいし、むしろダサいなって思う。

故に今の日本で蟠りを抱えた若者が、インディーロックやガレージバンドに心酔する気持ちは良く分かる。
90年代にニルヴァーナが登場して以来、反逆性のベクトルは他者から自己に変化した。
かつてセックス・ピストルズは権威に「NO FUTURE(お前たちに未来はない)」と歌ったのに対し、ニルヴァーナは「ALL APOLOGIES(全ては俺の過ち)」と歌った。
わかりやすいカウンター先を失った若者は、自己に対する罪の意識こそ反逆という感覚を持つようになったことが読み取れる。
その変化に当然善し悪しは無いが、70年代パンクの反逆性が今の時代感にそぐわないのは紛れもない事実だ。

もちろん日本のパンクバンドは好きだ、INUやスターリンは文芸的だから抵抗なく平成生まれの自分にも馴染む。
だけどアナーキーみたいに、政治家がどうとか天皇がどうとかを歌っているのを耳にすると、あまりにも自分の生活感と隔たりがありすぎてピンと来ない。

そして気づいたことがひとつある。
僕はパンクロックが好きではない。
ジョニーロットンという男が好きなだけだった。

彼と出会ったのは小学5年生の頃。
YouTubeで「Anarchy In the UK」のミュージックビデオを観た時に身体中に電流が走った。
正直怖くて堪らなかった、良くないものを観たという罪悪感を抱いていた。
こんな音楽を聴いていたら自分は駄目な人間になるんじゃないかという危機感すらもあった。
だけど気になって仕方がない、怖いもの見たさの興奮、今まで自分が信じてきた概念が一気に崩れ落ち、壁の向こう側に突き抜け、危険な世界に足を突っ込んだような感覚にドキドキしていた。

それから10年以上経った今も、感動が薄れたり興味を失ったりすることがない。
未だにセックス・ピストルズの楽曲を聴くと、背筋が痺れるような興奮を感じるのだ。

不思議に思う、70年代パンクの持つ権威に対する反逆性なんて、今の時代のこの国では意味をなさないと散々自論を展開したきた。
それなのに77年にリリースされた「勝手にしやがれ」というレコードは何か強い意味を持って僕の人生に働きかける。

思い返せば、セックス・ピストルズを好きになったのは反逆性や攻撃的な姿勢に共鳴したからではなかった。
事実、俺はアンチキリスト、俺はアナーキスト、という歌詞を正しい翻訳で真に受けたことなど一度もない。
小学5年生の自分は、それらの歌詞を全てアルバムの邦題に象徴される「勝手にしやがれ」というニュアンスで解釈していた。

もし君が生きたいのなら、勝手にしやがれ。
もし君が死にたいのなら、勝手にしやがれ。
もし君が幸福になりたいのなら、勝手にしやがれ。
もし君が不幸になりたいのなら、勝手にしやがれ。

勝手にしやがれ、なんて優しい言葉なんだろう。
何にも囚われず、何かに制約されることもなく、自分の人生は勝手にすればいいんだ、この考えに何度救われたことだろう。

異常者みたいに目を開かせて口を歪ませたり、唾を吐いたり突拍子もないような行動をとる彼らを初めて観た時に、すごく泣きたい気持ちになった。
自分が無意識のうちにあってはならないと思い込んでいたものが、存在してもいいことを知ったからだ。
その時に人生に対する重圧がなくなり、勝手に生きることをひとりで決めた。

最近ネットに、ジョニーロットンが野生のリスを家に招き入れたせいでノミが発生し、陰部を噛まれて痒みが止まらないというニュースが掲載されていた。
かつてイギリス中を震撼させたパンクバンドのフロントマンがこんな粗末な報道をされることを悲しいと思うかい。
僕はある意味この人は一貫していると思う。

ピストルズを解散して直ぐに、パンクロックとは対極の位置にある実験的なオルタナティブに取り組んだこと、多くのパンクスが歳を重ねてもスタイルを維持する努力をしているのに彼はトドのように太ってしまったこと、1枚のアルバムのみで解散したという美学を無価値にする再結成ライブを行ったこと(それを金のためだとコメントしたことも)、反体制・反商業的な姿勢だった彼がアルバム制作費のためにバターのCMに出演したこと。

一見、芯がぶれまくってるように思えるかもしれないが、僕はこれら全てが美しいくらい一貫していると思う。

つまりは「勝手にしやがれ」なのだ。
彼は人生を通して一貫した「勝手にしやがれ」の精神を体現しているんだな、と強く感じる。

かつてのファンのイメージを台無しにするくらい情けないことばかりするけれど、今の自分がやりたいことに忠実に生きている。

やっぱりジョニーロットンはかっこいいな。

パンクロックが何なのかということは最後まで判らなかったけど、ジョニーロットンが美しい生き方をしていることは再確認出来た。

よし、今の自分の欲望のために、情けないことを何回だってやってやろうじゃないか。

勝手にしやがれ!

『勝手にしやがれ!! / セックス・ピストルズ』
1977年リリース

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