ぶんかとでざいん 課題

興味、というのはどこから湧いてくるのか。私は今回の講義を通して人生で初めて興味をホームレスに向けることができた。それは、今まで敵だと思っていたわけでもないし、大きく見下していたわけでもない。そこで気づいたのは自分がそのような、一般的に社会的弱者と言われる人たちに対して感化してきたという事実だった。

どんなものでも、評価によって自分と相対化できる。良い評価や好意の感情こそいいもの、というわけではなく嫌いや苦手などのネガティブな評価も含めてそこには興味関心が存在していて、各々がその感情を抱くことこそが各々の理解の最初の一歩になると思う。

話を戻すと、私は今回、いちむらみさこさんに対して良い方も悪い方も両方の意見が出てきた。それだけでも今回の授業を受けて良かったな、と感じている。それは、土地の権利は人々が定めた法で決まっていることに対して明確な疑問を持っていることであったり、実際にその方法を試して生きていることに対しての尊敬の念であったり、逆に権利だけを主張してその対価を払わないところや、どうしてもこのまま続けても何も変わらないのではないか?という軽蔑の感情などがそれにあたってしまうかもしれない。

ここで、私が今回の授業を受けて、ホームレスに関する問題の中で最も重要だと思った点は興味を抱かせることの難しさ、である。

単純に言ってしまえば誰だって直視しなければいけない状況になったら直視はするものだし、関心は持つし、今回の私のように評価し、感想も持つ。
しかし、今回私がこんなにしっかり評価を下せたのは授業だったからで、人間は自分に大きな損や得がない限りはこんなに周りに興味を向けることはできない。

実際、ホームレスはどこで寝ているか、という問いに対して

この記事では90パーセントが公園と答え、ホームレスが困窮している原因は社会的理由、自己責任としている。
しかし、下の文章を読んでみるとホームレス経験者は主に友人宅で寝ていたり、路上は少ないことがわかる。

つまるところ、イメージで語っているのである。最も日本で有名なホームレスに関する作品はホームレス中学生なのではないだろうか。そのイメージから、また、可視化されているホームレス、貧困層の先入観が先行している。

興味を持たせるということは大変である。しかし、今回の授業でその方法が断片的にわかった気がする。せっかくだから教育の現場に取り入れるということだ。学校教育で強制力を持たせることなどが大事なのだ。

自分本位かもしれないが、機会は創出しなければ作れない。特に義務教育の段階で自分と違う人間と触れ合うのはとても面白いと感じた。

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