株式会社iCAREで過ごした日々
こんにちは、株式会社iCAREサーバーサイドエンジニアの寺井です。
私は2023年3月31日をもって株式会社iCAREを退職することを決め、今日が最終出社日でした。
無我夢中で働いていたiCAREでの日々は本当に楽しく、社会人になってからも次の日がこんなに楽しみな日曜日の夜を送れるとは思ってもいませんでした。
エンジニアとしてのキャリアをiCAREでスタートした私は、社会人としての基礎もエンジニアとしての基礎もiCAREで学ばさせていただきました。
そんなiCAREで過ごした日々の中で、特に印象に残っている出来事を書き残したいと思います。
最初の出会いの開発合宿
私がiCAREに入社したのは2021年8月1日ですが、実はiCARE Devチームのみなさんとの最初の出会いは入社前日の開発合宿でした。
iCAREに入社した理由の1つでもあった「この人たちと一緒に働きたい!」と感じたDevチームのみなさんは初対面の私を快く受け入れてくださって、初日とは思えないくらい楽しかったです。
日中はデザイナーもQAEも関係なく全員で真剣に開発に取り組み、夜はみんな同じ部屋でお酒を飲みながら熱く語り合って、同じご飯を食べて同じお風呂に入って過ごしました。
私はiCARE Devチームと出会えたことをとても幸運に思っていますが、こんなに素敵な開発合宿からiCAREでの生活をスタートできたことは本当に恵まれていました。
エンジニアとしての私を育て上げてもらったCTチーム
入社後すぐに、私は基盤開発を行うCT(Core Technology)チームに配属されました。
でんでんさんという、いつも明るくて何でもできてみんなから頼りにされている先輩がメンターとして横で見守ってくれました。
細かいところでも改善すべき点は丁寧に指摘してもらい、目標がギリギリ達成できるくらい高いものになるように心を奮い立たせてもらいました。
目標を達成できたときは一緒になって喜んでくださって本当に嬉しかったです。
チームリーダーのうっちーさんは、技術力の高さももちろんですが、プロダクトやソースコード、ユーザーに対して向き合う姿勢が誰よりも誠実でずっと憧れていました。
プログラミングの知識よりも大切な、何年先になっても生き続けるマインドをうっちーさんの横で働かせてもらえたおかげで学ぶことができました。
組織の文化を作り続けてきたGJ Carely
iCAREでは、感謝の気持ちを言葉にして伝える文化が強く根付いています。
この文化が定着している大きな要因の1つが、当時VPoEだったとしさんが1人で開発されたGJ CarelyというSlackアプリの存在です。
1人のエンジニアが作ったサービスを何年にも渡って組織の中の100人を超える人たちが使い続け、今や組織の文化を形成するためになくてはならない存在になっているというとても稀有な事例を見ることができました。
私も1人のエンジニアとして、GJ Carelyのように仲間や組織に大きな影響を与えるようなサービスを作ることが1つの夢になりました。
また、ただサービスを作っただけではこれほどまで浸透することはなかったはずです。
としさんがいつもみんなを楽しく盛り上げてくれたり、メンバーひとりひとりのもやもやに誠実に向き合ってくれたり、文化に対して本気で取り組んでいることがみんなに伝わっていたからこそ定着した文化だと思います。
いつか私もとしさんのように、まわりの人を笑顔にして組織の文化を作れるような存在になりたいです。
DEV DRIVENを掲げてきたiCARE Devチーム
iCARE Devチームでは『DEV DRIVEN』というチームクレドを掲げて、開発者から組織文化を発信する取り組みや、毎月iCARE Dev Meetupを開催して外部に対しても積極的に発信していました。
iCARE Dev Meetupはテーマを決めるところから当日の配信まですべての作業をDevチームでやっていたため、日々の開発業務と両立することは大変でしたが、各分野のエキスパートの方の発表を聞くことで自分自身の刺激にもなっていました。
そして何より、リアルで集まって1つのイベントを成功させたときの達成感は他では味わえないくらい大きかったです。
私もiCARE Dev Meetupで登壇する機会を何度かいただいて、これがスタートとなって社外の登壇発表にも積極的に挑戦するようになりました。
私は、当時VPoEだったとしさんとCTOだったおぎじゅんさんがいきいきと語ってくれていた『DEV DRIVEN』な開発組織に憧れてiCAREに入社しました。
19億円の資金調達を行ってシリーズEラウンドに突入したときに、おぎじゅんさんは「うちはGoogleやAmazonにも負けない最高のテックカンパニーになるんだ」という大きな大きな夢を本気で語っていました。
私はこの言葉に心を打たれ、「個でも強いエンジニアが集まってさらに相乗効果で強固になっているような開発組織」を構成する1人になれるように、モチベーションを枯らすことなくここまで走り続けてくることができました。
私が入社してから今日までずっと、としさんとおぎじゅんさんには異なる種類のとても大きな影響をもらい続けてきました。
私にとって一番最初に出会ったVPoEがとしさんで、CTOがおぎじゅんさんで本当に良かったです。
もし私がいつかお二人のような役割を担える日がきたとしたら、お二人の良いところを体現できるような存在になりたいです。
たくさんの人からいただいた愛のあるフィードバック
優しいメンバーのみなさんに囲まれて過ごしたiCARE生活でしたが、良くないことや改善すべき点をしっかりと指摘してくれる人にも恵まれました。
「別に今指摘しなくても今回の問題は解決できるしな」
「これを伝えたら今この瞬間は嫌な気持ちにさせてしまうかもな」
こんな状況でも相手にしっかりと指摘できるのは、仲間への愛とリスペクトがあるからこそだと思います。
愛のあるフィードバックをいただいた記憶はたくさんありますが、特に印象に残っているのは入社直後にしてもらっていた大久保さんのコードレビューです。
大久保さんは業務委託の方であるにも関わらず、当時の私のほぼすべてのPRを自発的にレビューしてくださいました。
細かなところでも妥協せずに指摘していただいただけでなく、
「これは今すぐにできるようになる必要はないけど、半年後にはできるようになっていないといけないですよ」
「iCAREではこれでも大丈夫ですが、外の世界に出たときにはこれだと通用しないので調べてみてください」
というように、長期的な目線で見た指摘をたくさんしていただきました。
大久保さん、当時は長い時間をかけてたくさんのアドバイスをしていただき本当にありがとうございました。
また、一人ひとりに時間をいただいて退職することをお伝えさせてもらったとき、CEOの洋太さんやCOOのよしさん、開発部長の岩崎さんからは人生という長い目線で見たアドバイスをいただきました。
感謝の言葉とともに、私が乗り越えないといけない壁や克服すべき弱みをフィードバックしてくださり、本当に感謝しています。
みんなで一緒に楽しんだイベント
iCAREは現在、出社とリモートのハイブリッドな勤務形式ですが、私が入社してからしばらくの間はみんなでオフィスに出社して働いていました。
エンジニアの中では珍しいかもしれませんが、私はリモートで働くよりも出社して働くことが好きなタイプなので、オフィスでみんなと同じ場所で一緒に働くことができてとてもワクワクした日々を送ることができました。
例えば半期ごとに行われる全社キックオフでは、部署関係なく一緒に働いている仲間がどんな思いでがんばってきたのかを自分の目と耳で直接知って、入社後数日にもかかわらず感動して自分も涙が出そうになるくらい衝撃を受けました。
「楽しまなければプロじゃない」というクレドを掲げているように、ハロウィンなどのイベントごとも全力で楽しんでいました。
他にも有志のメンバーで毎年マラソン大会に出たりもしていて、こういったイベントを通して普段は業務であまり関わる機会がないメンバーとも接点が生まれていました。
このマラソン大会には、すでにiCAREを退職された方もこれから入社する予定の方も参加されていて、こういうところにもこれまで積み重ね上げられてきたiCAREの文化のすごさが表れているなと感じていました。
夜遅くまで残ってやり切れたドメイン移行PJ
iCAREでやってきた印象に残っているPJの中の1つに、2021年12月に行ったドメイン移行PJがあります。
iCAREでは2021年に全社でドメインの変更を行い、それに伴ってアプリケーションの中で参照しているメールアドレスや本番データを置き換える必要がありました。
ただ単にソースコードの旧ドメインを新ドメインに置き換えるだけではリリース時にダウンタイムが発生してしまうため、段階的に移行を実施していったのですが、ドメイン移行の影響範囲はアプリケーション全体に及んでいて動作確認にはものすごく時間がかかりました。
なんとか2021年中に終わらせたくて年末夜遅くまでオフィスに残ってがんばっていたのですが、意図した通りの挙動にならなくて困っていたときに助けてくれたのが大先輩のエンジニアのらいさんとすんさんでした。
結局その日は2人とも最後まで残って一緒に手伝ってくださって、駅まで話しながら帰ったのを覚えています。
夜遅くでしたがしんどさではなくとても大きな達成感で満たされていて、やり切ることができて本当に良かったなと感じていました。
らいさんもすんさんも常にたくさんのタスクをこなしていて忙しい中、いつ質問しても優しく教えてくれて安心して働くことができました。
本当にありがとうございました。
一緒に支え合ってきた同い年メンバー
iCAREでの生活は楽しかったことだけでなく、思い悩んだことや大きな壁にぶつかることもたくさんありました。
一緒に働いていたDevチームの存在も大きかったですが、私にとっては各部署にいた同い年のメンバーの存在も同じくらい大きかったです。
私が入社したとき、他部署ではもうすでにエースとして大活躍しているメンバーや、年上の社員もいる中で部署全体を管理しているメンバーもいてとても驚きました。
そういったメンバーを見て、自分もいつかDevでそういう存在になれたらいいなと憧れていました。
同い年のメンバーで行った初めての飲み会では、愚痴もネガティブな話も一切出てこなくて、ずっとメンバーの悩みをどうやったら解決できるかについて熱く話し合っていました。
このときすでに社員数は100人を超えていましたが、「これがスタートアップか…!」とすごくわくわくして楽しかったです。
全員から刺激をもらっていたDevチームのメンバー
私のiCARE生活で一番心に残っているPJが権限カスタマイズPJです。
iCAREのエンジニアとして挑戦した業務の中では一番大きな挑戦でした。
ずっと引っ張っていってもらっていたリーダーのうっちーさんからPJを引き継ぎ、これまで一緒に開発してきたCTチームのみんなで開発を始めた、CTチームにとって集大成のような機能です。
PJマネジメントをしたことがなかった私にとって、すべてのタスクが初めての経験でした。
うまくいかなかったこともたくさんありました。
その1つが、こちらの記事でも書いたリリース直後のロールバックです。
開発が完了していくにつれて開発メンバーは別のPJに移っていったので、二度目のリリースは武井さんと2人で行いました。
武井さんは同じ月に同じ未経験エンジニアとしてiCAREに入社して、同じチームに配属されたFEエンジニアだったこともあって、これまで長い間BE/FEでペアを組んで実装してきました。
そういった意味で武井さんはずっと一緒にやってきた相棒でもあり、一番のライバルでもありました。
日々エンジニアとしてどんなに一生懸命勉強しても、常に自分と真横か少し前を走り続けてくれるような人と出会えて、同期として入社することができたことはとても幸運でした。
僕にとってiCAREがただの『最高の会社』でとどまらなかったのは、間違いなく武井さんのおかげです。
武井さんだけでなく、ほとんど同じタイミングで入社した同期のみなさんはそれぞれ別の強みを持っていて見習う点が多く、エンジニアとしてもiCARE歴としても数年上の先輩たちは背中を追っても捕まえ切れないペースで成長されていていつも目標にさせてもらっていて、iCAREの土台を支えているベテランの方々からは1つのあるべき理想の姿を学ばさせてもらいました。
たくさんのことを学び、ワクワクした毎日を過ごしたiCARE Devチームで働くことができて本当に幸せでした。
最後に
私はiCAREで働けたことをとても誇りに思います。
iCAREを退職した後もiCAREのためにできることがゼロになるわけではないので、iCARE出身のエンジニアとして胸を張れるようにこれからもがんばります。
また、技術だけではなく文化や組織、事業的なより困難なこともたくさん経験して乗り越えて、もしどこかで再会したときにはお互いに強くなっていてまたやりがいがあっておもしろいことに一緒に挑戦できたらなと思います。
iCAREを通じて出会うことができたみなさん、本当にどうもありがとうございました。
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