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この一年間ずっと背負い続けてきたこと

私は教師を半年で退職しました。
退職という選択は自分で決断したことなので後悔はしていませんが、当時自分のことを信頼して任せていただいた一年間という期間をやり切れなかったことに対してずっと申し訳なさを感じています。

人には自分の仕事を辞めるタイミングを決める権利があると思いますが、教師という職業は異動や退職を年度の区切りで行うことが一般的です。
まして私はクラスの担任と部活動の顧問を務めていたので、年度の途中で退職してしまうことの影響範囲の大きさも理解していました。

「なぜこの決断をしたのか」
「どんなことに挑戦したいと思っているのか」
一緒に働いてきた学年団の先生方にはもちろん、生徒たちに対しても最後の学年集会ですべて正直に話しました。

今は私が学生だった頃とは違って、SNSで簡単にその人が今何をしているかが分かる時代になりました。
私は、もし彼らが自分のことをふと思い出して検索するようなことがあったときに「この人は本当にあのとき話していたことに挑戦しているんだ」と伝えられるように、SNSで本名を公開し始めました。

とてもありがたいことに、一緒に働いていた先生が未だに生徒の近況を連絡してくれたり、一年経った今でも手紙を送ってくれる生徒がいます。
途中で担任を辞めてしまった私のことを応援し続けてくれる人がいるということが、本当に幸せなことだと改めて感じています。

席替えメーカーという自分が開発したサービスが幸運なことに多くの教員の方に使われるようになって、まだまだ規模は小さいながらも教育業界の力になれている実感があります。

しかし、それでも私の心の中にはずっと申し訳なさが残り続けています。

iCAREで今一番こだわっていること

そんな背景もあって、今の私は任せてもらった仕事をやり切ることに対して人並み以上に執念を抱いている気がします。
周りの方の信頼や期待に応えたいという気持ちももちろんありますが、それよりも「同じことは繰り返さない」「達成できなかったことを次こそは必ず克服したい」という気持ちが強い原動力となっています。

これが良いことなのかどうかは私には分かりません。
ただ、26年間生きてきてこういうところにすごくこだわってしまう性格なことはよく理解していますし、この性格を変えるのではなく受け入れた上で上手い向き合い方を模索しようと私は今考えています。

仕事をやり切るために残ることが良いとも、やり切れていないのに残らないことが悪いともまったく思っていません。
ただ単純に、過去の自分との勝負に負けたくないだけだと思います。

さらに言うと、結果的に仕事をやり切れなかったとしても、それが自分で自分を責め続けなければいけないほど悪いことであるとも考えていません。
突然事情が変わってしまったり、どんなに一生懸命やっても期限に間に合わせることができないときは、これから働いていく上でどうしても遭遇することだと思います。

ただ、もし結果的に自分が仕事をやり切れなかった状況になってしまったとき、「もっとがんばれたな」という気持ちは絶対に抱きたくないです。
自分を信頼して仕事を任せてくださった人に対して心残りのない状態で向き合うために、今は自分の限界まで粘り続けたいなと思っています。

iCAREで私はまだプロジェクトにアサインされていません。
Carelyにたくさんあるファイルアップロード機能のすべてに対してバリデーションをかけるタスクを8月から、CarelyとCarelyが持っているデータのドメインを移行していくタスクを10月から取り組んでいます。
どちらも、この日を過ぎてしまうと入ってくるはずの数百万円が吹っ飛んでしまうというような明確な締切が存在しているわけではありません。
しかし、どちらのタスクも必ず2021年中にやり切りたいと思ってこの12月は入社以来一番追い込んできました。
残り2日間でやり切ることができるかは正直分かりません。
それでも、少なくとも自分の限界までは粘り続けて2021年を走り切りたいと思っています。

最後にもう一度教師の話

ここから先は、仕事とは関係のない話に戻ります。

おそらく私は、席替えメーカーの他に教師や生徒の力になれるサービスを開発してどんなに力になれたとしても、あるいは今と運命が少し違って教師や生徒がエンドユーザーとなるような企業で働いていたとしても、この感情は変わらず抱いていたのだろうと思います。
そう考える理由は、この感情の対象が教育業界という抽象的なものに対してではなく、今でも顔を思い出すことができる私のクラスの生徒たちと、一緒に働いた先生方に対してであるからです。

幸いにも、私が担任をしていたクラスは一学年だったので、生徒たちはこれから三年生になろうとしている段階です。
まだ同じ場所で同じ時間に集まって日々を過ごしています。
私にはまだ、彼らにメッセージを伝える機会があります。

生徒と担任という関係ではもうなくなりましたが、お互いに影響を与え合うという関係は続いているような気が私はしています。
彼らが卒業するときに、一人の対等な人間として、彼らの人生の中で何らかの役割を担えるようなメッセージを伝えることが今の私の使命だと思っています。

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