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ユーゴスラビア代表

ハンドボールでは『ユーゴ』という交差しながらパスをする戦法があって、旧ユーゴスラビア代表がこの戦法を使っていたことからこの名で呼ばれている。

だけど、もちろん僕が最初にそれをきいてユーゴスラビアのことを言っているとは思わず、融合か??などと考えていた。凄い好きだった先輩もハンドボール3年やってたのに3年目で初めてその事を知ったので、部室で爆笑した瞬間をまだ覚えている。

何となくこの言葉がひとり歩きする感じが好きでこのエピソードを何となく覚えている。

誰が何を言うか、は確かに大事だと思う。もちろんその人の実績とかも鑑みて話を理解するけど、最近の僕はそれが多すぎる。それで言うと僕はどうしても今の状態では保護されがちだから、ありがたい反面、僕は器用に言語を扱うことが出来るけど、多分言葉を扱うことは苦手で、過大評価っぽいなーとおもっている。

よくよく考えてみたらだいたいひらがなだったら50個の記号で日本人が今の想いを伝えてるのはなんだか不思議な気もするし、同じデッキでプレイしてるのも面白い。言葉はみんなにとって平等なのに使う人によって大きく差が出るのも楽しいなーと思う。

僕は自分に持ってない言葉の使い方や、言葉を楽しく使おうとしている人、丁寧に言葉を使う人が結構好きなので、なんというかちゃんと愛でてしまうのだけど、今こうやって書いていて結局使う"人"が好きなのだなと痛いほどわかると共に、結局人で選んでるのやだなーとか思う。

それで言うと僕は三島由紀夫や芥川龍之介、伊坂幸太郎、はやみねかおるが好きで、その理由として、毎回文が同じ色をしているところなのだが、それも上の文章が他好きな自分が好きなのかもなとか思う。

文章に限らず、作品とかもそうなので、人柄関係なく作品力を純粋に見る目を持とうと思った。

公平だから批判もできる。そのくらいの覚悟を。

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